42 / 63
ただ好きなだけだったのに
しおりを挟む
ホテル業界では小さなゴミが残っていたとか、アメニティの補充ができていなかったなどのクレームがある。
しかし都内屈指のこのホテルにおいて、スイートルームでの清掃は念入りに行われていた。
契約している清掃会社の担当の者が、グループで協力し合って清掃したあと、きちんと最後にチェックをしてから部屋を去っていく。
その中でもその清掃会社は、仕事の丁寧さから表彰された事がある経歴を持つ。
しかしホテルでは客の言う事は絶対だ。
《申し訳ございませんでした。確認の上、しかるべき対応を取らせて頂きます》
《確認するならあなたが見てよ》
清掃スタッフではなくフロントだと分かっているのに、レティは芳乃をバスルームに連れて行くと、ドンと背中を突き飛ばした。
《四つん這いになって、ゴミが落ちていないか確認して》
屈辱的な命令をされながらも、逆らう事はできない。
《……畏まりました》
屈みながら、芳乃はヘルプサインを出すために無線を繋いだ。
芳乃が何を話しているか、レティに何を言われているか他のスタッフに伝われば、支配人にまで連絡がいって何らかの対応を取ってくれるはずだ。
それまで、彼女は床に膝をつき、視線を低くして丁寧に床の汚れをチェックした。
洗面台の角にほんの僅かに埃が残っていたのを見つけると、ティッシュで拭い取る。
《これで大丈夫なようです》
十分ほどじっくり確認したあと、立ち上がると、レティがシャワーブースに向かって顎をしゃくった。
《シャワーブースの中を確認していないわ》
《……畏まりました》
シャワーブースに入ってまた膝をついた瞬間、レティがシャワーヘッドを手に取って、芳乃にお湯を浴びせかけた。
「きゃっ!」
芳乃はとっさにインカムが濡れないように庇い、片手で顔を隠す。
《ねぇ、またウィルに色目を使うの? あの時は見逃してあげたのに、どうして人の物をほしがるの? 本当に生まれが卑しいのね》
レティは色味の薄い目で凝視してくる。
ウィリアムの前ではあれほど表情豊かだったのに、今はまるで感情を失ったかのようだ。
その変貌ぶりと尋常ではない行動に、芳乃は鳥肌を立てる。
さらにレティはお湯の温度を調整し、水にした。
「つめた……っ」
《私、あなたみたいな女が一番嫌いなのよ。シンデレラストーリーを信じて、自分みたいな普通の女にもウィルみたいな男性に見初められるチャンスがあるかも? なんて、ある訳ないじゃない! 私がどれだけ苦労して彼を射止めたのか、分かってるの!?》
レティはヒステリックに叫び、ハイヒールを履いた足で芳乃を蹴った。
(痛い!)
ピンヒールが体に食い込み、芳乃は内心悲鳴を上げる。
《あなたみたいな身の程知らずは、一度痛い目に遭った方がいいんだわ。私という婚約者がいるのに、ウィルを寝取っていい気になっていたわよね? 人の男と寝るのはそんなに気分がいい?》
「っっ――――……!」
浴びせられた言葉に、心臓が止まるかと思った。
今、目の前にいるのはレティだが、これをグレースに言われてもおかしくない。
「……っ、私は……っ!」
――ただ好きなだけだったのに……!
ずっと心の奥にしまい込んでいた気持ちが、口から突いて出る。
ウィリアムの事は、純粋に好きなだけだった。
彼に婚約者がいると知っていたなら、自分から別れを切り出しただろう。それぐらいの分別はあるつもりだ。
あの日婚約破棄を言い渡され、初めてレティの存在を知った。
当時は自分の事を誰よりも可哀想と思っていたが、レティが抱く感情はごく正当なものだ。
彼女から見れば、芳乃こそが愛しい男を寝取った浮気相手だったのだ。
「~~~~っ、ごめんなさい……っ」
とうとう芳乃は涙を零し、両手で頭を抱えて弱々しい悲鳴を上げた。
――私なんて、いない方がいい。
レティを前にしているのに、脳裏に浮かんだのは暁人とグレースの姿だ。
――私に、人を好きになる資格なんてない。
「…………っ、――ごめん、……な、さい……っ」
喉が震え、嗚咽が止まらない。
――ごめんなさい!
