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第十三部・イタリア 編
もう少し肩の力を抜きたまえ
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『その通りだ。君を傷付ける事を言うが許してほしい。君は自分の理想のお姫様を守りたいがために、現実の彼女を無視して〝こうあって欲しい〟という姿を押しつけようとしている。女性は本来、とてもしたたかだ。妻を亡くした男たちがカフェに入り浸って慰め合っている間、夫を亡くした妻たちは友人同士で世界旅行に行っている』
最後は朗らかに笑い、マルコはティーカップの残りを飲み、おかわりを注ぐ。
『君の気持ちは、若い頃の私そっくりだからとても分かる。だが大事にすればするほど、彼女は成長できなくなると理解しているはずだ。好きな女性を囲い、自分だけ見てほしいと願うのは甘美な夢だ。私もカロリーヌに望んだ事がある。しかし……聡い君なら分かるな? それは対等な関係ではない。ドールハウスの人形で遊ぶのと同義だ』
マルコの言う事が正論すぎて、胸が痛い。
だが身内ではない、恩人で尊敬している彼から言われた言葉だからこそ、とても響いた。
『獅子は子を千尋の谷に落とす。……そこまでしなくてもいいが、香澄さんの自転車の補助輪を外し、後ろから見守る事はできないかね?』
『……難しいですが、努力します』
苦く笑った佑のティーカップに、マルコはおかわりを注ぐ。
『最初はとても難しいだろう。君たちは付き合ってまだ一年も経っていない。まだまだ互いを想い合い、愛しくて堪らない時期だ。だからこそ、鉄は熱いうちに打つんだ。初期の付き合いで形成された関係が、結婚後もずっと続いていく。君に必要なのは香澄さんを尊重して〝適度に〟甘やかす事だ。勿論、恋人の時間は大切にしたまえ』
『……はい』
佑は紅茶を口に含み、フルーティーな香りを味わって嚥下する。
『君も、もう少し肩の力を抜きたまえ。あの事件があって彼女が心配なのも分かるし、多忙なのも分かる。付き合い立ての喜びから、彼女のためにあれこれしてあげたくなるのも分かる。だが一番大切なのは君の心と体だ。私の目から見ても、君は摩耗している。少しスケジュールを抑え気味にして、のんびり過ごしてみてはどうかね?』
『そう……ですね』
今まで周囲から「働きすぎ」と言われていても、体力作りはしているし、よく食べて寝ているから大丈夫だと思っていた。
香澄を側に置くようになり、さらに彼女の事を考え、デートをしてセックスする体力も必要になった。
彼女と過ごす日々は楽しくて仕方がないし、「もっと、もっと」と望む自分がいる。
だが表には出さないものの、心の隅に「今のハイペースがガクンと落ちた時、どうなるのだろう?」という怖れもあった。
周囲の人には何を言われても「そうだな」と言って流していたが、マルコに言われてさすがに己を鑑みた。
そう思えたのは、何よりもマルコが佑より圧倒的な財を築き、世界的に有名な企業の経営者だからだ。
人は自分と同じ経験をし、似た環境に身を置いている、尊敬できる〝上〟の人なら、話を聞き入れる事が多い。
両親や親戚、部下から何を言われても、佑は「まだ頑張れる」と自身に鞭を入れていた。
しかし自分にまったく忖度しない、尊敬と恩がある彼の言葉を聞いて、ようやく目が覚めた気がした。
『香澄さんがイタリア観光したいと言うなら、私やルカが付き合おう。パオラも適任かもしれないが、あの子はいま目の離せない子がいるからな』
『ええ』
提案されて「気持ちはありがたいが、外国で香澄を一人にできない」と思いかけ、こういうところが駄目なのかと項垂れた。
佑の心情が手に取るように分かるのか、マルコは肩を揺らして笑った。
『ほら、また過保護になろうとしているな。君も生真面目だな。すべて自分で管理し、確認しないと気が済まないだろう。頼もしいリーダーではあるが、そのうち過労死するタイプでもあるぞ』
過労死と言われ、ドキッとした。
『若くて美しい香澄さんを未亡人にしたくなければ、適度に気を抜いて、休む時はすべてのスイッチを切りたまえ。ローマにいる間、離れで香澄さんを抱き締めて過ごしても構わない。食事は母屋に来てくれれば何でもだすし、気分を変えたかったら皆で食事をしに行こう。君にはそういう、心安らげる時間が必要だ』
『そう……ですね』
佑は椅子の背もたれに体を預け、ぼんやりとサンルームの中を見る。
そしてマルコの足元に座っている犬たちを見て、力ない笑みを浮かべた。
