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第二十二部・岐路 編

いっそ、彼女と出会わなかったら

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 ――思いだしちゃいけない!

 頭の中でもう一人の自分が叫ぶ。

 フィグウッドの特殊メイクアーティストを訪ねる際、ラシュモア山にある、アメリカ合衆国の大統領の彫刻を見ながら、敵陣に攻め入る決意をしていた。

 ウィンダミア湖の側で抱き締めたメイド服姿の彼女は、顔色が悪く唇もカサカサになっていた。

 ダダダダダ……と階段を駆け下りる音がする。

 毎日、不安で眠れず、いつ彼女がどこへ行くか、自死しないか見張る日々を送っていた。

『あぁ……、奥歯が割れてますね。強いストレスはありませんでしたか? 人間の噛む力は、とても強いんですよ』

 馴染みの歯科医が心配そうに言った。

 ――俺が守るんだ。

 ――守れなかった。

『いやあぁあぁっ!! 離して!! 出して!! ここにいられないの! いちゃ駄目なの!!』

 腕の中で、香澄が暴れる。

 行く当てもないのに外へ出て、がむしゃらに走ってどこかへ逃げようとする。

『いやああぁああぁっっ!! 触らないで!!』

 ホテルの床に座り込んだ香澄は全裸で、肌は冷たくなっていた。

 太腿にはヌラリと光る白濁があり、彼女は恐怖と絶望に引きつった表情で涙を流し、絶叫していた。

 ――憎い。

 ――あいつが、マティアスが、命じたエミリアが。

 ――見て見ぬふりをした双子が、祖父が。

 ――守ると豪語しておきながら、守る事ができなかった自分が。

 海の上で彼女はどれだけの絶望を味わっただろう。

 テオが彼女を保護してくれた時、殴られた痕があったと報告してきた。

 白い頬に赤い痕が残り、体にも痣があった。

 ベッドの上で自分を睨む彼女は、可愛い顔を絶望と憎悪に彩らせていた。

 ――そうだ、俺が犯した。

 ――敵を欺くためとはいえ、香澄をエイデン・アーチボルドという男が犯したのは事実だ。

 ――あの時の顔、強張った体。

 ――まったく濡れていない場所に、無理矢理ローションを塗り込んで一物を押し込んだ時の罪悪感。

「う……っ、――――う、…………うぅっ……っ」

 佑は涙を流し、口元を押さえたかと思うと洗面所に駆け込み、便座を上げて嘔吐した。

 ――絶望ばかりだ。

 ――彼女を愛したいのに、傷つけて、怖がらせて、酷い目に遭わせてばかりいる。

 ――

 ――

 ――

「あぁ…………」

 手洗いの床に座り込んだまま、佑は涙を流したままうめく。

 も、香澄はランウェイの上で自分を守ろうとして、飛び出してきた。

 危ないからそんな事をしなくていいのに、婚約者だから、秘書だからという気持ちで、勇敢に立ち向かってくれたのだ。

(……いや、あの時はそんな事を考えていなかっただろう。……俺の事を愛してくれていたから、とっさに体が動いたんだ)

 それだけでも、香澄がどれだけ自分を愛してくれていたか分かる。

 口元を拭いてうがいをした佑は、まだ痛む頭に顔をしかめながら階下に降りた。

 一階からさらに地下に行き、自分の作業部屋の扉の前に立つ。

(香澄は一度も興味を示さなかったな。……普通なら『入ったらいけない』と言われたら、パンドラの箱のように気にしてしまうだろうに)

 佑はポケットから鍵を出し、鍵の掛かっている部屋を空ける。

 ガラガラ……と木製のスライドドアが開くと、ガランと広い作業部屋が広がった。

「フェリシア、電気をつけて」

 命令すると、作業部屋のライトがすべてつく。

 デザインを考えるためのデスクに、ミシンを置いている台、布地やボタンなどをしまっている棚、そして林立しているトルソーたち。

 その一番奥に、佑が時間を見てちまちまと制作している集大成があった。

 ステージのように一段高くなったところには、スポットライトを受けた一つのトルソーがある。

 それが纏っているのは、香澄のために作っているウエディングドレスだ。

 彼女の体に合わせ、刺繍も何もかも自分一人で進めている。

「…………っ、こんなに手を掛けて結婚しようとしている相手は、香澄だけだ……っ」

 ライトを受けてキラキラと輝く特注の生地を見て、佑はまた落涙する。

 彼女の事を思いだすと、自分が不甲斐なかった事ばかり思い起こされる。
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