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第九部・贖罪 編
節子の怒り
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「そう……。辛い目に遭わせてしまったわね」
テーブルの木目を見下ろし、節子が呟く。
目の前には会席コースの料理が並び、美味しそうで見た目も美しい。
それでも今の二人は、楽しく食事をするという心境ではなかった。
「説明が必要だと思っている人には事情を話していますが、他言無用にお願いします。彼女の名誉にも関わりますので」
「ええ、分かっているわ」
マグロのお造りを上品に口に入れ、節子が微笑む。
「今日、お邪魔してはいけないかしら?」
香澄についての説明を聞いた上で、もう一度節子が言う。
「オーマなら彼女の神経を逆撫でするような事は言わないでしょうから……。いいですよ、と言いたいですが」
「私の存在がどうしてもあの人やクラウザー家に繋がるから、気にしているのね」
祖母の指摘に、佑は申し訳なさを覚えつつ俯く。
節子と話しながら、同時にぼんやりと「香澄にもこの料理を食べさせたいな」と思っていた。
彼女が元気ではないと思うだけで、こんなにも食欲が落ちている。
一流の料理人が作ってくれた高級懐石なのに、箸がなかなか動かない。
だが香澄がこの場にいたら「勿体ない」と言うだろうと思い、努めて箸を動かした。
「……お詫びをしたいと思っているのは、私のエゴかしらね。今の香澄さんは、あらゆる情報から隔絶された場所で休養する事が大事なのにね」
分かっていながらも、香澄に詫びたいと思っている祖母の気持ちは、ありがたく受け取る事にした。
「……赤坂にはいつまでいるんですか? 時期を見て、招待したいと思います」
「部屋が余っているようだし、しばらくは居候させてもらうわ。でも長男夫婦に気を遣わせてしまうから、そのあとはホテルにでも移りましょうかしらね? その間に、箱根か軽井沢にでも、気に入った家があったら買うわ」
「本気で一人で日本に暮らすつもりですか?」
八十歳を超えた身なので、佑としても心配になる。
「ヘルパーさんを雇う事も考えているわ。でも久しぶりに日本の食材で自炊ができるのも楽しいわねぇ」
どうやら節子は日本でのセカンドライフを本気で考えているようで、佑は内心溜め息をついた。
一度こうと決めて曲げない性格は、アンネにも受け継がれている。
熟年離婚という単語を最近聞くようになったが、国際結婚をして一族を繁栄させた祖父と祖母が……となると少し微妙な気持ちだ。
「本当に爺さんには会わないんですか?」
「あら、佑は私の怒りをその程度だと思っているの?」
怒っていると思えないにこやかな顔で言われ、佑も苦笑する。
「オーマの本気が分からないんです」
佑の言葉に節子は「男の子ね」と笑い、吸い物を一口飲んだ。
「さっきも言った通り、あの人が本気で申し訳なく思って追い縋ってくるのなら、戻ってあげてもいいと思っているわ。でも謝罪すべき相手は私ではなく香澄さんよ。日本まで来て香澄さんの前で土下座するのなら、許してあげなくもない」
おっとりとした印象でありながら、考え方はやはり生粋のお嬢様だ。
その上で凜とした気高さと誇りがある。
「……あの人は女性が性的な加害をされるのを心底嫌っていたはずよ。それを……。見損なったわ」
佑は苦々しい節子の言葉の裏に、〝何か〟があると察した。
「そう言えば爺さんは、女性を守るNPOも立ち上げていましたっけ」
言葉にしてから、なんと皮肉な事だと舌打ちしたくなる。
不意に、今朝玄関でキスをして別れた香澄に、無性に会いたくなった。
腕時計を確認すると、時間の猶予はあと二十分ほどに迫っていた。
「今は時間がないので、また改めて連絡します」
「ええ、分かったわ」
そのあとは祖母と孫という関係になり、ごく普通の世間話をした。
久しぶりに日本に戻った節子は、数年戻っていないあいだで流行が変わる東京が面白いと言っている。
