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第十部・ニセコ 編

秋山の過去

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『奥さんを悪く言われたの、つらかったね。悔しいの分かるよ。でもあれって、子供の〝うんこ!〟みたいなもんだから、気にする必要はないよ』

 ルカが秋山の肩をポンポンと叩くと、彼は笑いだす。

『確かに、小学生みたいなもんだな』

 珍しく笑顔になった秋山は、香澄を見て軽く眉を上げ微笑む。

『妻とは、会社を辞めてボロボロになった時に出会った。よく笑って、食べ物を美味そうに食べるんだ。俺はその時、精神的にやられていて拒食気味になっていたから、妻の姿を見てとても救われた』

 妻の話をする時、秋山はとても安らいだ表情をしていた。

『東京の証券会社で働いていた時みたいには稼げないが、当時から投資していた資産もあるし、副業の収入もある。妻は今、二人目を妊娠している。ここの穏やかな生活が性に合うって言ってるから、環境を重視してのびのびやっていくつもりだ』

 以前に秋山が母屋に泊まらず、必ず家に帰ると言っていた理由が分かり、香澄はほっこりする。

『お子さん、健やかに育つといいですね』

 微笑むと、秋山が軍手を脱いだ手でワシャワシャと頭を撫でてきた。

『ああいう手合いは社会に何割かいる。赤松さんは素直でいい子だし、御劔さんの婚約者っていうのもあって、やっかまれるだろう。それに客観的に見て美人だし、それを自慢しない控えめなところも魅力的だ。男が惹かれ、女が嫉妬する気持ちも分かる』

『んー……』

 香澄は曖昧に笑う。
 幾分、褒められすぎな気もするが、やっかまれているのは事実だ。

『自分は嫉妬されるだけのものを持っていると、胸を張っておけ。言いなりにしようとする者に、媚びへつらわなくていい。自分のしたい事をして、好きだと思った人をまっすぐに愛するんだ。他人に遠慮して自分の幸せを放棄する事はない』

 秋山に力強く言われ、香澄は「はい」としっかり頷く。

『それに、ああいうのに何を言われても、赤松さんの仕事ぶりや人柄を知っている者は動じない。ああいうのを敵に回したら厄介だから、悪口を吹き込まれた場では同意する者もいるだろう。だがほとんどの者は〝分かっている〟』

『……ちなみに、真奈美ちゃんは私の事を何て言ってたんですか?』

 興味本位に聞くと、秋山は少し気まずい表情をしてから、包み隠さず話す。

『赤松さんがとんでもない淫乱女で、地元では彼氏が二十人いたとか、堕胎経験があるとか……。勿論、俺は信じていない。言われて信じるのは相当なバカか暇人だ』

「はぁ? ああぁ……?」

 彼氏が二十人、堕胎経験と聞いて、空いた口が塞がらない。

 香澄は知らない事だが、佑が香澄と付き合いだした辺りから〝誰か〟が匿名掲示板で香澄を悪く書いていた。
 世界的な有名人の恋人ともなれば、興味を持った者が好き放題に書き込みをする。

 佑にファンが大勢いるからこそ、その妻になる香澄には信じられないほどのアンチがついていた。

 真奈美はそれを探し当て、秋山にさも真実のように言っていたのだ。

『想像力の限度だな。あまりにやりすぎると返って陳腐になる』

 勿論、裏では佑と剣崎が証拠を集めて情報開示請求をしているが、それはまた別の話だ。

『カスミには味方もいるから、安心しなって! ここにいると不安だろうから、引き続き僕のアシスタントをしてよ』

 ルカがあえて明るく言ってくれたと察し、香澄は微笑む。

『ありがとうございます』

『じゃあ、僕はそろそろ行くね』

『はい』

 夕食をとったあとなので、あとは寝るだけだ。

 ルカは手を振って車に乗り、自分の別荘に戻っていく。
 見送った香澄は、息をついて再度秋山に礼を言った。

「本当にありがとうございます」

「いや、気にしなくていい。オーナー夫婦にも空気が悪い事は報告しているし、いざとなればあの二人の解雇も進言する」

「そこまでしなくていいです」

 とっさに首を横に振ったものの、秋山も否定する。

「ああなってしまっては和解するのは難しい。痛い目を見なければ目が覚めないだろう。悲しい事に、世の中分かり合えない人間、自分が悪かったと認められない人間は一定数いるんだ。彼女がアルバイトなのに対し、俺は正規雇用でここにいる。答えは決まっている」

 それは事実なので、香澄は沈黙する。

「まぁ、なんとかやり過ごせば、あと少しで約束の日になるんだろ?」

「はい」

「それまで頑張れ」

 ポンポンと香澄の頭を撫でたあと、秋山は「そろそろ帰る。今日は残業だった」と呟いて工具を片付けにいった。



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