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第二十二部・岐路 編

助けて

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「香澄さん……!」

 御劔邸に着いて車から降りると、斎藤が駆けよってきた。

「ご無事で良かったです……!」

 涙ぐんだ彼女は優しく香澄を抱き締めてくる。

「貴恵さん、心配させてしまってすみません」

「いいえ、ご無事ならそれでいいんです」

 斎藤はそう言ったあと、気遣わしげに佑を見た。

「おかえりなさいませ、御劔さん」

「斎藤さん、ただいま。また宜しくお願いします。赤松さんの事は……、知ってるようですね」

(あ、そっか……)

 香澄は斎藤の態度を見て、彼女が事情を聞かされたのだと察した。

 そんな斎藤は、佑が「赤松さん」と呼ぶのを聞いて悲しげに表情を曇らせ、彼に香澄を『知ってるようですね』と言われて頷いた。

「ええ、とてもよく存じ上げています」

 斎藤は控えめな言葉ながら、強い眼差しで佑に訴える。

 それを聞き、佑は自分だけが彼女を覚えていない事を、責められたと感じたのだろうか。

 彼は「そうですか」と言って会釈し、先に邸内に入っていった。

 護衛たちは荷物の運び入れをし、香澄は斎藤と一緒にそれを見守っている。

「事情は松井さんからお聞きしました。おつらいかと思いますが、少しの我慢です。あんなに香澄さんの事が大好きだったんですから、大丈夫」

「……ありがとうございます」

 励まされても、香澄は弱々しく微笑むしかできなかった。





 随分久しぶりに思える御劔邸に入ると、斎藤がポンポンと背中を叩いてくる。

「お昼は煮込みうどんにしましょうか。温まりますし、お腹にも優しいと思いますから」

「はい」

 久しぶりに斎藤のご飯を食べられると思うと、落ち込んでいた気持ちが少し浮上する。

「帰ってきてすぐは億劫だと思いますから、十三時ぐらいにしましょうか。それまで一眠りしてきてください」

「分かりました」

 言う通りにしようと思った香澄は、斎藤に会釈をして二階に上がる。

 静かに階段を上がっていくと、佑が書斎にいる気配がした。

(佑さん、どんな気持ちなんだろう。知らない女性と一緒に暮らすなんて……)

 香澄は二階の廊下に立ち、彼の思いを想像する。

 自分に置き換えて考えてみれば、幾ら周りが婚約者だと言っていても、生活空間に知らない男性がいるなんて耐えられない。

 女性と男性とでは不快に思う理由が異なるので、香澄の場合と佑の場合は勿論異なるが。

(佑さんは女性関係で沢山嫌な思いをした。彼は今まで、社会的地位や顔、お金、色んなものを目当てに寄ってくる女性を嫌っていた。……家族や松井さんたちが私の事を『秘書で婚約者』と紹介しても、心の底には不安があるはず)

 溜め息をついた香澄は、佑に気づかれないように静かに廊下を歩き、自室に入るとドアを閉めた。

 コート類を脱いだあと、香澄はフラフラとベッドに向かってバフッと倒れ込んだ。

 この一年近くずっと寝起きしていた場所なのに、この豪華な部屋を使っていいのか不安になってしまう。

(……ここにいても、いつもみたいに佑さんが様子を見に来る事はないんだ。ラッキースケベを狙って、着替え中にすっとぼけて入ってくる事もない)

 今までの彼の行動を思いだし、「とんだセクハラ婚約者だな」とおかしくなり、香澄はクスッと笑う。

 ――でも、あの彼はもういない。

(これから、どうやって付き合っていけばいいんだろう)

 そう思い、香澄は静かに溜め息をつく。

(『佑さん』って呼んだら嫌がられるかな。……私生活でも『社長』って呼ぶの? ……やだな。それじゃあ、まるでこの家に秘書として居候させてもらってるみたいじゃない)

 居候の身なのは事実だが、香澄には婚約者だという自負があった。

 その関係が、佑の記憶一つで壊れてしまう。

「……どうすれば、いいんだろう」

 佑が刺されたものの奇跡的に大事には至らなかったし、こうして帰国し、帰宅できた。

 嬉しいはずなのに、これからどうすればいいか分からず未来が見えない。

「…………助けて……」

 小さな声で助けを求めたが、勿論誰の耳にも届かない。

 そのまま香澄は、胎児のように体を丸めて目を閉じた。

 ゆっくり休めるはずはないと思っていたのに、張り詰めていたものが切れてしまったのか、気がつけば眠りに淵に落ちていった。
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