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第二十一部・フェルナンド 編

香澄の〝はじまり〟

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 脳裏をまずよぎったのは、凄まじい怒気を発したフェルナンドの顔だ。

 続いて、何回も容赦なく打たれた痛みや、知らない場所に連れて行かれる恐怖が蘇る。

 それらを思い出した瞬間、香澄はブルッと体を震わせて、とっさに佑にしがみついた。

 佑はすぐに香澄の気持ちを察し、ギュッと抱き締める。

「大丈夫だ。香澄はもう、安全なところにいる」

「……うん……」

 トントンと背中を叩かれた香澄はゆっくり深呼吸し、助けを求めるように佑を見上げ、もの言いたげに口を開いた。

 ――キスして。

 香澄の望みを察した佑は、顔を傾けてキスをしてくる。

「ん……」

 ちゅ、ちゅ、と優しく唇をついばまれていくうちに、気持ちが落ち着いていく。

(佑さんの匂い……)

 抱き締められていると、彼のしっかりとした筋肉質な体を全身で感じられる。

 大きくがっしりとした体に密着していると、守られていると思えて安心した。

 唇を離したあと、香澄はもっと佑を確認したいと思い、彼の顔をジッと見る。

「ん?」

 微笑んだ彼は、相変わらず震えがくるほどの美形だ。

 美しいヘーゼルの目は、どれぐらい見つめても決して飽きない。

(……もう、あの青い目じゃないんだ)

 エイデン・アーチボルドのブルーアイを思いだし、香澄はギュッと目を閉じる。

〝あれ〟から半日、飛行機の中で美味しいお粥を食べたのは覚えているが、一回寝たからか記憶が曖昧になっていて、どこから現実でどこまで夢なのか判別がついていない。

「……私、もうロサンゼルスにいない?」

 尋ねると、佑が優しく答える。

「いないよ。香澄は今、フランスのパリにいる。香澄が望むならパリパリのクロワッサンでも、焼きたてのガレットでもクレープでも、パリグルメを何でも食べられるよ。今時期はニースのカーニヴァルがあるし、マントンのレモン祭り、その近くのマンドリュー・ラ・ナプールでミモザの祭りが開かれている。行こうと思ったら行けるけど、どう?」

 ニース以外の地名は分からないが、近くというなら地中海に面した土地なのだろう。

 パリはフランスの北部にあるし、地中海に行くには遠い。

 彼が気を遣ってくれたのは分かったが、仕事でパリに来たのだから我が儘は言えない。

 本場のグルメをまた食べられるだけで、万々歳だ。

「……んふ。お腹空いた。お祭りはいいよ」

 微笑んだ香澄は小さく溜め息をつき、もう一度佑に抱きつく。

「……今って、何月何日?」

「二月十六日」

 答えを聞いて、香澄はまた溜め息をついた。

 最後に東京にいたのは一月三十日で、それから色んな人に迷惑を掛けと思い、もう一度長く深く息を吐く。

「……松井さんや、他の皆さんは?」

「同じホテルにいるよ。彼らの事は気にしなくていい」

「でも……」

 松井と河野にはちゃんと謝らないといけないし、久住と佐野はバルセロナ以上に責任を感じているはずだ。

 香澄は何か言いたげに口を開いたが、彼女の頬を佑が両手でギュッと包んでくる。

「むっ」

 そして、しっかり彼女を見つめて言った。

「いいか? 香澄は被害者だ。松井さんだって河野だって、他の皆も、どうしようもない事だったと分かってる。香澄は彼らを、被害者に鞭打つ人だと思うか?」

 尋ねられ、香澄はフルフルと首を横に振る。

「もっと周りの人を信じていいよ。香澄は沢山傷付きすぎて、人を信じられなくなっている」

「そんな……」

 否定しようとしたが、悲しく微笑んだ佑は首を左右に振った。

「『この人なら怒らないだろう』という信頼ができていないんだ。どんな事が起こっても、香澄は『自分が全部悪い』と思ってしまう」

 言われて、その通りだと思った香澄はゆっくり体の力を抜いた。

 佑はそんな彼女をスツールに座らせ、目の前にしゃがむ。

「世の中の人は、香澄が思っている以上に優しいよ。嫌な事があった時、人は本能で同じ過ちを繰り返さないように、ネガティブな感情を恐怖やトラウマとして心に残してしまう」

 それを聞いて脳裏に浮かんだのは、飯山や真奈美、フェルナンドの顔だ。

 エミリアについては、直接酷い事を言われた記憶がないので何とも言えない。

「香澄の〝はじまり〟は、原西に傷つけられた事だ。何をされても怒りをぶつけられず、『自分さえ我慢すればいい』と思ってしまっただろう? それが今の香澄を形成してしまっている。『皆自分を馬鹿にするかもしれない、傷つけるかもしれない』と決めつけ、すべて自分が悪い事にしてコミュニケーションを諦めてしまうのは、悲しい事だよ」

「…………っ」

 心の奥底にある傷に触れられ、香澄はジワッと涙を滲ませる。
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