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第十部・ニセコ 編

愚者の胸中

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「香澄さんって清純そうだけど、絶対ビッチだ。ああいう外見だから、騙された男の人が咥え込まれて、そのあとポイ捨てされるか『レイプされた』って冤罪を着せられて、お金を要求されているんだ」

 真奈美の思い込みはますます激しくなっていく。

 最初に香澄に感じた魅力もすべて、男を誘惑して徹底的に自分に貢がせ、利用するために磨いた女子力と思うようになった。

 怒りと憎しみのあまり、香澄を階段から突き落としたのも真奈美だ。
 香澄が風呂に入っている間、和也が外している隙に二階に上がり、聡子と一緒にペンションを出たふりをして隠れた。
 そのあと、思いきり両手で突き飛ばし、大きな音が立ったあとすぐに隠れた。

 下で和也が「香澄さん!?」と慌てる声が聞こえ、彼女を階段から居間のソファに運んだあと、ペンションにいるスタッフに知らせるため母屋を出て行った。
 自分も急いで一階に降りて香澄が気絶しているのを確認し、外に出た。

 もし香澄が気絶していなかったら、という事は考えなかった。
 とてもずさんで前後を考えない行動だったが、それほど真奈美の怒りは衝動的なものだったのだ。

「これは天罰だ。正直者の普通の女の子のために、悪女は罰されるべき。誰かがやらなければ、香澄さんはもっと大勢の男性を毒牙に掛けたはずだし」

 人を傷つけ興奮した真奈美は、自分に言い聞かせて己の行動を正当化した。

 やがて秋成や聡子が駆けつけ、救急車が必要かどうかの話し合いがされる。
 ぐったりとした香澄は頬を赤くしていたが、いずれそれは青あざになるだろうと思い、真奈美はほくそ笑む。

「ざまあみろ。よっぽど肌に自信があるみたいだけど、顔に大きな痣を作ったら誰にも見向きされなくなるでしょ」

 彼女の思考、行動が〝私刑〟と言うなど、真奈美自身は気付いていない。

「婚約者の人もきっと騙されてるんだ。可哀想。何人目の婚約者だろう」

 これだけの目に遭えば、そろそろ根を上げてペンションを出て行くと思った。

 その矢先、本物の御劔佑が現れた。

「嘘でしょう!? テレビで見るあの御劔佑!? なんでここにいるの!?」

 激しく混乱している真奈美の前で、彼が「香澄」と親しげに呼ぶのを聞く。

「婚約者って、もしかして本当に御劔佑なの!? 大物引っかけてガッポリ貢がせてるんじゃん! すっごい悪女!」

 あまりの驚きに真奈美は固まり、そして体が震えるほどの怒りを覚えた。

「なんでババアばっかり男運がいいの!? 皆あの贅肉に騙されてるの!? どこに行けば御劔佑に出会えるの!? ずるい! 婚約者が御劔佑なら、絶対に浮気なんてしないのに! 浮気ババア! こんな大本命がいるのに、どうして私と和也さんの仲を邪魔したの!? 本当に天性の男ったらしのゆるマンビッチ! 信じられない! 天罰が下るといいんだ! 別れろ! 別れて御劔さんを騙していたと気付かれて、フラれて賠償金請求されて破滅しろ!」

 煮えたぎる怒りを胸の奥に、真奈美は笑顔で佑を鈴蘭の部屋に案内した。

 そして聡子が淹れたコーヒーを運び、彼と話し始めた。



**




「御劔さんって、香澄さんの婚約者なんですか?」

 スイートルームらしい部屋のソファに座った佑は、真奈美と呼ばれた女性に話しかけられて愛想程度に微笑む。

「そうだけど、婚約者という話は香澄から?」

 秋成は崇の弟で、勿論佑の存在を知っている。
 住み込みで働いている以上、生活を共にする間に知られてしまったのだろう。
 特に隠す事ではないので、素直に肯定しておいた。

「東京に素敵な婚約者さんがいるって言っていたので、ずっと気になっていたんです。でもまさか、御劔佑さんだと思いませんでした」

 こういう反応は想定済みで、佑はビジネススマイルを浮かべてやり過ごそうとする。

 が、次の言葉は聞き捨てならなかった。

「でも手綱を手放していいんですか? 香澄さん、こっちに来てから毎日イタリア人のイケメンと過ごしています。朝から晩までずっと一緒で、この間は婦人科にも行ったみたいですよ?」

「…………」

 一瞬、彼女が何を言っているのか分からなかった。

 脳が理解する事を拒絶し、遅れて一言ずつゆっくり意味を咀嚼したあと、彼は瞠目する。

(は?)

 香澄に恋い焦がれていた心に、ビシッと亀裂が入った。

 いつもの彼なら、一か月で妊娠が発覚し、婦人科にかかるなどないと一笑に付すだろう。
 香澄がピルを飲んでいるのを知っているし、このタイミングで妊娠したなら父親は自分だ。

 しかし一か月大好きなうさぎを取り上げられて飢えさせられ、いざ彼女と会えるとなったハラペコ狼は、理性などないに等しい。
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