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彼にはもっとふさわしい人がいるのかもしれない
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「眠れませんか?」
「えぇ……少し。けど、なぜ?」
「ドアの隙間から明かりに混じって、アメリアさまの影が動いているのが見えました」
彼の言葉に納得してから、こんな夜中まで彼は働いていたのかと思うと尊敬する。
「少し気晴らしに、外へ出てみますか?」
「出られるんですか!?」
イグニスさんの言葉に私は飛びつくように反応し、長身の彼を見上げる。
「外出ではありませんが、この城のテラスへ出るのは自由です」
そう言ってイグニスさんは、私の返事を待たずにゆっくり先を歩き始める。私はナイトドレスの上にガウンを羽織ると、そのあとをついて歩き始めた。
イグニスさんは、初めて会ったときと変わらない後ろ姿で赤いじゅうたんの廊下を歩く。
まだこの広い城の内部を把握していない私は、自分がどこを歩いているのか分からないままに外へ出てしまった。
「わぁ……、月が出ているわ」
見覚えのある大きなドアから外へ出ると、もう何年もかいでいないのではと思う外の匂いがした。
城が浮いているのは結構な高さなので多少の寒気はあるけれど、髪を揺らす風もいまは心地いい。
真っ黒なビロードに小さなダイヤモンドをひっくり返したような夜空があり、薄い雲がたなびく向こうに満月が浮かんでいた。
「エデンはいつ帰るんですか?」とイグニスさんに問おうとして、彼がじっとこちらを向ているのに気づく。
「どうかしましたか?」
思わず問いかけた私に、イグニスさんはピジョンブラッドと呼ばれるルビーのような目でしばし見つめ返してから、重たい口を開いた。
「アメリアさまは……、エデンさまをどうお思いですか?」
「どうって……、夫だと思っています。生贄として連れてこられましたが、とても良くして頂いていますし、私もそれに報いたいと……」
「あなたは、ちゃんと魔王さまを愛せますか?」
「え……?」
「種族の違いや生きる時の長さ。ありとあらゆるものを超えて、本当の意味で夫婦として魔王様を支え、果ては子を産むことができますか?
失礼ですが、母の思いを知らずに母になれますか?」
「……っ」
最後の言葉はザクッと私の心に刺さって、生温かい血を流させた。
「エデンさまは確かにお優しい方です。ですがこれからあなたは、あの方が魔王と呼ばれるゆえんも知ることになるでしょう。
もしかしたら、知らなければ良かったと思うこともあるかもしれません」
抑揚のないイグニスさんの言葉は、じりじりと私を崖っぷちへ追いつめているようだった。
口調が淡々としている分、彼の言葉は私の心に負荷をかけてゆく。
イグニスさんは怒っているでも責めているでもないのに、私自身が私を責めていた。
親がいないことを言われると、急に私の心はグラグラしてしまう。
側にエデンがいて「大丈夫だ」と言ってくれないと、私は魔王の妻ではないただの孤児になってしまう。
「私……」
彼の血色の目を見つめて、「エデンを愛せます」と言うことができない。
「今ならまだ間に合います。魔王さまがいらっしゃらない今夜なら、あなたをあの村に帰して差し上げることができます。魔王さまに一筆書いていただければ、私からお届けしましょう」
その言葉は、立場の悪い私を救済してくれるように聞こえた。
私、ただの孤児だから、いいお母さんになれないかもしれない。
学校も出ていないから、子供に何も教えてあげられないかもしれない。
そもそも私……、親になる資格なんてあるのかしら?
