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第九部・贖罪 編
名もなき野の花
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「あ……、じゃあアドラーさんも来ているの?」
セットで思い出した人物について尋ねたが、佑はゆっくりと首を振る。
「今はオーマのみだ。……香澄は爺さんに会うのは嫌だろう?」
窺うように尋ねられ、香澄は髪を揺らして首を横に振る。
「どうして嫌だと思うの? 色々あったけど、私はアドラーさん自身に加害された訳じゃないもの。佑さんと結婚したら義理のお祖父さんになるんだし、仲良くしたいと思ってるよ」
頭はぼんやりしていても、香澄は覚えていた。
彼女の返事を聞いて、佑は細く長く息を吐いてゆく。
「……香澄。その〝色々あった〟で、君はとても傷ついたはずだ。それでもか?」
ふ……とマティアスに犯されたと思った時の恐怖を思い出し、全身に悪寒が走る。
香澄はバッと立ち上がると、テーブルを回り込んで佑の膝の上に乗った。
「……っと」
ギュウッと抱きつくと、すぐに佑も抱き締め返してくれる。
あれから佑は宣言通り、毎日暇さえあれば香澄を抱いてくれるようになった。
朝も起きてすぐ僅かな時間で一回してから出社する。
可能なら昼間に家に顔を出し、夜は夜で腰が立たなくなるほど求められる。
だからか、香澄も〝佑に愛されている〟という自信がついて、気持ちもしっかりしてきた。
「――佑さんがいてくれるなら、怖くない」
不安になれば、佑を呼べばいい。彼に触ってもらえばいい。
学習した香澄は、彼女なりに現実に立ち向かおうとしていた。
強がった声が少し震えていたからか、佑が口元で小さく「ごめん」と呟く。
きつく抱き締められ、香澄は佑の胸板に顔を押しつけられる。
自分からも佑を思いきり抱き締めて、伝えられる気持ちを口にした。
「……私、今までずっと、あまりに情けなかった」
「そう思わなくていい」
「まだ、本調子じゃないから、もうちょっと迷惑をかけちゃうかもしれない」
「迷惑なんて思ってない。甘えてくれ」
「でも、いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。少しずつちゃんと前を向いて、歩く訓練をしないといけないの。佑さんっていう補助輪があるから、私はきっとできる」
佑は微かに息をつき、香澄の頭に頬をつけポンポンと背中を撫でてきた。
「……そんな君を誇りに思うよ」
「全部、佑さんがいてくれるからだよ」
大好きな彼の香りを吸い込み、香澄は静かに決意する。
「……アドラーさんに会っても、全然大丈夫。アロイスさんとクラウスさんともちゃんと会って話をしたい。マティアスさんがきちんと謝ってくれるなら、聞き入れたい」
エミリアは……と思ったが、恐らく彼女は自分と会話できる環境にないのだろう。
「佑さん、私のスマホが修理中っていうの、嘘でしょ? きっと、アロイスさんとクラウスさんとかから連絡が来るのを嫌がってる?」
一度覚悟し、きちんと考え始めると、香澄の思考はどんどん明朗になっていく。
正面から佑を見ると、彼は少しばつが悪そうな顔をし、唇を曲げる。
「……すまない」
「ううん、謝らなくていいよ。でも、もう大丈夫。私は落ち着いてきたし、佑さんが側にいてくれるなら立ち向かえる」
踏まれて萎れていた花は、囲いの中でゆっくりと立ち上がり、自分の力でまっすぐ咲こうとしている。
香澄は自分を名前のない野の花だと思っていた。
咲くのに手をかけないといけない園芸種ではなく、一人でも咲ける野の花でありたい。
時に雑草と思われる事もあるが、雑草というものは踏まれても強く生え続けるものだ。
――強くなりたい。
――好きな人の側にいるために、ただ、強くありたい。
ひび割れた荒野であろうが、香澄という花はほんのりと香り、強く咲こうとしていた。
「分かった。近いうちに顔を合わせる場をセッティングしよう」
「うん」
――もう迷わない。
決意した香澄は佑の手に指を絡め、もう一度彼によりかかって目を閉じた。
**
九月二十一日の土曜日、香澄は佑とともに帝都ホテルへ向かった。
ホテルには松井と河野も同行した。佑の顧問弁護士の剣崎もいる。
佑はダークグレーのスーツを着ている。
香澄も高級ホテルに行くとの事なので、黒のトップスにグレンチェックのロングタイトスカートを穿いた。
靴も黒のTストラップシューズなので、バッグは差し色に赤を入れる。
