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第九部・贖罪 編
この優しい人を困らせちゃいけない
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しばらくそうやって抱き合っていたが、佑が香澄の顎に手を掛け、顔を上向かせた。
ヘーゼルの目が愛しそうに細められたかと思うと、香澄の額にキスをしてきた。
「香澄、不安な時はなんでも言ってみてごらん。何が不安なのか、今どんな感情なのか、一人でグルグル悩んでいるより、口に出した方がスッキリするから」
「……でも、メソメソしてる所を見せたくない」
佑にこれ以上幻滅されたくない。
そう思って俯くが、その顔をまた仰向けられた。
しっかりと視線を合わせ、佑が告げる。
「俺は香澄の何を見ても失望しない。それは約束する。香澄だって人間だし、まだ俺が知らない顔があるのかもしれない。だが俺は香澄を選んで妻にすると決めた。俺たちは家族になるんだ。香澄のまるごとを受け入れてみせるよ」
――この人は、なんて綺麗な人なんだろう。
善なる感情しか持っていないように見える佑が、とても尊く思える。
――それに引き換え……。
と香澄は自分の内なる泥を見つめ、密かに溜め息をついた。
感情はもうグチャグチャだ。
冷静を装っているが、心の中はいつものように綺麗な〝面〟を見せてくれない。
いつもなら香澄の心は凪いでいて、感情が揺さぶられた時だけ水面が乱れる程度だ。
だが今は大時化が来た沖合の海のようで、絶えずうねって動き、高波が上がったかと思うと海底が見えそうなぐらい水面が沈む。
こうやって佑に抱きついていないと、自分の心が怖くて叫んでしまいそうになる。
心が動きすぎて、感情が追いついてこないのだ。
喜んだ時、または酷く驚いた時に涙が出るように、理由となる感情の分からない涙が出てきてしまう。
こういう事があったから、悲しくて泣いている。
そういう明確な原因と結果が分からず、香澄は混乱していた。
第三者から見れば、レイプされかけ、慕っていたエミリアから敵視され、双子やアドラーからも裏切られた形になり、「それはショックだね」と言うべき状況だろう。
だが香澄は「大丈夫、平気」という感情をピンと貼り付かせ、動揺してうねっている心を綺麗な形にコーティングしていた。
他の人からは、落ち着いていて状況を理解し納得したように見えるかもしれない。
しかし〝いい子でいなければ〟というきまじめさがある香澄だからこそ、誰にも見えない心の底は荒れに荒れていた。
「……困らせちゃうよ。……私、どうなるか分からないの」
「いいよ。たくさん困らせてごらん? 俺は全部受け止めて、逆に香澄に『何でそこまでするの?』って言われるぐらい尽くすから」
目の前で佑が優しく微笑む。
その顔を見て、香澄の目から涙が零れた。
――ああ、駄目だ。
――この優しい人を困らせちゃいけない。
――早く落ち着いて、大丈夫にならないと。
――元の〝佑の秘書であり、望まれた婚約者の香澄〟にならなくては。
だから、感情を解放したいという気持ちに重たい石の蓋をする。
目を閉じて、イメージする。
荒れ狂った黒い海の上に、とても大きくて重たい石の蓋を落とす。
平らな蓋の下で感情の海は均され、蓋と共にゆっくりと暗い暗い深海へ沈んでゆく。
(大丈夫……。大丈夫。ちゃんとできるから)
呼吸を整えて自分に言い聞かせ、香澄は佑の体から手を離す。
――この体に抱きついていると安心するけれど、いつまでも頼ったら駄目だ。
――彼の体は一つしかない。
――自分の個人的な欲のために、引き留めたら駄目。
――自分の事は自分で。
――大丈夫。きっと一人ででも何とかなる。
ゆっくり心を落ち着かせていくと、香澄はぎこちなく微笑んだ。
「大丈夫だよ。もう落ち着いたから。明日は日曜日だけど、お風呂から出て寝よう? 佑さんの体調が一番大事」
〝いつものように〟佑を気遣うと、彼の表情が一瞬強張った。
何か言いたそうに瞳が揺れ――、――しばらく黙ったあとに諦めたように息をつく。
「ん……。トリートメント、流そうか」
そのあとまた佑の美容室が始まり、トリートメントが流される。
けれどどこか二人の心は上の空だった。
「何か……勿体ないなぁ」
佑の手が香澄の体に化粧水を押しつける。
彼はありとあらゆるブランドの基礎化粧品を買い、香澄に与えた。
