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第十部・ニセコ 編

ひどい勘違いをした

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(ダメだ……これ。歩けないやつだ。あ……)

 ドロッと股の間が濡れる感触があり、香澄は体を強張らせる。

〝あの時〟と同じ感覚だ。

 でも、――違う。

〝これ〟は佑のものだ。

 現実をきちんと理解している香澄は、もう混乱しなかった。

 少し迷ったあと、意地と根性で腰が抜けたまま手を使い、床の上を移動する。

 木の柵ごしに吹き抜けの下を見ると、広々としたリビングのソファに佑が座っていた。
 テレビもつけずただ座っている姿は、香澄が北海道に発つ前日を思わせた。

「た。……すく、さん」

 しゃがれた声で呼びかけると、彼がこちらを振り向く。

「香澄!?」

 彼はあっという間に階段を上がり、膝をついて香澄に目線を合わせた。

「立てないのか?」

 こくん、と頷くと、軽々と抱き上げられる。

「腹減っただろう。何か食べたい物はあるか?」

 佑は香澄を抱いたまま、悠々と階段を下りていく。
 やつれているように見えても、その体は頑丈だ。

(もう午後なんだ)

 リビングにある時計は、十四時すぎを示していた。
 信じられない時間まで寝てしまった事に驚いたあと、自分が何もかも放り投げてしまったと思いだした。

(どうしよう……)

 また無責任な事をしてしまったと、香澄は溜め息をつく。
 秘書の仕事もきちんとできず、休暇先でのアルバイトも満足にこなせない。

(駄目だな……)

 そんな彼女の頭を、佑がポンと撫でてくる。

「ホットサンド、食べられるか?」

 ソファに座らされて尋ねられ、香澄はお腹に手を当てて考えた。
 確かに空腹だがその前に喉が渇いている。

(お水飲んだら、掠れた声も何とかなるかもしれない)

「……おみず」

 やはり掠れた声で願うと、佑が頷いた。

「分かった」

 すぐに佑は水をグラスに注ぎ、香澄に手渡してくれる。
 んくんくと飲んでいると、彼の視線を感じた。

 彼は昨日会った時より、ずっと優しい雰囲気になっている。

 佑は遠慮がちな表情をしていたが、微笑んで話題を振ってくる。

「北海道の水は美味いな」

「そう? うれしい」

 コトン、とテーブルにコップを置くと、佑がその手を握ってくる。

「あ」と思った時には、抱き締められていた。

 彼は香澄の首筋に顔を埋め、スゥッと息を吸う。
 匂いを嗅がれ、恥ずかしい。

 けれど佑の温もりと、彼から香るウード&ベルガモッドの匂いに、次第に気持ちが落ち着いていく。

 佑はしばらく香澄を抱き締めたまま、黙っていた。

 香澄も言いたい事が沢山あったはずなのに、疲労のあまりぼんやりしていて、うまい言葉を探せない。

 目を閉じて彼の存在を感じていると、まるで白金台の御劔邸に戻ったような感覚に陥った。

「……ごめん」

 やがて佑が謝った。
 そして少し体を離し、香澄を見つめてくる。

「ひどい勘違いをした。ルカさんが香澄を抱いて、婦人科に行かせる体にしたのかと思った」

「まっ、まさか!」

 とんでもない勘違いに、香澄は驚いて声を上げる。
 だがそんな思い違いをしたなら、あの怒りようが理解できる気がした。

「トラウマがあるのに、レイプまがいの事をしてすまない。一か月我慢し続けた上、香澄を寝取られたと勘違いし、頭に血が上ってしまった。いつもの俺ならもっと冷静に考えられたと思う。……別れる以外なら、何を要求してもいい」

「別れる以外なら」という言い方が佑らしく、香澄は思わず微笑む。

 そして、東京で最後に佑とセックスした時の事を思いだした。
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