佑は話し合いのためにスイートルームをとったようで、河野がチェックインの手続きを取ったあと、まっすぐに部屋へ向かった。
セットで思い出した人物について尋ねたが、佑はゆっくりと首を振る。
「今はオーマのみだ。……香澄は爺さんに会うのは嫌だろう?」
窺うように尋ねられ、香澄は髪を揺らして首を横に振る。
「どうして嫌だと思うの? 色々あったけど、私はアドラーさん自身に加害された訳じゃないもの。佑さんと結婚したら義理のお祖父さんになるんだし、仲良くしたいと思ってるよ」
頭はぼんやりしていても、香澄は覚えていた。
彼女の返事を聞いて、佑は細く長く息を吐いてゆく。
「……香澄。その〝色々あった〟で、君はとても傷ついたはずだ。それでもか?」
ふ……とマティアスに犯されたと思った時の恐怖を思い出し、全身に悪寒が走る。
香澄はバッと立ち上がると、テーブルを回り込んで佑の膝の上に乗った。
「……っと」
ギュウッと抱きつくと、すぐに佑も抱き締め返してくれる。
あれから佑は宣言通り、毎日暇さえあれば香澄を抱いてくれるようになった。
朝も起きてすぐ僅かな時間で一回してから出社する。
可能なら昼間に家に顔を出し、夜は夜で腰が立たなくなるほど求められる。
だからか、香澄も〝佑に愛されている〟という自信がついて、気持ちもしっかりしてきた。
「――佑さんがいてくれるなら、怖くない」
不安になれば、佑を呼べばいい。彼に触ってもらえばいい。
学習した香澄は、彼女なりに現実に立ち向かおうとしていた。
強がった声が少し震えていたからか、佑が口元で小さく「ごめん」と呟く。
きつく抱き締められ、香澄は佑の胸板に顔を押しつけられる。
自分からも佑を思いきり抱き締めて、伝えられる気持ちを口にした。
「……私、今までずっと、あまりに情けなかった」
「そう思わなくていい」
「まだ、本調子じゃないから、もうちょっと迷惑をかけちゃうかもしれない」
「迷惑なんて思ってない。甘えてくれ」
「でも、いつまでも立ち止まっている訳にはいかない。少しずつちゃんと前を向いて、歩く訓練をしないといけないの。佑さんっていう補助輪があるから、私はきっとできる」
佑は微かに息をつき、香澄の頭に頬をつけポンポンと背中を撫でてきた。
「……そんな君を誇りに思うよ」
「全部、佑さんがいてくれるからだよ」
大好きな彼の香りを吸い込み、香澄は静かに決意する。
「……アドラーさんに会っても、全然大丈夫。アロイスさんとクラウスさんともちゃんと会って話をしたい。マティアスさんがきちんと謝ってくれるなら、聞き入れたい」
エミリアは……と思ったが、恐らく彼女は自分と会話できる環境にないのだろう。
「佑さん、私のスマホが修理中っていうの、嘘でしょ? きっと、アロイスさんとクラウスさんとかから連絡が来るのを嫌がってる?」
一度覚悟し、きちんと考え始めると、香澄の思考はどんどん明朗になっていく。
正面から佑を見ると、彼は少しばつが悪そうな顔をし、唇を曲げる。
「……すまない」
「ううん、謝らなくていいよ。でも、もう大丈夫。私は落ち着いてきたし、佑さんが側にいてくれるなら立ち向かえる」
踏まれて萎れていた花は、囲いの中でゆっくりと立ち上がり、自分の力でまっすぐ咲こうとしている。
香澄は自分を名前のない野の花だと思っていた。
咲くのに手をかけないといけない園芸種ではなく、一人でも咲ける野の花でありたい。
時に雑草と思われる事もあるが、雑草というものは踏まれても強く生え続けるものだ。
――強くなりたい。
――好きな人の側にいるために、ただ、強くありたい。
ひび割れた荒野であろうが、香澄という花はほんのりと香り、強く咲こうとしていた。
「分かった。近いうちに顔を合わせる場をセッティングしよう」
「うん」
――もう迷わない。
決意した香澄は佑の手に指を絡め、もう一度彼によりかかって目を閉じた。
**
九月二十一日の土曜日、香澄は佑とともに帝都ホテルへ向かった。
ホテルには松井と河野も同行した。佑の顧問弁護士の剣崎もいる。
佑はダークグレーのスーツを着ている。
香澄も高級ホテルに行くとの事なので、黒のトップスにグレンチェックのロングタイトスカートを穿いた。
靴も黒のTストラップシューズなので、バッグは差し色に赤を入れる。
佑は話し合いのためにスイートルームをとったようで、河野がチェックインの手続きを取ったあと、まっすぐに部屋へ向かった。
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