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第十五部・針山夫婦 編

第十五部・序章 お詫びの菓子折

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 十一月二十五日、月曜日。

 香澄はネイビーのワンピースにアイボリーのジャケットを着て、両手に菓子折を持って秘書課のドアの前で緊張していた。

 側には河野がいる。

「赤松さん。お気持ちは察しますが、スピーディーに事を進めなければ業務に戻れません」

「は、はい」

 少し早めに出社してから、香澄は松井と河野に平謝りをし、それから秘書課に謝りがてら菓子折を配る旅にでた。

 河野が同行しているのは、〝何かあった時のフォロー要員〟だ。

 ここで佑が同行すれば、社員たちが萎縮する。
 香澄も虎の威を借る狐のようで嫌だと言い、緊張で胃を痛くしつつも自ら向かう事を望んだ。

 深呼吸をして「よし」と決意すると、香澄はドアをノックし自ら開けた。

「失礼します」

 広々とした空間にいた秘書たちが、いっせいに香澄を見た。

(うっ)

 ぐっと緊張してさらに胃が痛くなるが、香澄は深く頭を下げた。

「赤松香澄、復帰しました。前回も復帰してすぐに病気休暇を頂き、長らくお休みを頂いて申し訳ございませんでした。以後、心を入れ替えて勤めさせて頂きますので、何卒変わらぬご指導、ご鞭撻のほどを頂けたらと思います」

 しばらく頭を下げていると、誰かが拍手をした。

(え?)

 おそるおそる顔を上げると、男性秘書が立ち上がり微笑みながら手を叩いている。

井内いうちさん」

 その男性秘書は、副社長の第一秘書だ。
 佑と同じくらいの年齢で、清潔感のあるアナウンサーっぽい雰囲気がある。

「チラッとしか聞いていませんが、大変だったみたいじゃないですか。骨折したあとに病気になって災難でしたね。社長秘書の仕事はハードですが、無理をせず少しずつ馴染んでください」

「ありがとうございます」

 社長秘書室は社長室の隣に部屋があるが、秘書課は別のフロアになる。

 秘書課内で会議をする事はあれど、基本的に社長秘書は独立して動いている。

 基本的に秘書は、役員秘書と、通常業務をオフィスで行う秘書の二種類がある。

 役員秘書は役員に同行して随時仕事をこなしていくのに対し、他の者は役員秘書の分も含め、スケジュール調整などをこなす縁の下の力持ちだ。

 その他にも秘書課から社長秘書室に資料を持ってくる事もあり、まったく顔を合わせていない訳ではない。

 香澄たちも所属としては秘書課で、一応飲み会にも誘われている。

 しかし松井は基本的に参加せず、妻との時間を大切にしている。
 河野は趣味を優先していて、香澄も「それなら私も遠慮します……」という感じで参加していない。

 佑や運転手、護衛を含めた社長直属の者では飲み会をする事がある。

 そういう意味で、香澄は秘書課と微妙な関係にあった。

 なので香澄は秘書課の人と話すとなると、異様に緊張してしまうのだ。

「あの、これ。どうぞお召し上がりください」

 差しだしたのは、帰国してから取り寄せた国内菓子ブランドの菓子折だ。

 ヨーロッパにいた時はあちらで買った物を……と考えたが、あれは旅行中に浮かれて考えた事なので没にした。
 何をどう考えても、病気休暇をもらっていた間にヨーロッパに行き、そのお土産を出すなど狂気の沙汰だ。

 いつも現実的な事を考えているつもりだったが、あの時は異国にいて調子に乗っていた。

 病気休暇中に旅行に行ってもおかしくないと、佑や麻衣、いつもの三人組は励ましてくれた。
 だが一般社員の感覚で考えれば、面白くなくて当然だ。

(思い直して良かった……)

 井内が菓子折を受け取りにきたので、香澄はペコリと会釈して彼に手渡した。

「赤松さん、そんなに申し訳なさそうな顔をしなくていいですからね。仕方のない事なんですから。このお菓子はありがたく秘書課で頂きます」

 ニコリと微笑まれ、少し気持ちが軽くなる。

 松井の話では、井内は秘書課のまとめ役だと聞いた。
 だからなのか、彼が香澄を励ましたので他の誰は何も不満を訴えなかった。

 けれど表情は不満たっぷりだ。

(いやみを言われても仕方がないのに、井内さんが気を遣ってくれたんだ)

「本当に申し訳ございませんでした。以後気を付けます」

 もう一度深く頭を下げ、香澄は秘書課を後にした。

「お疲れ様です」

 今までの空気を感じ、やり取りを聞いていたはずなのに、河野は相変わらずだ。

 逆にその態度に頼もしさを感じ、香澄は苦笑してから歩き始めた。
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