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第十九部・マティアスと麻衣 編

会話をしてくれ

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「ここだな」

 マティアスは部屋番号を確認し、鍵を開ける。

 彼はそのまま部屋に入っていくので、麻衣もおっかなびっくり続いた。

「わ……わぁ……」

 目に映ったのは、ラブホテルと思えない内装だ。

 ゆったりと座れるカウチソファがあり、大きなベッドの前にはヴェールのような薄いカーテンが掛かっていた。
 室内にはマッサージチェアが二機あり、洗面所を覗くとドライサウナまで完備されてある。

「なかなか快適そうだな。風呂は……」

 そう言ってマティアスがバスルームを覗く。
 彼の背中からソロッと覗くと、円形のジェットバスがあって、花びら風呂にするためのプルメリアが小さな籠に入っていた。

(お……お花のお風呂とか……)

 勿論、憧れていた。
 憧れていたものの、例によって自分には似合わず、縁のないものと思っていた。

 マティアスは照れた様子もなく、いつもの表情で尋ねてくる。

「とりあえず食事にしようか。そこにフードメニューがあるから見てみよう」

 そう言ってマティアスはコートを脱いでハンガーに掛け、麻衣に向かって「ん」とコートを差しだすよう求めてくる。

「えっ? えぇあぁはい!」

 麻衣は慌ててマフラーを外してコートを脱ぎ、マティアスに渡す。

 所在なく立っていると、マティアスがソファに座ってポンポンと横を叩いた。

「ホラ、マイ。好きな物を選べ。ここには誰もいない。何でも好きな物を食え。俺も割と食うほうだ。何なら沢山頼んでシェアしよう」

 そう言ってマティアスは麻衣にもメニューを見せて、一緒に覗き込んでくる。

(わっ……)

 今まで何度か、彼と接近するたびに「いい匂いがする人だな」と思っていた。

 香澄は「佑さんっていい匂いがするの」とときめいていたが、その惚気に初めて共感できた。

 マティアスの香りが、フワッと香る。
 男性的な深く渋い香りだが、どこか甘さがあってとてもセクシーな匂いだ。

(うう……、う……)

 赤面して困っていると、肩や二の腕にマティアスの胸元が触れ、彼の体温が伝わってくる。

(待て待て待て待て待て待てっっっ……!!)

 ラブホテルでマティアスと密着していると客観的に思うと、どうするのが〝正解〟なのか分からなくて硬直してしまう。

 マティアスは赤面した彼女の心中を知らず、マイペースに尋ねてきた。

「これはどうだ? ローストビーフの温泉卵のせ。美味そうだな」

「うう」

「牛カットステーキは勿論食べるだろう?」

「うう」

「サラダも一応頼んでおこう。……ああ、このアジア風サラダはパクチーが入っているな。シーザーサラダは好きか?」

「うう」

「飯はどうする? ローストビーフ丼も海鮮丼もあるぞ。それともピザかパスタにするか?」

「うう」

「何なら、全部頼むか?」

「うう」

 半分呆けたまま呻き声を上げていると、マティアスが両手で麻衣の頬を包んできた。

「マイ? 俺と会話をしてくれ。本当に全部頼んでもいいんだが」

「びゃっ!!」

 目の前にマティアスの顔が迫り、麻衣は全力で後ずさる。
 その結果、ソファからずり落ちそうになり、「危ない」とマティアスに抱き留められた。

「――――」

 最終的には、まるでタンゴか何かのようにのけぞった体勢になってしまう。

(どうしてこうなった)

 彼は麻衣を大切そうに抱き寄せ、麻衣の髪を優しく撫でてきた。
 ビクッとして首を竦めると、彼が苦笑した。

「まるで人慣れしてない猫みたいだな」

(猫!? 私が!? 猫!? 豚じゃなく!?)

 目をまん丸にして固まっていると、彼が顔を近づけ目を合わせてくる。

「頼むから会話をしてくれ。一人で喋っているのは寂しい。昼間は沢山話してくれたじゃないか」

「ご……ごめん……」

 確かに照れていたとはいえ、ろくに返事をしていなかった。
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