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第二十二部・岐路 編

マティアスさんを頼ってもいい?

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「いいか、マイ。今は人生九十年と言われている。その中で、俺たちの新婚旅行は長くても、たったの三か月だ」

「そう言われると、短く感じるかもだけど……」

 頷くと、マティアスは彼女の目をまっすぐ見て言う。

「マイは有給休暇が一か月近く余るぐらい、まじめに仕事に打ち込んできた」

「うん」

 それは本当なので、素直に頷く。

「結婚したあとは東京で暮らし、Chief Everyに入社して、何かと忙しくなると思う。その前に、じっくりと人生の休暇を味わってもいいと思うんだ。子供が生まれたらさらに忙しくなるし、二人の時間を設けるのも難しくなるだろう」

「……確かに」

 既婚者の友人は、顔を合わせると『独身時代にもっと遊んでおけば良かった』と言っている。

 結婚したあとでも家族で旅行には行けるが、子供が小さいうちは、夫と二人で旅行や、ぶらりと気ままに一人旅は、なかなか難しいのだそうだ。

「たっぷり三か月、自由気ままにヨーロッパ諸国を回るのは、いい経験になると思うんだ。帰国すれば嫌でも忙しい日々に戻り、東京で就職すれば休日にカスミと遊んだりするだろう。そうして過ごすうちに子供を授かり、母としても忙しくなり、独身時代のようには旅行を楽しめないと思う」

 マティアスの言葉を聞くと、三か月間旅行をするのも悪くないと思えてきた。

「……旅費は大丈夫? いや、泊まるのはこぢんまりとした宿でも全然平気だけど」

「心配ないと分かっているだろう?」

 逆にキョトンとした顔で尋ねられ、麻衣は「……そうでした……」と彼の資産を失念していたのを知る。

「さっき言っていたように、今まで沢山の我慢をした自分に褒美をあげるといい。たった一日有給を使って『申し訳ない』と感じる気持ちをリセットするんだ。俺は自分が人間として豊かに過ごすため、休みを得るのを『申し訳ない』と思わない。人として当たり前の事だからだ。周囲の人も、誰かが休んだからといって責めない」

 確かに、ドイツではそう思うのだろう。

「俺はバカンス時期に店が閉店しているのを、当たり前だと思っている。日本の店はいつも開いていて便利だが、『働いている人は人間らしく生きられているだろうか』と心配になる」

 彼の言葉を聞いているうちに、今まで自分を縛っていた鎖が、ボロボロと崩れていくのを感じる。

 確かに今までずっと『人間関係がつらいけど、仕事だから』『休んだら何か言われるから、多少体調が悪くても我慢しないと』と思っていた。

(我慢するの、当たり前になってたな)

 今までストレスが溜まったら、一人カラオケに行ったり、ゲームセンターでパンチングマシーンをぶん殴っていた。

 連休や長期休みになっても、一日ゆっくり寝たり、香澄と遊んだり外出すると、あっという間に終わってしまった。

「勿論、これはドイツ的な考えだし、日本で俺の考えを通そうとするのは違うと分かっている。ドイツの考え方が正しくて、日本の考え方が悪いという話でもない。日本は平和だし治安がいいし、飯は美味いし人々は親切でとてもいい国だ。……だが他の国はどうなのか、どんな考え方をして生きているのか、実際に訪れてじっくり知ってみるのもいいと思うんだ。人生は働くだけではない」

「……そうだね。機会を逃したら、三か月もゆっくり旅行するなんて、老後になりそう。老後になったら時間はあっても体力がないって言うし」

 冗談めかして言うと、マティアスは優しく微笑み、手を差し伸べてくる。

「その気になったか?」

「……うん、いいんじゃないかな」

 ニコッと笑って彼の手を握ると、抱き締められた。

「わっ……、と……。だから……」

 とっさに周囲を気にしたが、冬の夜だからか、通行人の顔はあまりよく見えない。

 耳元でマティアスが言う。

「幸せになろう。今までできなかった事を、二人で経験していくんだ」

 言われて、『私がマティアスさんを幸せにする』と言い切ったのを思い出した。

「……そうだね」

 頷いた麻衣は、そっとマティアスの胸板を押し、彼の目を見つめた。

「東京に引っ越したら、勿論Chief Everyで一生懸命働くけど、マティアスさんを夫として頼ってもいい? 幸せになるために、あなたとお金を当てにして甘えてもいい?」

「勿論だ」

 ようやく麻衣に頼られ、マティアスは嬉しそうに微笑んだ。

「……うん、よし! じゃあお肉食べよう! 美味しいお店行っちゃおう!」

「高い肉をどんどん頼んでくれ」

「冷麺も食べる!」

 再び歩き始めた二人は、自然と手を繋いでいた。
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