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第九部・贖罪 編
祈り
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「それだけ香澄はいい女って事だよ。俺だって札幌で発掘してから今に至るまで、すごく磨き上げた自信はある」
「う……うう。ありがとうございます。その節、お世話になりましたうさぎです」
いつも佑が香澄の事をうさぎと言うので、それに乗って冗談を言うと彼が笑う。
「まぁ、あれだ。香澄が自分磨きをしたいというなら何でも手伝ってあげたいけど、結果的に他の男の目を引く事になっているよな……っていうジレンマだ」
「ふぅん……」
そんなに大した存在じゃないのにな、と香澄は生返事をする。
「流すよ」
佑がまたシャワーを出し、香澄の肌に手を滑らせてゆく。
「あぁ……。いい香りだな」
佑はネクタリンの香りを嗅ぎ、呟く。
そして泡を流してしまうと、香澄をバスタブにいざなった。
「よし、少し温まろう」
香澄がバスタブに入ったあと、佑はサッと自分の髪と体を洗う。
時刻はもう午前三時を過ぎている。
佑に後ろから抱き締められ、香澄は目を閉じる。
「……私ね。……佑さんがいなかったら、きっともう東京にいられないと思う」
「なんだ? いきなり。 俺はいなくならないよ」
「うん。……でも、もしもの話」
想像するだけで胸が痛くなり、香澄は浮かんた涙を拭う。
「佑さんがChief Everyの社長だからとかそういう意味じゃなくて、東京で知り合いがいても、佑さんと離れたら思い出が一杯あるこの街で生きていけない」
急に胸の中が不安に塗りつぶされる。
佑に愛される喜びを知ったからこそ、失った時を想像して怯えてしまう。
「きっと他の土地のどこにも行けないの。『ここは佑さんと来たかった所だ』って思っちゃう。『佑さんにこの景色を見せたかった』って思っちゃう。だから……、私は札幌に戻るしかないの」
ジェットバスの気泡が浮かび上がる水面に、香澄の涙が吸い込まれてゆく。
「香澄? なんでそんな事を言うんだ。そんな……別れるみたいな」
「別れないよ!」
弾かれたように香澄が振り向き、目に涙を浮かべて佑に縋り付く。
「っちがうの……っ。ごめんなさい。こんな事を言いたい訳じゃないの……っ。佑さんが別れたかったら、別れてもいい。……っでも、離さないで……っ」
支離滅裂な事を言い、香澄はグスグスと洟を啜る。
涙は次から次に溢れ、頬を伝ってゆく。
「ごめんね。すぐ泣き止むから。感情がおかしいの。佑さんが側にいてくれて、嬉しくて幸せなのに、不安で焦っちゃうの……っ。離れないよ。っ離れたくないの……っ。だから、……ぎゅってして……っ」
「…………香澄」
佑は悲しそうな目をし、香澄が望むままに抱き締める。
香澄はモソモソと佑の腕の中で体の向きを変え、彼にしがみついた。
「大丈夫だよ。ずっと側にいる。香澄が元気になるまで会社を休んでもいい」
「……それはだめ……」
ゆるゆると首を振った香澄は、ちゃんと会社に行ってほしいと伝える。
けれど佑がそこまで考えてくれているのは、とても嬉しい。
社会の役目さえなければ、ずっと側にいてほしい。
佑がもう少し気楽な立場なら、我が儘を言えたかもしれない。
だが香澄は、佑にはまず〝世界の御劔〟であってほしかった。
「……こういう時まで、物分かりの良さを見せなくていいよ」
自分の胸板に香澄の頭を押しつけ、佑は苦笑する。
「いま香澄は一番我が儘になっていい時なんだ。だから俺の事なんて考えなくていい。言ってしまえば、香澄は今回自分に加害した者たちだって気遣っているだろう? 俺は……その優しさが愛しい。愛しくて……少し、怖い」
耳元で佑の声が歪む。
ハッとして顔を上げると、彼は乱暴に目元を拭った。
そして、ごまかすように笑う。
「駄目なんだ、俺。今まで何があってもほとんど動揺しなかった。でも今回香澄が危機に陥って、本当に怖くなった。香澄を失うのが怖くて堪らないんだ」
佑は香澄の目元を拭い、ちゅっと指先についた涙を口に含む。
「普通なら激怒して自分を陥れた者を憎むだろう。なのに香澄はそれをしない。何でも許してしまうんだ。そんな香澄がいつか、優しさで身を滅ぼしそうで怖い。……だから俺が守る。…………絶対に」
自身に言い聞かせるような声は、まるで祈りの声だ。
誰にでもなく、自分自身に誓いを立て守り抜くと神に告げる。
敬虔な騎士のような、祈りの言葉だった。
「ん……っ、離さないで…………っ」
