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第十一部・スペイン 編
遅めのランチ
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彼の性格を分かっていながら「失望した」と思うのは、周りが見えなくなるほど熱くなっている証拠だ。
それぐらい、佑は香澄が大切にしている。
視線を落とすと、香澄は自分の胸板に顔を埋め、長い睫毛を震わせている。
優しく頭や背中、お尻を撫でてやると、甘えるように体を押しつけてくる。
(……可愛い)
胸の奥が温かな感情で満たされ、午後の仕事など放り出してこのままずっとベッドにいたいと思ってしまう。
だが同時に、感情的になった自分を省みた。
香澄はただ、旅先で意気投合した人と、ショコラトリーに行きたかっただけだろう。
向かった先はホテルから徒歩圏内だし、護衛に黙って一人で出かけた訳でもない。
何もなかったし、香澄は無事だった。
『だったら優しくしてやればいいじゃないか』
そう思う自分がいる一方で、気を抜くと彼女を失いかけたあの恐怖が襲ってくる。
波打ち際に立ち、波が引いて足元の砂がスゥッと消えてゆくあの心許ない感覚。
そのまま足元にポッカリと穴が開いて、香澄のいない地獄に落ちていく恐怖に駆られる。
「……ごめん」
彼女を撫でながらポツリと謝ると、香澄は「ううん」と首を振る。
掌で柔らかな肌をたどり、きつく抱き締めた。
意識があり、きちんと会話のできる彼女を抱けているだけで、こんなにも嬉しい。
イギリスで見つけだした香澄は、ぐったりとして死人のようだった。
〝あれ〟を思いだすだけで、佑の心はたやすく冷たくなっていく。
呼吸が苦しくなり、手足から体全体が冷えていく気がする。
もう二度と同じ思いをしないため、周りからオーバーだと言われようが、絶対に香澄を守り抜くと決意していた。
憎い女の顔を思い浮かべ――、ギュッと目を閉じる。
佑の心はすでに、エミリアによって一度激しく叩き壊されたあとだった。
壊れた心の欠片を集め、金継ぎのように香澄の笑顔で繋ぎ合わせ、今の佑がある。
それでも、気を抜けば簡単に失ってしまいそうで怖い。
人の命や健康は、思いもしない悪意、武器によって簡単に壊されると知っている。
腕に抱いている体は、あまりに華奢で頼りない。
だから佑は可能な限り、彼女を箱庭の中に置いておきたいと望んでしまうのだった。
ランチは佑がホテルのルームサービスを頼んでくれた。
彼が電話でオーダーしたあと、スタッフが部屋まで食事をワゴンで運んでくる。
香澄は腰が立たず歩けないので、ベッドに座ったまま食べる事にした。
「怠惰なランチだね」
「たまにはいいんじゃないか? 前に映画を見て『やってみたい』って言ってたじゃないか」
御劔邸のシアタールームで、佑と一緒に色んな映画を見た。
ヨーロッパ貴族を扱った映画を見ていると、ベッドでアーリーモーニングティーをとるシーンがあり、「優雅でいいな」と思ったのだ。
「それもそうだけど……、汚したら申し訳ないな」
「普通の汚れなら問題ないよ。汚すという意味なら、すでに汚してるし」
にっこり笑われ、香澄は真っ赤になる。
「セ、セクハラ!」
彼はくつくつ笑い、ペンネの皿を手渡してくれた。
丸いお皿にはジェノベーゼ風のペンネがあり、ローストされたブロッコリーやミニトマトもついている。
それをフォークで刺して食べながら、香澄は反省して言う。
「あと三日、大人しくしてるね」
「仕事はあと二日で済ませるから、最後の一日は外出に付き合うよ」
「どうしても暇になったら、ホテルの中なら出歩いてもいい? もちろん久住さんたちにいてもらう」
「知らない人について行かないなら、護衛と一緒にショッピングに行ってもいいんだよ」
「うん。ありがとう。でもなるべく大人しくしてる。……そうだ。一階にあるブティックの、ショーウィンドウにあるターコイズブルーのワンピース素敵だよね。遊びに行ってみようかな」
思った事をポロッと言ったのだが、彼の返事を聞いて激しく後悔した。
「よし、じゃあ試着して気に入ったら買おうか」
(すぐこうなる……!)
