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第十部・ニセコ 編

秋山の忠告

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「べーだ。和也さんは絶対触っちゃダメ! ……私のなら触らせてあげなくもないけど」

 真奈美が恥じらいつつふざけて胸を反らすと、和也が呆れて突っ込んだ。

「あるかないかの胸を触っても楽しくないだろ、ばーか」
「ギリギリBあるもん!」

 二人のやり取りを聞きながら、香澄は真奈美の片思いをひしひしと感じて居たたまれなくなる。

 隙あらば会話を作ろうとして、時に自分をネタにしてでも和也の気を引こうとする。
 そんないじらしい想いがあるというのに、自分は先ほどまで何をされかけていたんだろう。

(もう二度と、二人きりになったら駄目だ。絶対逃げる!)

 まだ騒ぐ鼓動を落ち着かせ、香澄はあえて明るく話しかけた。

「真奈美さん。お出汁用の昆布、どこにあるか分かる?」
「さんづけしなくていいですって」

「じゃあ、真奈美ちゃん」
「は~い」

 真奈美は立ち上がり、台所のどこに何があるかという事を教えてくれる。

 うんうんと頷きつつチラッと和也を見ると、彼は窓の方を向いて体を伸ばしていた。



**



 その後、何事もなく夕食の支度ができ、香澄は秋成たちを呼びにペンションへ向かう。

 夜になるとさすが寒くて、アウターなしではいられない。
 と、ペンションから昼間に紹介された秋山が出てきて、車に向かおうとしていた。

「秋山さん。……でしたっけ」

 思わず声を掛け、香澄は会釈をする。

「ん」

 彼は立ち止まり、あまり表情の変わらない顔をこちらに向ける。

(何となく、マティアスさんに雰囲気が似てるな)

 そう思いながら、香澄は彼に食事ができたと伝える。

「手巻き寿司の準備ができましたよ」
「ああ、俺はこれから帰宅だ。まだ小さい子がいるから、なるべく夕食は家でとるようにしている」
「あっ、そうだ。地元からの通いなんでしたっけ。すみません!」

 和也の事があり、すっかり彼の情報が頭から抜けていた。

「いや、赤松さんの歓迎会だっていうのに、参加できなくてすまない。今日は一緒に祝えないが、歓迎する気持ちは十分ある。無礼を許してほしい」

「いえ、小さいお子さんがいるなら、奥さんも大変だと思いますし、お気にせず」

 逆に、家族を大切にする人なのだな、と思ってほっこりした。

「初日だが、馴染めているか? 偏見かもしれないが、体力を使う仕事はきついんじゃないか?」

 無愛想に見えても、秋山はきちんと香澄を気遣ってくれている。
 彼の親切に感謝し、香澄は微笑む。

「いいえ、普段しない事にチャレンジできて、思いっきり体を動かせて気持ちいいです。真奈美ちゃんも和也くんも……」

 そこまで言い、和也にされた事を思いだして言葉が不自然に途切れてしまった。

「何かあったか?」

 秋山は表情を変えないまま、静かに尋ねてくる。

「いいえ。皆さん親切にしてくれています」

 言い直した香澄を、秋山はしばらくジッと見つめていた。
 そして冷たい空気の中で白い息を吐き、足下の小石をジャリッと鳴らす。

「これは俺の想像だ。想像で勝手な事を言うから、聞き流してくれ」

 香澄はコクンと頷く。

「和也は一度企業に就職して、すぐに辞めてニセコへ来た。ポテンシャルは高いが、ややプライドが高い。ここで外国人相手に仕事をして、一旗揚げるきっかけを作ろうとしている」

 和也の事情を知らされ、香澄は無言で頷く。

「あの年頃は性欲が旺盛だ。さらにこの田舎の環境で性欲を持て余してもいる。たまに真奈美と一緒にいなくなる時があるが、仕事に支障をきたさないのならいいと思っている。……だが、それが〝お客さん〟である赤松さんに向かう事があるのは許されない」

 ギクッとする事を言われ、香澄は目を逸らした。

「気まずい話をしてすまない。ただ、世の中には衝動を御しきれない者もいる。一緒に働いている仲間がそうだとは言いたくない。しかし赤松さんのような綺麗で若い女性が来て、あいつが明らかに意識しているのも確かだ」

「え……っ」

 まさか意識していると他の者が知っていると思わず、香澄は声を漏らす。
 秋山は息をつき、夜空に浮かんでいる月を見上げた。

「俺が買い出しから戻ったあと、嬉しそうに話しかけてきた。興味津々という様子だった。赤松さんの婚約者の話もして、本当かどうかとも言っていた。来たばかりで何も起こっていないだろうが、あいつは真奈美と何かしらの関係を持っている若い男だ。それを踏まえた上で慎重に行動してほしい」

 何かならもう起こってしまっているが、秋山の忠告はありがたかった。
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