上 下
698 / 1,549
第十一部・スペイン 編

スペインの魂

しおりを挟む
 フラメンコシューズは靴裏のつま先と踵に釘が何本も打ち付けられている。

 だからタップダンスのように、ステップを踏むごとに音が出るのだ。

 サパテアードと呼ばれるステップの技術が見せ場となり、曲の盛り上がりには凄まじいステップが繰り広げられる。

 ステップの音を聞いていると、静けさと烈しさが打ち寄せ、まるで音の海にいるようだ。

 香澄は波打ち際で耳を澄まし、圧倒的な音とリズムの洪水に晒される。

 床を打ち抜きそうな勢いの高速ステップに息を止めたあと、ドッと蹴るほどの烈しさで靴裏が床を蹴り、呼吸のタイミングを知らせる。

 カンタオールの呼びかけるような歌声に、カンタオーラが少し掠れた迫力のある歌声で応える。
 絶え間なく聞こえる手拍子に、ステップの音、曲によって軽快なカスタネットの音が混じり、香澄を夢中にさせる。

 カーネーションのようなドレスが翻り、バイオーラはスカートを穿いているというのに惜しげもなく脚を見せた。
 そして「私の魂の踊りを見て」と言わんばかりにステップを刻み、大胆にスカートを蹴り上げる。

 絶え間ないリズムの間で静と動が躍動し、大きくないステージの上で熱気が迸る。

 奏者もダンサーも、全員何かに憑かれたかのような雰囲気を醸し出していた。

 喜び、激しい悲しみ、怒りすらも舞踊に変え、日本人である香澄すらゾクゾクするスペインの魂がここに降りている。

 香澄は両手にナイフとフォークを持ったまま、魂を抜かれたようにステージに見入っていた。

 それを佑が微笑んで見ていたのも知らず、魂そのものに訴えかける素晴らしいショーに心を震わせる。

 一時間十分。

 濃厚な時間が終わった時には、香澄は全身に鳥肌を立て涙ぐんでいた。

 立ち上がって掌が痛くなるほど拍手をし、最後には手を合わせて拝んでしまう。

「どうだった?」

 佑に尋ねられ、香澄はまだ放心したまま椅子に座り直す。
 目の前にはデザートのチョコレートがあり、気持ちを落ち着けるために一つぱくんと口に入れた。

「凄かった……」

「連れてきて良かった」

 佑が幸せそうに笑い、「この人は……」と香澄も思わず微笑む。

 喜ぶだけで「何よりの幸せ」という顔をされると、何が何でも幸せでいないとという気持ちになる。

 ワインを飲み干したあと、次のショーの予定もあるので早めにタブラオを出た。



**



 ホテルの部屋に戻った香澄は、ほろ酔いになってふざけている。

「んふふ」

 香澄はワインレッドのドレスのスカートを摘まみ、フラメンコダンサーになったつもりでクルクルと回った。

 さすがにあのステップはできないし、手拍子も指鳴らしもリズムが掴めない。

 そもそも指鳴らしがまともにできない。
 やってみたらスカッと指が擦れる音がするだけだ。

 それでも香澄はあの感動に包まれたまま、子供のようにはしゃいでいた。

「あんまり回ると酔っ払うぞ」

 ネクタイを解きジャケットを脱いだ佑が、笑いながら言う。
 香澄はバイオーラを真似てショールをヒラヒラと動かした。

「んっふふふふ……っあぁ」

 クルクルと回ったあと、香澄はとうとう目を回してベッドにダイブしてしまう。

「素敵だったぁー……」

 香澄は天井を見上げ、クスクス笑う。
 酔いと、回転したので視界がグルグルするが、気持ち悪いというほどではない。

 仰向けになっていると、この世界で一番格好いいと思っている人が顔を覗かせ、困ったように笑う。
 シャツが半脱ぎなのが何とも色っぽい。

「ほら、香澄。苦しいだろ。少し楽にしてあげるから」

「んー」

 ゴロリと体をうつ伏せにされたかと思うと、佑が背中のファスナーを下げてブラジャーのホックを外してくれた。
 胸元の締め付けがなくなり、香澄はハ……と息をつく。

「はい、腕抜いて」

 佑がワインレッドのドレスを脱がせ、皺にならないようハンガーに掛けてくれた。

「ありがと……」

 眠たくなって目元をトロトロとさせた香澄は、歯磨きと洗顔をしていない事に気づく。

「んー……」

 ムクリと起き上がり、腕に絡まっていたブラジャーをポイとベッドに放る。

 そして裸足のままペタペタと洗面所に向かって、メイクを落とし始めた。
しおりを挟む
感想 556

あなたにおすすめの小説

『逃れられない淫らな三角関係』番外編 ヘルプラインを活用せよ!

臣桜
恋愛
『逃れられない淫らな三角関係』の番外編です。 やりとりのある特定の読者さまに向けた番外編(小冊子)です。 他にも色々あるのですが、差し障りのなさそうなものなので公開します。 (他の番外編は、リアルブランド名とかを出してしまっている配慮していないものなので、ここに載せるかは検討中)

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

ハイスペック上司からのドSな溺愛

鳴宮鶉子
恋愛
ハイスペック上司からのドSな溺愛

地味女で喪女でもよく濡れる。~俺様海運王に開発されました~

あこや(亜胡夜カイ)
恋愛
新米学芸員の工藤貴奈(くどうあてな)は、自他ともに認める地味女で喪女だが、素敵な思い出がある。卒業旅行で訪れたギリシャで出会った美麗な男とのワンナイトラブだ。文字通り「ワンナイト」のつもりだったのに、なぜか貴奈に執着した男は日本へやってきた。貴奈が所属する博物館を含むグループ企業を丸ごと買収、CEOとして乗り込んできたのだ。「お前は俺が開発する」と宣言して、貴奈を学芸員兼秘書として側に置くという。彼氏いない歴=年齢、好きな相手は壁画の住人、「だったはず」の貴奈は、昼も夜も彼の執着に翻弄され、やがて体が応えるように……

辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

鳴宮鶉子
恋愛
辣腕同期が終業後に淫獣になって襲ってきます

【R18】深層のご令嬢は、婚約破棄して愛しのお兄様に花弁を散らされる

奏音 美都
恋愛
バトワール財閥の令嬢であるクリスティーナは血の繋がらない兄、ウィンストンを密かに慕っていた。だが、貴族院議員であり、ノルウェールズ侯爵家の三男であるコンラッドとの婚姻話が持ち上がり、バトワール財閥、ひいては会社の経営に携わる兄のために、お見合いを受ける覚悟をする。 だが、今目の前では兄のウィンストンに迫られていた。 「ノルウェールズ侯爵の御曹司とのお見合いが決まったって聞いたんだが、本当なのか?」」  どう尋ねる兄の真意は……

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

若社長な旦那様は欲望に正直~新妻が可愛すぎて仕事が手につかない~

雪宮凛
恋愛
「来週からしばらく、在宅ワークをすることになった」 夕食時、突如告げられた夫の言葉に驚く静香。だけど、大好きな旦那様のために、少しでも良い仕事環境を整えようと奮闘する。 そんな健気な妻の姿を目の当たりにした夫の至は、仕事中にも関わらずムラムラしてしまい――。 全3話 ※タグにご注意ください/ムーンライトノベルズより転載

処理中です...