だがその中にはどれだけ高価でも、香澄の肌に合わない物があった。顔につける物であればなおさらだ。
ヘーゼルの目が愛しそうに細められたかと思うと、香澄の額にキスをしてきた。
「香澄、不安な時はなんでも言ってみてごらん。何が不安なのか、今どんな感情なのか、一人でグルグル悩んでいるより、口に出した方がスッキリするから」
「……でも、メソメソしてる所を見せたくない」
佑にこれ以上幻滅されたくない。
そう思って俯くが、その顔をまた仰向けられた。
しっかりと視線を合わせ、佑が告げる。
「俺は香澄の何を見ても失望しない。それは約束する。香澄だって人間だし、まだ俺が知らない顔があるのかもしれない。だが俺は香澄を選んで妻にすると決めた。俺たちは家族になるんだ。香澄のまるごとを受け入れてみせるよ」
――この人は、なんて綺麗な人なんだろう。
善なる感情しか持っていないように見える佑が、とても尊く思える。
――それに引き換え……。
と香澄は自分の内なる泥を見つめ、密かに溜め息をついた。
感情はもうグチャグチャだ。
冷静を装っているが、心の中はいつものように綺麗な〝面〟を見せてくれない。
いつもなら香澄の心は凪いでいて、感情が揺さぶられた時だけ水面が乱れる程度だ。
だが今は大時化が来た沖合の海のようで、絶えずうねって動き、高波が上がったかと思うと海底が見えそうなぐらい水面が沈む。
こうやって佑に抱きついていないと、自分の心が怖くて叫んでしまいそうになる。
心が動きすぎて、感情が追いついてこないのだ。
喜んだ時、または酷く驚いた時に涙が出るように、理由となる感情の分からない涙が出てきてしまう。
こういう事があったから、悲しくて泣いている。
そういう明確な原因と結果が分からず、香澄は混乱していた。
第三者から見れば、レイプされかけ、慕っていたエミリアから敵視され、双子やアドラーからも裏切られた形になり、「それはショックだね」と言うべき状況だろう。
だが香澄は「大丈夫、平気」という感情をピンと貼り付かせ、動揺してうねっている心を綺麗な形にコーティングしていた。
他の人からは、落ち着いていて状況を理解し納得したように見えるかもしれない。
しかし〝いい子でいなければ〟というきまじめさがある香澄だからこそ、誰にも見えない心の底は荒れに荒れていた。
「……困らせちゃうよ。……私、どうなるか分からないの」
「いいよ。たくさん困らせてごらん? 俺は全部受け止めて、逆に香澄に『何でそこまでするの?』って言われるぐらい尽くすから」
目の前で佑が優しく微笑む。
その顔を見て、香澄の目から涙が零れた。
――ああ、駄目だ。
――この優しい人を困らせちゃいけない。
――早く落ち着いて、大丈夫にならないと。
――元の〝佑の秘書であり、望まれた婚約者の香澄〟にならなくては。
だから、感情を解放したいという気持ちに重たい石の蓋をする。
目を閉じて、イメージする。
荒れ狂った黒い海の上に、とても大きくて重たい石の蓋を落とす。
平らな蓋の下で感情の海は均され、蓋と共にゆっくりと暗い暗い深海へ沈んでゆく。
(大丈夫……。大丈夫。ちゃんとできるから)
呼吸を整えて自分に言い聞かせ、香澄は佑の体から手を離す。
――この体に抱きついていると安心するけれど、いつまでも頼ったら駄目だ。
――彼の体は一つしかない。
――自分の個人的な欲のために、引き留めたら駄目。
――自分の事は自分で。
――大丈夫。きっと一人ででも何とかなる。
ゆっくり心を落ち着かせていくと、香澄はぎこちなく微笑んだ。
「大丈夫だよ。もう落ち着いたから。明日は日曜日だけど、お風呂から出て寝よう? 佑さんの体調が一番大事」
〝いつものように〟佑を気遣うと、彼の表情が一瞬強張った。
何か言いたそうに瞳が揺れ――、――しばらく黙ったあとに諦めたように息をつく。
「ん……。トリートメント、流そうか」
そのあとまた佑の美容室が始まり、トリートメントが流される。
けれどどこか二人の心は上の空だった。
「何か……勿体ないなぁ」
佑の手が香澄の体に化粧水を押しつける。
彼はありとあらゆるブランドの基礎化粧品を買い、香澄に与えた。
だがその中にはどれだけ高価でも、香澄の肌に合わない物があった。顔につける物であればなおさらだ。
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