今の自分の心を分析すれば、香澄を心配する気持ち、仕事、エミリアとフランクへの憎しみ、そして自己嫌悪と後悔で一杯だ。
どこにも優しくて穏やかな余白がない。
『……お言葉に甘えたいと思います』
『ああ』
佑の答えを聞いて、マルコは本当の祖父のように優しく微笑んだ。
最後は朗らかに笑い、マルコはティーカップの残りを飲み、おかわりを注ぐ。
『君の気持ちは、若い頃の私そっくりだからとても分かる。だが大事にすればするほど、彼女は成長できなくなると理解しているはずだ。好きな女性を囲い、自分だけ見てほしいと願うのは甘美な夢だ。私もカロリーヌに望んだ事がある。しかし……聡い君なら分かるな? それは対等な関係ではない。ドールハウスの人形で遊ぶのと同義だ』
マルコの言う事が正論すぎて、胸が痛い。
だが身内ではない、恩人で尊敬している彼から言われた言葉だからこそ、とても響いた。
『獅子は子を千尋の谷に落とす。……そこまでしなくてもいいが、香澄さんの自転車の補助輪を外し、後ろから見守る事はできないかね?』
『……難しいですが、努力します』
苦く笑った佑のティーカップに、マルコはおかわりを注ぐ。
『最初はとても難しいだろう。君たちは付き合ってまだ一年も経っていない。まだまだ互いを想い合い、愛しくて堪らない時期だ。だからこそ、鉄は熱いうちに打つんだ。初期の付き合いで形成された関係が、結婚後もずっと続いていく。君に必要なのは香澄さんを尊重して〝適度に〟甘やかす事だ。勿論、恋人の時間は大切にしたまえ』
『……はい』
佑は紅茶を口に含み、フルーティーな香りを味わって嚥下する。
『君も、もう少し肩の力を抜きたまえ。あの事件があって彼女が心配なのも分かるし、多忙なのも分かる。付き合い立ての喜びから、彼女のためにあれこれしてあげたくなるのも分かる。だが一番大切なのは君の心と体だ。私の目から見ても、君は摩耗している。少しスケジュールを抑え気味にして、のんびり過ごしてみてはどうかね?』
『そう……ですね』
今まで周囲から「働きすぎ」と言われていても、体力作りはしているし、よく食べて寝ているから大丈夫だと思っていた。
香澄を側に置くようになり、さらに彼女の事を考え、デートをしてセックスする体力も必要になった。
彼女と過ごす日々は楽しくて仕方がないし、「もっと、もっと」と望む自分がいる。
だが表には出さないものの、心の隅に「今のハイペースがガクンと落ちた時、どうなるのだろう?」という怖れもあった。
周囲の人には何を言われても「そうだな」と言って流していたが、マルコに言われてさすがに己を鑑みた。
そう思えたのは、何よりもマルコが佑より圧倒的な財を築き、世界的に有名な企業の経営者だからだ。
人は自分と同じ経験をし、似た環境に身を置いている、尊敬できる〝上〟の人なら、話を聞き入れる事が多い。
両親や親戚、部下から何を言われても、佑は「まだ頑張れる」と自身に鞭を入れていた。
しかし自分にまったく忖度しない、尊敬と恩がある彼の言葉を聞いて、ようやく目が覚めた気がした。
『香澄さんがイタリア観光したいと言うなら、私やルカが付き合おう。パオラも適任かもしれないが、あの子はいま目の離せない子がいるからな』
『ええ』
提案されて「気持ちはありがたいが、外国で香澄を一人にできない」と思いかけ、こういうところが駄目なのかと項垂れた。
佑の心情が手に取るように分かるのか、マルコは肩を揺らして笑った。
『ほら、また過保護になろうとしているな。君も生真面目だな。すべて自分で管理し、確認しないと気が済まないだろう。頼もしいリーダーではあるが、そのうち過労死するタイプでもあるぞ』
過労死と言われ、ドキッとした。
『若くて美しい香澄さんを未亡人にしたくなければ、適度に気を抜いて、休む時はすべてのスイッチを切りたまえ。ローマにいる間、離れで香澄さんを抱き締めて過ごしても構わない。食事は母屋に来てくれれば何でもだすし、気分を変えたかったら皆で食事をしに行こう。君にはそういう、心安らげる時間が必要だ』
『そう……ですね』
佑は椅子の背もたれに体を預け、ぼんやりとサンルームの中を見る。
そしてマルコの足元に座っている犬たちを見て、力ない笑みを浮かべた。
今の自分の心を分析すれば、香澄を心配する気持ち、仕事、エミリアとフランクへの憎しみ、そして自己嫌悪と後悔で一杯だ。
どこにも優しくて穏やかな余白がない。
『……お言葉に甘えたいと思います』
『ああ』
佑の答えを聞いて、マルコは本当の祖父のように優しく微笑んだ。
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