静かに涙を流し、香澄も目を閉じる。
両腕の中にいる、とても清らかな何か――愛しい透明な善意の塊を、心を込めて抱き締めた。
「う……うう。ありがとうございます。その節、お世話になりましたうさぎです」
いつも佑が香澄の事をうさぎと言うので、それに乗って冗談を言うと彼が笑う。
「まぁ、あれだ。香澄が自分磨きをしたいというなら何でも手伝ってあげたいけど、結果的に他の男の目を引く事になっているよな……っていうジレンマだ」
「ふぅん……」
そんなに大した存在じゃないのにな、と香澄は生返事をする。
「流すよ」
佑がまたシャワーを出し、香澄の肌に手を滑らせてゆく。
「あぁ……。いい香りだな」
佑はネクタリンの香りを嗅ぎ、呟く。
そして泡を流してしまうと、香澄をバスタブにいざなった。
「よし、少し温まろう」
香澄がバスタブに入ったあと、佑はサッと自分の髪と体を洗う。
時刻はもう午前三時を過ぎている。
佑に後ろから抱き締められ、香澄は目を閉じる。
「……私ね。……佑さんがいなかったら、きっともう東京にいられないと思う」
「なんだ? いきなり。 俺はいなくならないよ」
「うん。……でも、もしもの話」
想像するだけで胸が痛くなり、香澄は浮かんた涙を拭う。
「佑さんがChief Everyの社長だからとかそういう意味じゃなくて、東京で知り合いがいても、佑さんと離れたら思い出が一杯あるこの街で生きていけない」
急に胸の中が不安に塗りつぶされる。
佑に愛される喜びを知ったからこそ、失った時を想像して怯えてしまう。
「きっと他の土地のどこにも行けないの。『ここは佑さんと来たかった所だ』って思っちゃう。『佑さんにこの景色を見せたかった』って思っちゃう。だから……、私は札幌に戻るしかないの」
ジェットバスの気泡が浮かび上がる水面に、香澄の涙が吸い込まれてゆく。
「香澄? なんでそんな事を言うんだ。そんな……別れるみたいな」
「別れないよ!」
弾かれたように香澄が振り向き、目に涙を浮かべて佑に縋り付く。
「っちがうの……っ。ごめんなさい。こんな事を言いたい訳じゃないの……っ。佑さんが別れたかったら、別れてもいい。……っでも、離さないで……っ」
支離滅裂な事を言い、香澄はグスグスと洟を啜る。
涙は次から次に溢れ、頬を伝ってゆく。
「ごめんね。すぐ泣き止むから。感情がおかしいの。佑さんが側にいてくれて、嬉しくて幸せなのに、不安で焦っちゃうの……っ。離れないよ。っ離れたくないの……っ。だから、……ぎゅってして……っ」
「…………香澄」
佑は悲しそうな目をし、香澄が望むままに抱き締める。
香澄はモソモソと佑の腕の中で体の向きを変え、彼にしがみついた。
「大丈夫だよ。ずっと側にいる。香澄が元気になるまで会社を休んでもいい」
「……それはだめ……」
ゆるゆると首を振った香澄は、ちゃんと会社に行ってほしいと伝える。
けれど佑がそこまで考えてくれているのは、とても嬉しい。
社会の役目さえなければ、ずっと側にいてほしい。
佑がもう少し気楽な立場なら、我が儘を言えたかもしれない。
だが香澄は、佑にはまず〝世界の御劔〟であってほしかった。
「……こういう時まで、物分かりの良さを見せなくていいよ」
自分の胸板に香澄の頭を押しつけ、佑は苦笑する。
「いま香澄は一番我が儘になっていい時なんだ。だから俺の事なんて考えなくていい。言ってしまえば、香澄は今回自分に加害した者たちだって気遣っているだろう? 俺は……その優しさが愛しい。愛しくて……少し、怖い」
耳元で佑の声が歪む。
ハッとして顔を上げると、彼は乱暴に目元を拭った。
そして、ごまかすように笑う。
「駄目なんだ、俺。今まで何があってもほとんど動揺しなかった。でも今回香澄が危機に陥って、本当に怖くなった。香澄を失うのが怖くて堪らないんだ」
佑は香澄の目元を拭い、ちゅっと指先についた涙を口に含む。
「普通なら激怒して自分を陥れた者を憎むだろう。なのに香澄はそれをしない。何でも許してしまうんだ。そんな香澄がいつか、優しさで身を滅ぼしそうで怖い。……だから俺が守る。…………絶対に」
自身に言い聞かせるような声は、まるで祈りの声だ。
誰にでもなく、自分自身に誓いを立て守り抜くと神に告げる。
敬虔な騎士のような、祈りの言葉だった。
「ん……っ、離さないで…………っ」
静かに涙を流し、香澄も目を閉じる。
両腕の中にいる、とても清らかな何か――愛しい透明な善意の塊を、心を込めて抱き締めた。
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