その前に――、あんな素敵な……エデンの妻になっていていいのかしら。
そう思い始めると、私の気持ちは坂道で蹴られた石のように、どんどん転がり落ちてゆく。
そうよ。彼にはもっとふさわしい人がいるのかもしれない。
こんな赤毛の小娘じゃなくて、彼が影響を受けたどこかの素敵な人みたいに、きっと隣に立って堂々と笑っていられる人がいておかしくないわ。
「う……っ」
ほんの少しつつかれたコンプレックスは、小さな傷からどんどん自分で大きな傷へと広げてゆく。
涙がこぼれ、私はイグニスさんに見られないように顔を覆って後ろを向いた。
「……失礼いたしました。アメリアさまをそこまで追いつめるつもりはなかったのですが」
「……いいえ、いつかは分かることでした」
静かに嗚咽しながら私は答え、気持ちが落ちつくまで涙を流してから、指先でそっと涙を拭った。
「えぇ……少し。けど、なぜ?」
「ドアの隙間から明かりに混じって、アメリアさまの影が動いているのが見えました」
彼の言葉に納得してから、こんな夜中まで彼は働いていたのかと思うと尊敬する。
「少し気晴らしに、外へ出てみますか?」
「出られるんですか!?」
イグニスさんの言葉に私は飛びつくように反応し、長身の彼を見上げる。
「外出ではありませんが、この城のテラスへ出るのは自由です」
そう言ってイグニスさんは、私の返事を待たずにゆっくり先を歩き始める。私はナイトドレスの上にガウンを羽織ると、そのあとをついて歩き始めた。
イグニスさんは、初めて会ったときと変わらない後ろ姿で赤いじゅうたんの廊下を歩く。
まだこの広い城の内部を把握していない私は、自分がどこを歩いているのか分からないままに外へ出てしまった。
「わぁ……、月が出ているわ」
見覚えのある大きなドアから外へ出ると、もう何年もかいでいないのではと思う外の匂いがした。
城が浮いているのは結構な高さなので多少の寒気はあるけれど、髪を揺らす風もいまは心地いい。
真っ黒なビロードに小さなダイヤモンドをひっくり返したような夜空があり、薄い雲がたなびく向こうに満月が浮かんでいた。
「エデンはいつ帰るんですか?」とイグニスさんに問おうとして、彼がじっとこちらを向ているのに気づく。
「どうかしましたか?」
思わず問いかけた私に、イグニスさんはピジョンブラッドと呼ばれるルビーのような目でしばし見つめ返してから、重たい口を開いた。
「アメリアさまは……、エデンさまをどうお思いですか?」
「どうって……、夫だと思っています。生贄として連れてこられましたが、とても良くして頂いていますし、私もそれに報いたいと……」
「あなたは、ちゃんと魔王さまを愛せますか?」
「え……?」
「種族の違いや生きる時の長さ。ありとあらゆるものを超えて、本当の意味で夫婦として魔王様を支え、果ては子を産むことができますか?
失礼ですが、母の思いを知らずに母になれますか?」
「……っ」
最後の言葉はザクッと私の心に刺さって、生温かい血を流させた。
「エデンさまは確かにお優しい方です。ですがこれからあなたは、あの方が魔王と呼ばれるゆえんも知ることになるでしょう。
もしかしたら、知らなければ良かったと思うこともあるかもしれません」
抑揚のないイグニスさんの言葉は、じりじりと私を崖っぷちへ追いつめているようだった。
口調が淡々としている分、彼の言葉は私の心に負荷をかけてゆく。
イグニスさんは怒っているでも責めているでもないのに、私自身が私を責めていた。
親がいないことを言われると、急に私の心はグラグラしてしまう。
側にエデンがいて「大丈夫だ」と言ってくれないと、私は魔王の妻ではないただの孤児になってしまう。
「私……」
彼の血色の目を見つめて、「エデンを愛せます」と言うことができない。
「今ならまだ間に合います。魔王さまがいらっしゃらない今夜なら、あなたをあの村に帰して差し上げることができます。魔王さまに一筆書いていただければ、私からお届けしましょう」
その言葉は、立場の悪い私を救済してくれるように聞こえた。
私、ただの孤児だから、いいお母さんになれないかもしれない。
学校も出ていないから、子供に何も教えてあげられないかもしれない。
そもそも私……、親になる資格なんてあるのかしら?
その前に――、あんな素敵な……エデンの妻になっていていいのかしら。
そう思い始めると、私の気持ちは坂道で蹴られた石のように、どんどん転がり落ちてゆく。
そうよ。彼にはもっとふさわしい人がいるのかもしれない。
こんな赤毛の小娘じゃなくて、彼が影響を受けたどこかの素敵な人みたいに、きっと隣に立って堂々と笑っていられる人がいておかしくないわ。
「う……っ」
ほんの少しつつかれたコンプレックスは、小さな傷からどんどん自分で大きな傷へと広げてゆく。
涙がこぼれ、私はイグニスさんに見られないように顔を覆って後ろを向いた。
「……失礼いたしました。アメリアさまをそこまで追いつめるつもりはなかったのですが」
「……いいえ、いつかは分かることでした」
静かに嗚咽しながら私は答え、気持ちが落ちつくまで涙を流してから、指先でそっと涙を拭った。
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