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まごころ1

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 ――蝋燭が燃える匂いがする。

(死後の世界って蝋燭があるのかしら? あぁ、死神が私を先導するために灯しているのかもしれない)

 死神の顔を見てみようと目を開けば、薄闇の中に浮かび上がったのは整った顔をした男性だ。

「……死神って、とても格好いいのね」

 思わず呟くと、目の前の男性がハッと目を開く。

「アンバー」

 ムクリと起き上がった彼は――、北極星のような目から一粒涙を流した。

 死神では――ない。
 ヴォルフだ。

「私……」

 状況が把握できず何か言いかけたアンバーに、ヴォルフは覆い被さってきた。彼女の体に触れないよう四つ這いになり、肩口に顔を埋める。
 耳元で少し乱れた呼吸――嗚咽が聞こえ、アンバーは自分がしでかした愚行を思い出した。

「す……すみません……」

 腕を動かし、ヴォルフの黒髪を梳る。
 しばらくヴォルフはアンバーに覆い被さっていたが、ズッと洟を啜り目元を擦ってから彼女を見つめてきた。

「……痛い所はないか?」

 言われて少し手足を動かしてみるが、何も痛みは感じない。「いいえ」と答えると、ヴォルフが安堵の息を漏らした。

「……間に合って、良かった」
「……間に合って?」

 まだ状況が理解できていないアンバーは、ヴォルフの言葉を繰り返す。

「君を、俺が受け止めた。衝撃を殺すために咄嗟に受け身をとったが、君はそのまま目覚めないからどうしようかと思って……」

 そこでまた涙が浮かんだのか、ヴォルフは乱暴に目元を拭った。

「……本当にすみません」

 愁傷に謝るアンバーの額に口づけ、ヴォルフは彼女の瞳を覗き込む。

「何が悪かった? 君を買った事か? 屋敷から出さなかった事? 処女を奪った事? 家族への連絡を後手にまわした事?」

 薄蒼の瞳は真剣で、縋るかのような声は本気でアンバーの死に打ちのめされていた。
 逆に死のうとしたアンバーは、ほんの僅かだがヴォルフの真剣な声に喜びを覚えてしまう。

「……本当に、ごめんなさい。……ただ色々……疲れが溜まってしまったというか」

 ヴォルフの秘密を知り、そこから妄想を膨らませ一人で絶望したなど言えない。けれど言葉の通り、誘拐されてから後の心的疲労が積み重なり限界を超えたのも確かだった。

「何がしたい?」

 ヴォルフが両方の頬に口づけ、悲しそうな目で見つめてくる。

「……帰りたいです」
「…………」

 アンバーの言葉に、「それだけは……」という表情でヴォルフは押し黙った。その後、苦しげに呟く。

「……俺の目の届かない場所で、殺されてしまうかもしれない。君のご家族や領民、誰彼構わず刺客が襲い掛かる可能性がある」
「どうして……!」

 悲鳴に似た声に、ヴォルフは小さくかぶりを振る。

「その悪者を突き止め、捕まえるのが俺の仕事だ」
「……どうして、私なのですか? 買われたから? それとも他に何か理由がありますか?」

 まさか屋敷に閉じ込められていたのが、アンバーの身を守るためだとは思わず衝撃を受ける。
 単純な里心でドランスフィールドに戻りたいと望んだが、家族や領民まで危険な目に遭わせるかもしれないなど、考えつかなかった。
 事態はアンバーが思っているよりも、ずっと大事に及んでいるらしい。

「それは……」

 しかしヴォルフは言葉を迷わせ、視線を外して寝台の上に座り直した。

「ヴォルフ様……」

 ちゃんと話をしたいと思い、アンバーはマットに手を突き起き上がる。体が痛まないか心配したヴォルフは、すぐにアンバーを支え、背もたれにするクッションを集めてくれた。

「あ、ありがとうございます……」

 ふと自分の体を見下ろせば、ネグリジェを着せられていた。結っていた髪の毛もおろされ、寝るための姿になっている。

「シシィがとても心配していた」

 ポツリと落とすように呟いたヴォルフは、ジャケットは脱いでいるものの外出着のままだ。恐らく帰宅して、ろくに着替える事もせず付き添っていてくれたのだろう。
 ヴォルフにも、シシィにもとても申し訳ない事をした。
 大の男の人が泣いた場面など見た事がなく、アンバーは動揺していた。今は姿を見せないが、きっとシシィもヴォルフに怒られてしまったのではないだろうか?

「あの……、シシィはどうしていますか? 彼女を怒らないでください……」

 メイドを思いやれば、ヴォルフは少しばつの悪そうな顔をした。

「君をちゃんと見ていなかったという事で、少し怒鳴ってしまった。だがこれ以上罰するつもりはないから、安心してほしい。これからもシシィは君の側にいるし、今まで以上に忠誠を誓うだろう」
「……分かりました。ありがとうございます」

 もしあの愛らしいシシィが、罰を受けるような事があれば……と心配した。けれどヴォルフは女性に手を挙げたり鞭を振るうような主人ではないようだ。
 ほ……と息をついたアンバーの手を、ヴォルフが握ってくる。

「それで? メイドの心配はしても、夫の心配はしてくれないのか?」
「え……と、あの……」

 ベスト姿のままのヴォルフは、目にどこか剣呑な――けれど拗ねたような色を浮かべている。

「心配をお掛けして、申し訳ございませんでした」

 素直に頭を下げると、サラリと蜂蜜色の金髪が垂れ下がった。
 しばらくヴォルフは頭を下げたアンバーを見ていたが、やがて大きな手で彼女の髪を撫で、頭ごと抱き寄せてくる。

「……生きていてくれて、本当に良かった」

 心からの言葉を口にし、アンバーの頤に指をかけしっかりと目を覗き込む。

「頼むから、言いたい事があったら何でも言ってくれ。中には今はまだ叶えられない望みもあると思う。俺の仕事上、秘密を守らなければいけない事もある。だが君が何に苦しみ、何を望むのか。基本的な事は夫になる者としてちゃんと知っておきたいんだ」

 切なげに眉を寄せ、彼が哀願してくる。

「どうして……そこまで……。私はただの『買った女』なのでしょう?」

 デスクにあった赤い封筒を思い出し、もしかしたら他にもヴォルフの寵愛を受けている女がいるかもしれないと悲しい気持ちになる。

「確かに……、俺は君を買った。買わざるを得なかった。それは紛れもない事実だ。だが俺が君を心から愛し、望んでいるという言葉はどうしたら信じてくれる?」

 精悍な顔を歪め、ヴォルフが血を吐くような声で思いの丈を告げる。握られた手は痛いほどで、アンバーだって本当なら彼の言葉を信じたい。

 ――全部、聞いてしまおうか。

 ここまで自分に思いを傾けるヴォルフを前に、アンバーは賭ける気持ちで自分の疑問をすべて打ち明けようと思った。
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