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第二十一部・フェルナンド 編

現実と気持ちの乖離

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 二人はドアマンに迎えられ、パリ二区にある五つ星ホテルの中に入った。

 時刻は八時前で、一階奥にあるレストランから朝食をとっている宿泊客のざわめきが聞こえる。

 佑と香澄がロビーのソファに座っている間、河野がフロントに向かって手続きを行う。

 周囲を見ると天上からは金色のシャンデリアが下がり、大きな窓ガラスの向こうには綺麗に整えられた中庭が見える。

 アール・ヌーヴォー様式のロビーを行き交う人々は、多国籍の言葉を話していた。

(……別世界にいるみたい)

 香澄は半日前までロサンゼルスの高級ホテルにいて、さらにその前は豪華客船で太平洋を横断し、ずっと人身売買の恐怖と戦っていた。

 なのに今は佑や松井たちと同行し、遠く離れたパリの高級ホテルにいる。

 あの恐怖は嘘だったのかと思い、現実と気持ちが乖離して頭がボーッとしてくる。

「……佑さん……」

 香澄は小さな声で彼の名前を呼び、寄りかかって手を握る。

「大丈夫」

 佑は香澄の言いたい事を察し、囁くとこめかみにキスをしてきた。

「何も考えなくていい。部屋に着いたらベッドでゆっくりして」

「ん……」

 記憶は五感と結びついている。

 起きたら夢の内容は忘れているのに、ベッドに横になるとフッと夢を思いだす事がある。

 香澄は〝欧米の高級ホテルにいる〟環境から、様々な事を思いだそうとしていた。

(ロサンゼルス……、ロンドン……、エミリアさんと一緒で……、青い、ドレス、……アンクレット、………………フェル、ナン…………)

 香澄は佑の手をギュッと握り、ふーっ、ふーっと荒くなった呼吸を落ち着かせようとする。

「香澄、大丈夫だ。大丈夫、落ち着いて」

 佑の声、日本語を聞いて、香澄は必死に自分に言い聞かせる。

(大丈夫なんだよ。ここはもう大丈夫。誰も私を害する人はいない。側に佑さんがいる。松井さんも河野さんも、護衛の皆さんも皆いる。もう私は売られないし、叩かれたりもしない。皆私に優しくしてくれるし、もう安心していいんだから……)

 涙で潤み、少し焦点の合っていない彼女の目を見て、佑は彼女の目元を手で覆った。

「大丈夫」

 佑はそう言ってキスをし、香澄も視界を塞がれたなか必死に彼の唇を求める。

 目を閉じて佑の柔らかな唇をついばんでいると、彼が両手で香澄の耳を塞いできた。

 するとホテルの喧噪が聞こえなくなり、自分たちのリップ音が脳内に響く。

(佑さんがいる……。佑さんとキスしてる)

 激しいストレスで脳内が焼き切れそうになっていた香澄は、公衆の面前でキスしている事すら失念していた。

 佑の優しいキスに夢中になっているはずなのに、香澄は、この唇が〝誰〟のものなのか自信がなくなってしまう。

 少し顔を引くと、香澄の意図を汲んで佑がキスをやめる。

 心配そうに見つめてくる佑の目を見て、香澄は泣きそうな表情で不器用に笑った。

「……瞬きするの、勿体ないなぁ……。ずっと佑さんを見ていられたらいいのに」

 そう言うと、切なげに笑った佑に手を握られた。

「大丈夫。側にいるから」

 香澄の手は小さく震えていたが、佑の温かく大きな手に握られているうちに、少しずつその震えは落ち着いていった。

 その時、河野がホテルスタッフと共に戻って来て、以前泊まったスイートルームに向かう事になる。

 いつもなら香澄は人前でベタベタしたがらないのに、今は甘えるように佑に身を寄せ手を繋いでいる。

 幸い、パリにいれば恋人同士が寄り添うのは当たり前で、二人を特別な目で見る者は誰もいない。

 スイートルームに入って二人きりになったあと、香澄は疲れを覚えてソファに座り込む。

 室内はモダンな作りで、エミリアと泊まったホテルとはまったく雰囲気が違うので、香澄の恐怖は少しずつ薄れていった。

「香澄、チョコレート食べる?」

 テーブルの上にはウェルカムスイーツに、綺麗なマカロンとチョコレートが置かれてあり、ワインクーラーの中には、リボンが結ばれたシャンパンボトルもあった。

「……ん、食べる」

 微笑むと、佑がチョコレートを一つ摘まんで、香澄の口に押し込んでくる。

「あむ」

 すると香澄は、ふざけて佑の指先もあむあむと囓った。

「っはは、噛みつき癖のあるうさぎだな」

 佑の笑顔を見ると、フワッと心の中が温かくなる。

 ソファに座った佑にもたれ、チョコレートの品のいい甘さに心を癒されていた時、佑のスマホが鳴った。
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