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第二十二部・岐路 編
私がいないほうが楽なんでしょうか
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同じうどんを食べているのに、期待に満ちていたあの頃と、不安に塗りつぶされている今とでは雲泥の差だ。
――あの頃に戻りたい。
――馬鹿な選択をして誘拐されず、佑さんを傷つけない過去に戻りたい。
そう思うと、もう駄目だった。
ポロッと涙が零れ、香澄は慌てて手で拭う。
佑と斎藤が気遣わしげにこちらを見たのが分かり、慌てて煮込みうどんを啜った。
「あつっ」
香澄はわざと大きめに声を上げ、二人に向けて笑ってみせた。
「やっぱり煮込みうどん、あつあつですね」
冗談めかして言ったあと、「びっくりして涙出ちゃった」と指で目元を拭う。
「気をつけて召し上がってくださいね。うどんは逃げませんから」
斎藤も笑いを誘う言い方をし、全員が微笑む。
ぎこちない空気を笑いで誤魔化したからか、そのあとは佑が纏っている雰囲気も柔らかくなった気がした。
それでも香澄を見ていると頭痛に見舞われるらしく、彼は食事を終えたあと「やる事があるから」と言って二階に上がってしまった。
斎藤が片付けを始め、香澄がそれを手伝う。
「……佑さんは、私がいないほうが楽なんでしょうか」
香澄はダイニングテーブルを台布巾で拭きながら、ポツンと呟く。
洗い物を終えてシンク周りを拭いていた斎藤は、その言葉を聞いて手を止めた。
「……おつらい気持ちは察します。どうしたら解決できるか分からないですし、出口のない迷路に迷い込んだような感じですよね」
言われて、言葉の通りだと思った。
上京して豪邸に住み、秘書だって初めてで、雲の上の人たちと接するのも緊張の連続だった。
テレビ局に出入りするようになり、頻繁に海外出張し、佑と一緒にいると金銭感覚までおかしくなってくる。
元の〝札幌生まれの赤松香澄〟がどんな価値観を持っていたか、何度も見失いかけた。
そのたびに軌道修正をし、地に足をつけた人でいようと努力し続けた。
佑は香澄に、「自分がいなければ何もできない女性になってほしい」と恐ろしい願いを抱いていたようだった。
(そうならなくて良かったな)
彼がいなければ何もできない女性になっていたなら、今頃泣きわめいて周囲に迷惑を掛けていただろう。
良くも悪くも意地を張り、自立した女性でいたいと思い続けた結果、かろうじて冷静さを保てている。
けれどそうなれたのは、側に佑がいて、何があっても自転車の補助輪のように支えてくれる安心感があったからだ。
佑の愛情がなければ、自分はここまで強くなれなかった。
「……一人でも立てる女性でいたいです。佑さんにおんぶに抱っこは嫌。彼に相応しい存在になりたくて、今まで頑張ってきました」
テーブルを拭き終わった香澄は、力なくダイニングチェアに座る。
斎藤も台所での仕事を終え、エプロン姿のまま向かいに座った。
「頼れる第二秘書になりたくて、身につけたものや経験は無駄にならないと思っています。……でも佑さんが私を必要としなくなったら……、どうしたらいいんでしょう」
人は約束された未来を失うと、こんなにもたやすく絶望してしまう。
「求められ、愛してくれるから、愛し返して役に立ちたいと思いました。勉強だってトレーニングだって、つらい目に遭っても佑さんがいるから頑張れたんです。……でも今の彼は私を求めていません。むしろ『どうしてそこにいるんだ』と戸惑った顔をするし、私を避けています」
本当はまだ彼を失った実感がなく、大きな喪失感は抱いていない。
「もしかしたら明日にでも思いだすのでは?」という希望を捨てきれていないし、悲しめばこの現実を認め、敗北した気持ちになると思っていた。
だからボロボロになりながらも、まだ現実に屈していないつもりでいた。
けれど今、香澄は気持ちを吐露しながら、気づかないうちに涙を流していた。
「大丈夫ですよ。……無責任な事しか言えなくてすみません。でも、信じましょう? 御劔さんは女性を無下に扱う方ではありません。周囲の言葉を無視してあなたを傷つける人ではないはずです」
「……そうですね……」
そうであると信じたい。
信じたいけれど、香澄が抱いている希望は弱々しく、儚い光だった。
「……女性として必要とされなくても、秘書として側にいさせてほしいです」
香澄は消え入りそうな声で言い、膝の上でギュッと拳を握る。
