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第二十二部・岐路 編

俺に全額出させてほしい

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 その香澄が佑に見初められ、麻衣さえ望めばセレブの世界がどうなっているか教えてくれただろう。

 けれど香澄は自慢しているように思われるのを避け、華麗な生活の話をあまりしない。

 言うとすれば、遠慮がちに佑の惚気を言ってモダモダするぐらいだ。

 そんな香澄に「教えてよ」と言う訳にもいかず、麻衣の知識はテレビに留まっていた。

(興味はある……、けど……)

 まさか自分がファーストクラスに乗る日がくるとは思っていなかった。

 本当は「是非!」と頷きたいが、高価な贈り物をされると『豚に真珠』という言葉を思いだしてしまう。

(他人に体型をいじられたら怒るくせに、自分だと卑屈なネタにするなんて)

 そんな自分の面倒な性格に溜め息が出る。

 思考に没頭していると、マティアスにギュッと手を握られた。

「嫌か? マイが安心できるよう、日本の航空会社を使うが」

「や、そういう問題じゃなくて……。幾らするの? お金使わせるの申し訳なくて」

 そう言うと、マティアスは立ち止まって麻衣の正面に回り、視線を合わせて見つめてきた。

「……な、なに……」

 周囲の人の視線が恥ずかしく、麻衣はうろたえる。

 だがマティアスは周りの人をまったく気にせず、麻衣を見つめて伝えてきた。

「今後、家など大きい買い物をする機会があると思う。その時は俺に全額出させてほしい。こういうと麻衣は嫌な気持ちになるかもしれないが、俺たちの資産の差はとても大きい。仮に日本円で億単位する買い物をするとしても、麻衣に幾らか出してもらうのは現実的ではない」

「……そうだね」

 言われた事は事実なので、麻衣は素直に頷く。

 セレブの世界では、毎日のように信じられない金額が使われているのだろう。

 年末に御劔邸に行った時、香澄に『これ美味しいよ』と紹介されたドレッシングだって、札幌のスーパーで買える物とレベルの差がある。

 彼らを見ていると、安価な物をバカスカ買うというより、高価な物を買って大切に使う印象がある。

〝いい物〟を知ってしまうと、安価な物で済ませる気持ちにならないのだろう。

 そもそも、彼らは望む物は手に入れるし、節約する感覚がないのだと思う。

(何十億も持っているマティアスさんに、『私の金銭感覚に合わせて』なんて言えない。その考えじゃ二人とも不幸になる。私が彼に合わせなきゃ)

 マティアスは沈黙している麻衣を見て、色々考えていると察してるようだった。

「でもマイにも誇りはある。妻になるとしても、今まで自立した女性として働いてきたマイは、何もかも面倒をみられると負担に思うだろうし、プラウドが揺らぐと思う。だからカフェなどでは割り勘をしたい」

「それでも割り勘か」

 麻衣は思わず突っ込んだ。

「たまにはガムを買ってほしい」

「ガムか!」

 麻衣はまたビシッと突っ込みを入れ、マティアスの肩に手を置いてガックリとうなだれる。

「だから退職祝いに二人でファーストクラスに乗って、ドイツに行こう」

「どの辺から〝だから〟なの!」

 また突っ込んだあと、麻衣はクシャッと破顔した。

「……まったく……。敵わないなぁ……」

 言ったあと、彼の言葉を聞いて随分気持ちが軽くなったのを感じた。

(私が色々考えてしまうのは、常に人に馬鹿にされると前提にしているからだ。マティアスさんは私を裏切らない。こんな私と結婚してくれようとしている貴重な人なんだから、もっと信じないと)

 新宿のホテルで、彼が見せてくれた傷を忘れない。

 あれは彼が抱えている、最も隠したい恥辱と黒歴史の塊だ。

 今まで不幸に身を浸していたマティアスがようやく結婚して幸せになりたいと願い、惚れた女性のためなら金を使いたいと言っている。

(私が遠慮してたら駄目なんだ。マティアスさんは自分の望みを叶えるために、お金を使いたいと思っているんだから)

 麻衣は心の中で、ウジウジしているもう一人の自分の背中をバシッと叩き、決意した。

「じゃあ、楽しみにしてる!」

「それなら今日はコインなしで、俺の希望で外食にしよう。前祝いだ」

「んっふふ……。分かった。じゃあ、肉!」

 グッと拳を握って言うと、マティアスは「勿論だ」と頷く。

「先日行ったステーキ屋にするか? それとも焼き肉?」

「じゃあ、焼き肉! 帰宅方向だし、すすきのまで行こうか」

「わかった」

 歩きながら、麻衣は明日にでも行動を起こし、荷物をまとめて仕事を辞めようと考える。

 想像するだけでとてつもない解放感を感じ、一気にハイになってしまいそうだ。
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