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ただ好きなだけだったのに
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ホテル業界では小さなゴミが残っていたとか、アメニティの補充ができていなかったなどのクレームがある。
しかし都内屈指のこのホテルにおいて、スイートルームでの清掃は念入りに行われていた。
契約している清掃会社の担当の者が、グループで協力し合って清掃したあと、きちんと最後にチェックをしてから部屋を去っていく。
その中でもその清掃会社は、仕事の丁寧さから表彰された事がある経歴を持つ。
しかしホテルでは客の言う事は絶対だ。
《申し訳ございませんでした。確認の上、しかるべき対応を取らせて頂きます》
《確認するならあなたが見てよ》
清掃スタッフではなくフロントだと分かっているのに、レティは芳乃をバスルームに連れて行くと、ドンと背中を突き飛ばした。
《四つん這いになって、ゴミが落ちていないか確認して》
屈辱的な命令をされながらも、逆らう事はできない。
《……畏まりました》
屈みながら、芳乃はヘルプサインを出すために無線を繋いだ。
芳乃が何を話しているか、レティに何を言われているか他のスタッフに伝われば、支配人にまで連絡がいって何らかの対応を取ってくれるはずだ。
それまで、彼女は床に膝をつき、視線を低くして丁寧に床の汚れをチェックした。
洗面台の角にほんの僅かに埃が残っていたのを見つけると、ティッシュで拭い取る。
《これで大丈夫なようです》
十分ほどじっくり確認したあと、立ち上がると、レティがシャワーブースに向かって顎をしゃくった。
《シャワーブースの中を確認していないわ》
《……畏まりました》
シャワーブースに入ってまた膝をついた瞬間、レティがシャワーヘッドを手に取って、芳乃にお湯を浴びせかけた。
「きゃっ!」
芳乃はとっさにインカムが濡れないように庇い、片手で顔を隠す。
《ねぇ、またウィルに色目を使うの? あの時は見逃してあげたのに、どうして人の物をほしがるの? 本当に生まれが卑しいのね》
レティは色味の薄い目で凝視してくる。
ウィリアムの前ではあれほど表情豊かだったのに、今はまるで感情を失ったかのようだ。
その変貌ぶりと尋常ではない行動に、芳乃は鳥肌を立てる。
さらにレティはお湯の温度を調整し、水にした。
「つめた……っ」
《私、あなたみたいな女が一番嫌いなのよ。シンデレラストーリーを信じて、自分みたいな普通の女にもウィルみたいな男性に見初められるチャンスがあるかも? なんて、ある訳ないじゃない! 私がどれだけ苦労して彼を射止めたのか、分かってるの!?》
レティはヒステリックに叫び、ハイヒールを履いた足で芳乃を蹴った。
(痛い!)
ピンヒールが体に食い込み、芳乃は内心悲鳴を上げる。
《あなたみたいな身の程知らずは、一度痛い目に遭った方がいいんだわ。私という婚約者がいるのに、ウィルを寝取っていい気になっていたわよね? 人の男と寝るのはそんなに気分がいい?》
「っっ――――……!」
浴びせられた言葉に、心臓が止まるかと思った。
今、目の前にいるのはレティだが、これをグレースに言われてもおかしくない。
「……っ、私は……っ!」
――ただ好きなだけだったのに……!
ずっと心の奥にしまい込んでいた気持ちが、口から突いて出る。
ウィリアムの事は、純粋に好きなだけだった。
彼に婚約者がいると知っていたなら、自分から別れを切り出しただろう。それぐらいの分別はあるつもりだ。
あの日婚約破棄を言い渡され、初めてレティの存在を知った。
当時は自分の事を誰よりも可哀想と思っていたが、レティが抱く感情はごく正当なものだ。
彼女から見れば、芳乃こそが愛しい男を寝取った浮気相手だったのだ。
「~~~~っ、ごめんなさい……っ」
とうとう芳乃は涙を零し、両手で頭を抱えて弱々しい悲鳴を上げた。
――私なんて、いない方がいい。
レティを前にしているのに、脳裏に浮かんだのは暁人とグレースの姿だ。
――私に、人を好きになる資格なんてない。
「…………っ、――ごめん、……な、さい……っ」
喉が震え、嗚咽が止まらない。
――ごめんなさい!