うかつに世間話もできないなと冷や汗を掻いたあと、香澄は「ごちそうさま」と言って皿をベッドサイドに置く。
ランチのあとは、彼が午後の仕事に出る時間までくっついて過ごしていた。
それぐらい、佑は香澄が大切にしている。
視線を落とすと、香澄は自分の胸板に顔を埋め、長い睫毛を震わせている。
優しく頭や背中、お尻を撫でてやると、甘えるように体を押しつけてくる。
(……可愛い)
胸の奥が温かな感情で満たされ、午後の仕事など放り出してこのままずっとベッドにいたいと思ってしまう。
だが同時に、感情的になった自分を省みた。
香澄はただ、旅先で意気投合した人と、ショコラトリーに行きたかっただけだろう。
向かった先はホテルから徒歩圏内だし、護衛に黙って一人で出かけた訳でもない。
何もなかったし、香澄は無事だった。
『だったら優しくしてやればいいじゃないか』
そう思う自分がいる一方で、気を抜くと彼女を失いかけたあの恐怖が襲ってくる。
波打ち際に立ち、波が引いて足元の砂がスゥッと消えてゆくあの心許ない感覚。
そのまま足元にポッカリと穴が開いて、香澄のいない地獄に落ちていく恐怖に駆られる。
「……ごめん」
彼女を撫でながらポツリと謝ると、香澄は「ううん」と首を振る。
掌で柔らかな肌をたどり、きつく抱き締めた。
意識があり、きちんと会話のできる彼女を抱けているだけで、こんなにも嬉しい。
イギリスで見つけだした香澄は、ぐったりとして死人のようだった。
〝あれ〟を思いだすだけで、佑の心はたやすく冷たくなっていく。
呼吸が苦しくなり、手足から体全体が冷えていく気がする。
もう二度と同じ思いをしないため、周りからオーバーだと言われようが、絶対に香澄を守り抜くと決意していた。
憎い女の顔を思い浮かべ――、ギュッと目を閉じる。
佑の心はすでに、エミリアによって一度激しく叩き壊されたあとだった。
壊れた心の欠片を集め、金継ぎのように香澄の笑顔で繋ぎ合わせ、今の佑がある。
それでも、気を抜けば簡単に失ってしまいそうで怖い。
人の命や健康は、思いもしない悪意、武器によって簡単に壊されると知っている。
腕に抱いている体は、あまりに華奢で頼りない。
だから佑は可能な限り、彼女を箱庭の中に置いておきたいと望んでしまうのだった。
ランチは佑がホテルのルームサービスを頼んでくれた。
彼が電話でオーダーしたあと、スタッフが部屋まで食事をワゴンで運んでくる。
香澄は腰が立たず歩けないので、ベッドに座ったまま食べる事にした。
「怠惰なランチだね」
「たまにはいいんじゃないか? 前に映画を見て『やってみたい』って言ってたじゃないか」
御劔邸のシアタールームで、佑と一緒に色んな映画を見た。
ヨーロッパ貴族を扱った映画を見ていると、ベッドでアーリーモーニングティーをとるシーンがあり、「優雅でいいな」と思ったのだ。
「それもそうだけど……、汚したら申し訳ないな」
「普通の汚れなら問題ないよ。汚すという意味なら、すでに汚してるし」
にっこり笑われ、香澄は真っ赤になる。
「セ、セクハラ!」
彼はくつくつ笑い、ペンネの皿を手渡してくれた。
丸いお皿にはジェノベーゼ風のペンネがあり、ローストされたブロッコリーやミニトマトもついている。
それをフォークで刺して食べながら、香澄は反省して言う。
「あと三日、大人しくしてるね」
「仕事はあと二日で済ませるから、最後の一日は外出に付き合うよ」
「どうしても暇になったら、ホテルの中なら出歩いてもいい? もちろん久住さんたちにいてもらう」
「知らない人について行かないなら、護衛と一緒にショッピングに行ってもいいんだよ」
「うん。ありがとう。でもなるべく大人しくしてる。……そうだ。一階にあるブティックの、ショーウィンドウにあるターコイズブルーのワンピース素敵だよね。遊びに行ってみようかな」
思った事をポロッと言ったのだが、彼の返事を聞いて激しく後悔した。
「よし、じゃあ試着して気に入ったら買おうか」
(すぐこうなる……!)
うかつに世間話もできないなと冷や汗を掻いたあと、香澄は「ごちそうさま」と言って皿をベッドサイドに置く。
ランチのあとは、彼が午後の仕事に出る時間までくっついて過ごしていた。
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