海外にいるとそう見えるのだな、と納得しつつ、佑は昼食を終えると会社に戻った。
**
テーブルの木目を見下ろし、節子が呟く。
目の前には会席コースの料理が並び、美味しそうで見た目も美しい。
それでも今の二人は、楽しく食事をするという心境ではなかった。
「説明が必要だと思っている人には事情を話していますが、他言無用にお願いします。彼女の名誉にも関わりますので」
「ええ、分かっているわ」
マグロのお造りを上品に口に入れ、節子が微笑む。
「今日、お邪魔してはいけないかしら?」
香澄についての説明を聞いた上で、もう一度節子が言う。
「オーマなら彼女の神経を逆撫でするような事は言わないでしょうから……。いいですよ、と言いたいですが」
「私の存在がどうしてもあの人やクラウザー家に繋がるから、気にしているのね」
祖母の指摘に、佑は申し訳なさを覚えつつ俯く。
節子と話しながら、同時にぼんやりと「香澄にもこの料理を食べさせたいな」と思っていた。
彼女が元気ではないと思うだけで、こんなにも食欲が落ちている。
一流の料理人が作ってくれた高級懐石なのに、箸がなかなか動かない。
だが香澄がこの場にいたら「勿体ない」と言うだろうと思い、努めて箸を動かした。
「……お詫びをしたいと思っているのは、私のエゴかしらね。今の香澄さんは、あらゆる情報から隔絶された場所で休養する事が大事なのにね」
分かっていながらも、香澄に詫びたいと思っている祖母の気持ちは、ありがたく受け取る事にした。
「……赤坂にはいつまでいるんですか? 時期を見て、招待したいと思います」
「部屋が余っているようだし、しばらくは居候させてもらうわ。でも長男夫婦に気を遣わせてしまうから、そのあとはホテルにでも移りましょうかしらね? その間に、箱根か軽井沢にでも、気に入った家があったら買うわ」
「本気で一人で日本に暮らすつもりですか?」
八十歳を超えた身なので、佑としても心配になる。
「ヘルパーさんを雇う事も考えているわ。でも久しぶりに日本の食材で自炊ができるのも楽しいわねぇ」
どうやら節子は日本でのセカンドライフを本気で考えているようで、佑は内心溜め息をついた。
一度こうと決めて曲げない性格は、アンネにも受け継がれている。
熟年離婚という単語を最近聞くようになったが、国際結婚をして一族を繁栄させた祖父と祖母が……となると少し微妙な気持ちだ。
「本当に爺さんには会わないんですか?」
「あら、佑は私の怒りをその程度だと思っているの?」
怒っていると思えないにこやかな顔で言われ、佑も苦笑する。
「オーマの本気が分からないんです」
佑の言葉に節子は「男の子ね」と笑い、吸い物を一口飲んだ。
「さっきも言った通り、あの人が本気で申し訳なく思って追い縋ってくるのなら、戻ってあげてもいいと思っているわ。でも謝罪すべき相手は私ではなく香澄さんよ。日本まで来て香澄さんの前で土下座するのなら、許してあげなくもない」
おっとりとした印象でありながら、考え方はやはり生粋のお嬢様だ。
その上で凜とした気高さと誇りがある。
「……あの人は女性が性的な加害をされるのを心底嫌っていたはずよ。それを……。見損なったわ」
佑は苦々しい節子の言葉の裏に、〝何か〟があると察した。
「そう言えば爺さんは、女性を守るNPOも立ち上げていましたっけ」
言葉にしてから、なんと皮肉な事だと舌打ちしたくなる。
不意に、今朝玄関でキスをして別れた香澄に、無性に会いたくなった。
腕時計を確認すると、時間の猶予はあと二十分ほどに迫っていた。
「今は時間がないので、また改めて連絡します」
「ええ、分かったわ」
そのあとは祖母と孫という関係になり、ごく普通の世間話をした。
久しぶりに日本に戻った節子は、数年戻っていないあいだで流行が変わる東京が面白いと言っている。
海外にいるとそう見えるのだな、と納得しつつ、佑は昼食を終えると会社に戻った。
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