ずっと抱えていた罪悪感を初めて人に責められ、芳乃の中でくすぶっていた感情が爆発した。
しかし都内屈指のこのホテルにおいて、スイートルームでの清掃は念入りに行われていた。
契約している清掃会社の担当の者が、グループで協力し合って清掃したあと、きちんと最後にチェックをしてから部屋を去っていく。
その中でもその清掃会社は、仕事の丁寧さから表彰された事がある経歴を持つ。
しかしホテルでは客の言う事は絶対だ。
《申し訳ございませんでした。確認の上、しかるべき対応を取らせて頂きます》
《確認するならあなたが見てよ》
清掃スタッフではなくフロントだと分かっているのに、レティは芳乃をバスルームに連れて行くと、ドンと背中を突き飛ばした。
《四つん這いになって、ゴミが落ちていないか確認して》
屈辱的な命令をされながらも、逆らう事はできない。
《……畏まりました》
屈みながら、芳乃はヘルプサインを出すために無線を繋いだ。
芳乃が何を話しているか、レティに何を言われているか他のスタッフに伝われば、支配人にまで連絡がいって何らかの対応を取ってくれるはずだ。
それまで、彼女は床に膝をつき、視線を低くして丁寧に床の汚れをチェックした。
洗面台の角にほんの僅かに埃が残っていたのを見つけると、ティッシュで拭い取る。
《これで大丈夫なようです》
十分ほどじっくり確認したあと、立ち上がると、レティがシャワーブースに向かって顎をしゃくった。
《シャワーブースの中を確認していないわ》
《……畏まりました》
シャワーブースに入ってまた膝をついた瞬間、レティがシャワーヘッドを手に取って、芳乃にお湯を浴びせかけた。
「きゃっ!」
芳乃はとっさにインカムが濡れないように庇い、片手で顔を隠す。
《ねぇ、またウィルに色目を使うの? あの時は見逃してあげたのに、どうして人の物をほしがるの? 本当に生まれが卑しいのね》
レティは色味の薄い目で凝視してくる。
ウィリアムの前ではあれほど表情豊かだったのに、今はまるで感情を失ったかのようだ。
その変貌ぶりと尋常ではない行動に、芳乃は鳥肌を立てる。
さらにレティはお湯の温度を調整し、水にした。
「つめた……っ」
《私、あなたみたいな女が一番嫌いなのよ。シンデレラストーリーを信じて、自分みたいな普通の女にもウィルみたいな男性に見初められるチャンスがあるかも? なんて、ある訳ないじゃない! 私がどれだけ苦労して彼を射止めたのか、分かってるの!?》
レティはヒステリックに叫び、ハイヒールを履いた足で芳乃を蹴った。
(痛い!)
ピンヒールが体に食い込み、芳乃は内心悲鳴を上げる。
《あなたみたいな身の程知らずは、一度痛い目に遭った方がいいんだわ。私という婚約者がいるのに、ウィルを寝取っていい気になっていたわよね? 人の男と寝るのはそんなに気分がいい?》
「っっ――――……!」
浴びせられた言葉に、心臓が止まるかと思った。
今、目の前にいるのはレティだが、これをグレースに言われてもおかしくない。
「……っ、私は……っ!」
――ただ好きなだけだったのに……!
ずっと心の奥にしまい込んでいた気持ちが、口から突いて出る。
ウィリアムの事は、純粋に好きなだけだった。
彼に婚約者がいると知っていたなら、自分から別れを切り出しただろう。それぐらいの分別はあるつもりだ。
あの日婚約破棄を言い渡され、初めてレティの存在を知った。
当時は自分の事を誰よりも可哀想と思っていたが、レティが抱く感情はごく正当なものだ。
彼女から見れば、芳乃こそが愛しい男を寝取った浮気相手だったのだ。
「~~~~っ、ごめんなさい……っ」
とうとう芳乃は涙を零し、両手で頭を抱えて弱々しい悲鳴を上げた。
――私なんて、いない方がいい。
レティを前にしているのに、脳裏に浮かんだのは暁人とグレースの姿だ。
――私に、人を好きになる資格なんてない。
「…………っ、――ごめん、……な、さい……っ」
喉が震え、嗚咽が止まらない。
――ごめんなさい!
ずっと抱えていた罪悪感を初めて人に責められ、芳乃の中でくすぶっていた感情が爆発した。
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