「好きな人に求められる事だけが存在意義、みたいな女性になりたくなかった。……でも、佑さんに必要とされなかったら……、私……っ」
最後の言葉は涙で歪んでしまった。
――あの頃に戻りたい。
――馬鹿な選択をして誘拐されず、佑さんを傷つけない過去に戻りたい。
そう思うと、もう駄目だった。
ポロッと涙が零れ、香澄は慌てて手で拭う。
佑と斎藤が気遣わしげにこちらを見たのが分かり、慌てて煮込みうどんを啜った。
「あつっ」
香澄はわざと大きめに声を上げ、二人に向けて笑ってみせた。
「やっぱり煮込みうどん、あつあつですね」
冗談めかして言ったあと、「びっくりして涙出ちゃった」と指で目元を拭う。
「気をつけて召し上がってくださいね。うどんは逃げませんから」
斎藤も笑いを誘う言い方をし、全員が微笑む。
ぎこちない空気を笑いで誤魔化したからか、そのあとは佑が纏っている雰囲気も柔らかくなった気がした。
それでも香澄を見ていると頭痛に見舞われるらしく、彼は食事を終えたあと「やる事があるから」と言って二階に上がってしまった。
斎藤が片付けを始め、香澄がそれを手伝う。
「……佑さんは、私がいないほうが楽なんでしょうか」
香澄はダイニングテーブルを台布巾で拭きながら、ポツンと呟く。
洗い物を終えてシンク周りを拭いていた斎藤は、その言葉を聞いて手を止めた。
「……おつらい気持ちは察します。どうしたら解決できるか分からないですし、出口のない迷路に迷い込んだような感じですよね」
言われて、言葉の通りだと思った。
上京して豪邸に住み、秘書だって初めてで、雲の上の人たちと接するのも緊張の連続だった。
テレビ局に出入りするようになり、頻繁に海外出張し、佑と一緒にいると金銭感覚までおかしくなってくる。
元の〝札幌生まれの赤松香澄〟がどんな価値観を持っていたか、何度も見失いかけた。
そのたびに軌道修正をし、地に足をつけた人でいようと努力し続けた。
佑は香澄に、「自分がいなければ何もできない女性になってほしい」と恐ろしい願いを抱いていたようだった。
(そうならなくて良かったな)
彼がいなければ何もできない女性になっていたなら、今頃泣きわめいて周囲に迷惑を掛けていただろう。
良くも悪くも意地を張り、自立した女性でいたいと思い続けた結果、かろうじて冷静さを保てている。
けれどそうなれたのは、側に佑がいて、何があっても自転車の補助輪のように支えてくれる安心感があったからだ。
佑の愛情がなければ、自分はここまで強くなれなかった。
「……一人でも立てる女性でいたいです。佑さんにおんぶに抱っこは嫌。彼に相応しい存在になりたくて、今まで頑張ってきました」
テーブルを拭き終わった香澄は、力なくダイニングチェアに座る。
斎藤も台所での仕事を終え、エプロン姿のまま向かいに座った。
「頼れる第二秘書になりたくて、身につけたものや経験は無駄にならないと思っています。……でも佑さんが私を必要としなくなったら……、どうしたらいいんでしょう」
人は約束された未来を失うと、こんなにもたやすく絶望してしまう。
「求められ、愛してくれるから、愛し返して役に立ちたいと思いました。勉強だってトレーニングだって、つらい目に遭っても佑さんがいるから頑張れたんです。……でも今の彼は私を求めていません。むしろ『どうしてそこにいるんだ』と戸惑った顔をするし、私を避けています」
本当はまだ彼を失った実感がなく、大きな喪失感は抱いていない。
「もしかしたら明日にでも思いだすのでは?」という希望を捨てきれていないし、悲しめばこの現実を認め、敗北した気持ちになると思っていた。
だからボロボロになりながらも、まだ現実に屈していないつもりでいた。
けれど今、香澄は気持ちを吐露しながら、気づかないうちに涙を流していた。
「大丈夫ですよ。……無責任な事しか言えなくてすみません。でも、信じましょう? 御劔さんは女性を無下に扱う方ではありません。周囲の言葉を無視してあなたを傷つける人ではないはずです」
「……そうですね……」
そうであると信じたい。
信じたいけれど、香澄が抱いている希望は弱々しく、儚い光だった。
「……女性として必要とされなくても、秘書として側にいさせてほしいです」
香澄は消え入りそうな声で言い、膝の上でギュッと拳を握る。
「好きな人に求められる事だけが存在意義、みたいな女性になりたくなかった。……でも、佑さんに必要とされなかったら……、私……っ」
最後の言葉は涙で歪んでしまった。
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