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それほど悲観しなくていいと思いますよ

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 休日なので私服姿だが、スラリと背が高く眼鏡を掛けていて、インテリな印象のある彼は暁人の秘書だ。

 確か白銀柊壱しろがねしゅういちといったはずだ。

 名前を思い出した芳乃に、彼は「お渡ししていませんでしたね」と名刺を差し出してきた。

「移動中の息を荒げた副社長に呼びつけられたと思えば、銀座に集合でした。ハンズフリーで通話をして大の男が二人そろって走り、ようやくあなたを見つけた」

 柊壱の言葉は淡々としていて、怒っているのか分からない。
 だが好意的に話されていると思うほど、芳乃はめでたくなかった。

「副社長がご執心しているあなたを手放せば、あの方は大荒れします。逃げたくなる気持ちも分かりますが、大人しくしていてください」

「……ご迷惑をおかけして、すみません」

 素直に謝ると、柊壱は「そうですね」というように頷いた。

「しかしなぜここに? 副社長に生活の面倒を見てもらい、借金はいつ返してもいい事になっています。あの方はあなたの健康と幸せが大切なのであって、『身を粉にして働き完全返済しろ』など言っていないはずです」

 それは分かっている。

 暁人は自分に対し、何一つ強制していない。

〝大人の恋人ごっこ〟の相手は求められているが、ベッドでの事だって乗り気でなければ無体を働かない。
 とても優遇された状態なのに、芳乃がなぜ自ら夜の仕事をしようとしているのか、柊壱が疑問に思うのは当然だ。

「私から見れば、あなたの行動は不可解そのものです。大人しく守られた場所で愛され、好きな仕事をしていればいいのに、なぜ……」

 柊壱の嘆息を聞き、芳乃は彼になら打ち明けられると思った。

「……暁人さんのいない場所でお話できませんか? まだ彼の目の前で言う勇気はないんです」

 申し出ると、〝事情あり〟と察したのか柊壱は「いいでしょう」と頷き歩き出した。

「あの……暁人さんは」

「メッセージを入れておきます。今はあなたから本当の事を聞く方が大事ですから」

 雑居ビルから離れてタクシーを拾える場所まで行くと、暁人は車に乗って渋谷区方面を告げた。

 車が動き出したあと、柊壱は「失礼」と断りを入れ、スマホで暁人にメッセージを打ち始める。
 それが終わった頃、「話を聞きましょうか」と芳乃の言葉を促した。

 芳乃はしばらく両手を組み、指を絡ませて玩んでいた。
 が、溜め息をつき観念して話し始める。

「……先日、暁人さんが奥さんと一緒にいるのを見てしまったんです」

「奥さん?」

 柊壱が言葉尻を上げ、目を瞬かせて尋ねてくる。

「グレースさんという名前の金髪美女です」

「……あぁ……」

 名前を聞いて、柊壱は納得した声を出し前を向く。

「彼女の存在を知って、怖じ気づいたと?」

「怖じ気づくって……。当たり前じゃないですか。私は浮気相手なんですよ? 許されない事をしているんです」

 自分の行為を棚に上げ、芳乃は柊壱が何を言っているのか分からず反論する。

「あなたの副社長への想いは、そんなものなんですか?」

 眼鏡の奥からジッと見つめられ、芳乃は戸惑う。

(この人、何を言っているの?)

 まるで「浮気相手でもいいから、好きなら好きと言え」と言われている気持ちになる。

「……白銀さんは、副社長が不倫で週刊誌にすっぱ抜かれてもいいんですか?」

「それは困りますね」

 サラリと返事をするのに、柊壱は「暁人から手を引け」という言葉を口にしない。

「……普通、秘書という存在は、主人のためにならない者を排除するんじゃないですか?」

「そういう事もたまにしますね」

「なら……!」

 のらりくらりと言葉を躱す柊壱に業を煮やし、芳乃は声を荒げる。

「あなたは〝特別〟なんです」

 言われて、困惑のあまり思考が止まった。

「……白銀さんが何を言っているのか分かりません……」

「あなたが混乱しているのは理解します。私が三峯さんの立場なら、自分の立ち位置が分からずつらい思いをするでしょう」

 彼は〝何か〟を知っている。

 すがるように柊壱を見たが、彼はゆるりと首を左右に振った。

「副社長が何も仰っていないのなら、私からは何も申し上げられません」

 芳乃の目の奥に失望が宿ったのを見て取って、彼は軽く息をつき慰めるように言った。

「それほど悲観しなくていいと思いますよ」
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