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第十一部・スペイン 編

掌中の珠

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 今エミリアの身柄は、信頼できる人に任せている。

 佑は自分の人間性を殺して、ひと一人の人生と人権を奪った。

 罪悪感などないはずなのに、心の一部が凍り付いて麻痺し、いくら香澄で温めても戻ってくれない。

 その冷えた部分が、時々暴走するのだ。

 香澄に心配を掛けられると、その冷え切った部分が急にマグマのように煮えたぎり、制御不能になる。

 懸命に押さえつけても、香澄の安全と無事を確かめないとマグマは落ち着いてくれない。

 ニセコの時にもタガが外れ、バルセロナで香澄がフェルナンドという男について行ったと聞いた時もタガが外れた。

 あの事件以来、自分が自分でなくなっていきそうな気がして、恐怖が増している。

 表向き〝御劔佑〟という存在を完璧にキープし、仕事も社交もそつなくやってのけている。

 けれど長年自分を知る松井などは、時々探るような目をして「大丈夫ですか?」と尋ねてくる。

 佑自身、自分が大丈夫なのか、大丈夫でないのか分からない。

 普通に過ごしていれば大丈夫と言えるし、香澄が関わると大丈夫と言いがたい。

 今まで〝御劔佑〟を素でできていたのに、今は必死になって〝御劔佑〟を演じている気がする。

 能力的にはすべて問題なくできている。むしろ香澄が戻ってからは絶好調だ。

 けれど、掌中の珠とは誰が言っただろうか。

 佑は龍で、香澄は龍の玉かもしれない。

 あらゆる幸運や運気を引き寄せる玉――佑にとっての幸福のシンボルが、一度奪われかけた。

 玉を奪われた龍は荒れ狂い、天変地異を起こす。

 龍から宝物を奪っておきながら、元に戻してすぐ龍が元通りになるはずもない。

 長いあいだ不機嫌でいるかもしれないし、近付く者に威嚇するかもしれない。
 何よりも大切な物を奪われる事を恐れ、怯えて、攻撃的になってもおかしくない。

(抱いても、抱いても、現実に思えない)

 焦りに似た感情が沸き起こり、佑をいつもの〝落ち着いた大人の男〟でいさせてくれない。

 目の前には取り戻した香澄がいる。

 いつものように笑って「佑さん」と名前を呼んで、佑が呼べば嬉しそうに返事をして近付いてくる。
 いい香りがして、抱けば柔らかくて温かい。

 柔肉に指を食い込ませるほどしっかり抱き締めているのに、華奢なその体がほどけて形を失ってしまいそうで怖い。

 夜に眠る時、意識が闇に引きずり込まれる間際、いつも香澄の青白い顔が浮かぶ。

 それでハッとして起きる時もあれば、そのまま寝てしまって悪夢を見る事もある。

 香澄を取り戻してからは、可能な限り彼女を側に置いていた。
 寝る時だって一緒だったし、朝目覚めて祈るように目を開き、隣に香澄がいる事を確認して泣きそうになる。

 ――いつの間にか、とんでもない臆病者になってしまった。

 待ち望んでいた日常を手に入れたのだからそれを満喫すればいいのに、佑は〝いつもの自分〟がどうだったか見失っている。

 香澄を呼ぶ時の声色、抱く時の力加減、見つめる時の表情。
 前はすべて自然にできていたのに、今は「これで良かったか?」とすべての行動に疑問を抱いている。

 一つ間違えると、大きく何かがズレてしまう気がする。
 掛け違えたボタンのように、香澄ともうまくいかなくなってしまうかもしれない。

 それが怖くて、つい口から彼女の名前が漏れた。

「香澄……」

 掠れた声で名前を呼ぶと、抱き締めている彼女がピョコッと顔を上げる。

「なに?」

 キラキラとした目でこちらを見て、お願いをすれば何でも聞いてくれそうな顔に、笑みが漏れる。

「……好きだよ」

 ――そう。この感情だけを見失わなければいい。

「私も好きだよ」

「何より大事だ」

 ――香澄の命や身の安全が掛かっているのなら、会社や資産を擲っていい覚悟がある。

「私も佑さんが一番大事だよ」

 優しく撫でた髪の毛の感触を楽しみ、佑はそっと香澄の香りを吸い込む。

「……ずっと側にいてくれ」

 ――片時も離したくない。

「ずっと側にいるよ。佑さんが望んでくれる限り、ずっと」

 ――こんな時までまじめに考えるんだな。

 苦笑し、佑は香澄の額にキスをする。
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