ずっと抱えていた罪悪感を初めて人に責められ、芳乃の中でくすぶっていた感情が爆発した。
しかし都内屈指のこのホテルにおいて、スイートルームでの清掃は念入りに行われていた。
契約している清掃会社の担当の者が、グループで協力し合って清掃したあと、きちんと最後にチェックをしてから部屋を去っていく。
その中でもその清掃会社は、仕事の丁寧さから表彰された事がある経歴を持つ。
しかしホテルでは客の言う事は絶対だ。
《申し訳ございませんでした。確認の上、しかるべき対応を取らせて頂きます》
《確認するならあなたが見てよ》
清掃スタッフではなくフロントだと分かっているのに、レティは芳乃をバスルームに連れて行くと、ドンと背中を突き飛ばした。
《四つん這いになって、ゴミが落ちていないか確認して》
屈辱的な命令をされながらも、逆らう事はできない。
《……畏まりました》
屈みながら、芳乃はヘルプサインを出すために無線を繋いだ。
芳乃が何を話しているか、レティに何を言われているか他のスタッフに伝われば、支配人にまで連絡がいって何らかの対応を取ってくれるはずだ。
それまで、彼女は床に膝をつき、視線を低くして丁寧に床の汚れをチェックした。
洗面台の角にほんの僅かに埃が残っていたのを見つけると、ティッシュで拭い取る。
《これで大丈夫なようです》
十分ほどじっくり確認したあと、立ち上がると、レティがシャワーブースに向かって顎をしゃくった。
《シャワーブースの中を確認していないわ》
《……畏まりました》
シャワーブースに入ってまた膝をついた瞬間、レティがシャワーヘッドを手に取って、芳乃にお湯を浴びせかけた。
「きゃっ!」
芳乃はとっさにインカムが濡れないように庇い、片手で顔を隠す。
《ねぇ、またウィルに色目を使うの? あの時は見逃してあげたのに、どうして人の物をほしがるの? 本当に生まれが卑しいのね》
レティは色味の薄い目で凝視してくる。
ウィリアムの前ではあれほど表情豊かだったのに、今はまるで感情を失ったかのようだ。
その変貌ぶりと尋常ではない行動に、芳乃は鳥肌を立てる。
さらにレティはお湯の温度を調整し、水にした。
「つめた……っ」
《私、あなたみたいな女が一番嫌いなのよ。シンデレラストーリーを信じて、自分みたいな普通の女にもウィルみたいな男性に見初められるチャンスがあるかも? なんて、ある訳ないじゃない! 私がどれだけ苦労して彼を射止めたのか、分かってるの!?》
レティはヒステリックに叫び、ハイヒールを履いた足で芳乃を蹴った。
(痛い!)
ピンヒールが体に食い込み、芳乃は内心悲鳴を上げる。
《あなたみたいな身の程知らずは、一度痛い目に遭った方がいいんだわ。私という婚約者がいるのに、ウィルを寝取っていい気になっていたわよね? 人の男と寝るのはそんなに気分がいい?》
「っっ――――……!」
浴びせられた言葉に、心臓が止まるかと思った。
今、目の前にいるのはレティだが、これをグレースに言われてもおかしくない。
「……っ、私は……っ!」
――ただ好きなだけだったのに……!
ずっと心の奥にしまい込んでいた気持ちが、口から突いて出る。
ウィリアムの事は、純粋に好きなだけだった。
彼に婚約者がいると知っていたなら、自分から別れを切り出しただろう。それぐらいの分別はあるつもりだ。
あの日婚約破棄を言い渡され、初めてレティの存在を知った。
当時は自分の事を誰よりも可哀想と思っていたが、レティが抱く感情はごく正当なものだ。
彼女から見れば、芳乃こそが愛しい男を寝取った浮気相手だったのだ。
「~~~~っ、ごめんなさい……っ」
とうとう芳乃は涙を零し、両手で頭を抱えて弱々しい悲鳴を上げた。
――私なんて、いない方がいい。
レティを前にしているのに、脳裏に浮かんだのは暁人とグレースの姿だ。
――私に、人を好きになる資格なんてない。
「…………っ、――ごめん、……な、さい……っ」
喉が震え、嗚咽が止まらない。
――ごめんなさい!
ずっと抱えていた罪悪感を初めて人に責められ、芳乃の中でくすぶっていた感情が爆発した。
11
お気に入りに追加
663
あなたにおすすめの小説

【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。
だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。
その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる
奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。
だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。
「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」
どう尋ねる兄の真意は……
イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?
すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。
翔馬「俺、チャーハン。」
宏斗「俺もー。」
航平「俺、から揚げつけてー。」
優弥「俺はスープ付き。」
みんなガタイがよく、男前。
ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」
慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。
終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。
ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」
保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。
私は子供と一緒に・・・暮らしてる。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
翔馬「おいおい嘘だろ?」
宏斗「子供・・・いたんだ・・。」
航平「いくつん時の子だよ・・・・。」
優弥「マジか・・・。」
消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。
太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。
「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」
「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」
※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。
※感想やコメントは受け付けることができません。
メンタルが薄氷なもので・・・すみません。
言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。
楽しんでいただけたら嬉しく思います。

番から逃げる事にしました
みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。
前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。
彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。
❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。
❋独自設定有りです。
❋他視点の話もあります。
❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる