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第十四部・東京日常 編

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「佑さん?」

 小さく声を掛けても反応はなく、香澄は手で佑の額に触って熱を測る。

「……熱い」

 嫌な予感が的中したと確信した途端、香澄はパッと踵を返した。

 すぐにリビングに向かい、フロントに電話を掛ける。

『もしもし、フロントでございます』

「あの、スイートに宿泊しております御劔ですが、たす……か、彼……こ、恋……こ、こ、婚約者が熱を出しているようなので、体温計や保冷剤などがありましたら、持って頂けると助かります」

 真面目にならないといけない時なのに、第三者に佑の事をどう説明したらいいか迷って、言葉に詰まってしまった。

『かしこまりました。すぐに手配致します』

「彼は眠っていますので、ドアをノックしてくださったら、すぐ対応しますので」

『承知いたしました』

 電話を切ったあと、香澄は少しウロウロしてから洗面所に向かう。

(ハンドタオルを借りよう)

 フェイスタオルより、小さめで扱いやすいハンドタオルを濡らして絞り、タタタ……と小走りに佑のもとに向かう。

「佑さん、おでこ冷やすよ」

 小さく言って彼の前髪を掻き上げ、タオルをのせる。
 すると佑がうっすら目を開いた。

「……香澄……?」

「つらいでしょ、きっと熱が高いと思う。今、体温計や保冷剤を持って来てもらってるからね。あ、ティッシュも持ってくるね。洟は? 大丈夫?」

 香澄は佑の返事を待たず、パタパタとまた洗面所に向かい、ティッシュボックスを持ってきた。

 ベッドルームに入ると、佑は熱を確かめようとしたのか、布団から手を出していた。

「いま体温計を持って来てもらうから、大人しくしてて」

 佑の手を両手で握ると、やはり熱い。

「……香澄の手、ひんやりしてて気持ちいい……」

 そう言う声も、どこかかすれている。
 どうやら鼻風邪ではなく、熱が体にこもっているようだ。

「やっぱり風邪もらったんだね。明日の朝、お粥を頼もうね」

「……いや、もともと疲労が溜まると熱を出しやすい体質だから」

 佑からすればイギリスでの事件以降緊張する事が多く、ようやく最近になって落ち着いてきたところだ。

 緊張の糸が切れて、気が緩んだところで風邪をうつされ、いつもなら跳ね返す強さがあったが、今回ばかりは負けてしまった……という感じだろうか。

「寝てないと駄目だよ」

 佑が起き上がろうとするので、香澄は焦って彼を止める。

「……いや、解熱剤を飲もうと思って」

「……ん……」

 ここで佑に薬を飲ませていいのか、香澄は判断に苦しむ。

 普通なら、医師の診察を受けて処方箋を出してもらい、薬を飲むという手順を踏まなければいけない。
 いくら佑が仕事を休めない人でも、そのルールを破って自分の判断で薬を飲んでいいのだろうか。

 考えながらずっと手で佑を押さえていたので、彼も不審に思ったようだ。

「香澄? そうやって押さえられてると、薬が飲めないけど」

 クスッと笑われたが、香澄は「うーん」と考えたまま決断できずにいる。

「治ってほしくない?」

 こんな時まで、佑は香澄の気持ちを和ませようとする。

 今までもこうやって気丈に振る舞って、つらい時も一人で耐えていたのかと思うと切なくなった。

「ううん。そんな事ないよ。……でも、お医者さんに確認せずに薬を飲んでいいのかな? って気になってしまって。勿論、早く良くなってほしい。でも〝薬〟だから、変な事になったら……って心配になっちゃって。……ごめんなさい。ちょっと冷静になれてないかも」

「心配してくれてありがとう。……じゃあ、明朝に、かかりつけの医師に来てもらうよう手配しよう」

 そう言って佑がまた起き上がろうとするので、香澄は慌てて止める。

「私が松井さんに連絡するから、寝てて」

「……分かった」

 香澄は安心し、横になってくれた佑の額にまたタオルをのせた。
 それからタオルが冷たいのを確認し、またマスターベッドルームに向かった。

(ていうか、私も高村先生の連絡先は知ってるけど……)

 高村とは、佑のかかりつけ医だ。

 香澄は私用と仕事用、二台のスマホを持ち歩いている。

 仕事用のスマホを出すと電話帳をめくり――、「でも」と唇を噛む。

(佑さんの名前を出したら一発かもしれない。でも秘書になって日が浅い私がお願いしたら、真夜中の連絡は『失礼だ』って怒られないかな。機嫌を損ねて診察してもらえなかったら嫌だ)

 佑や松井から高村という、高齢のかかりつけ医がいる事は教えられていたが、少し癖のある人だとも言われていた。

 医者だから担当患者が具合を悪くしているのに、往診してくれないなどないだろう。
 だが香澄は高村に連絡するのは初めてなので、今の状況もあり不安が増してしまった。

 そして迷ったあと、松井を頼る事にした。
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