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第九部・贖罪 編

過ぎ去ったモヤモヤ

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「肉好きか?」

「うん、大好き。佑さんが連れて行ってくれるホテルの高級お肉も美味しいんだけど、たまにガツン! と物理的に殴ってくるのが食べたくなる時もあるかな」

「……確かにあれは肉の暴力だよな。今は500gは食べられないかな……」
「佑さん500gも食べたの!?」

「……あの頃は若かった……」

 佑の言い方に、香澄は笑い出す。

「もー、やめてよ。私ときどき佑さんの事〝お父さん〟って言うけど、本当はまだまだ若いし格好いいし、そんな風に思ってないんだからね? 自分の事を老けたって思ったらダメだよ? まだ早い、早い」

「香澄はまだ二十代でピチピチだよなぁ」

 自分の分を食べ終えた佑が、テーブルに頬杖をついて香澄を見る。

「だからピチピチとか言ったらダメ。……私だって、高生に〝おばさん〟って言われた事あるんだから」

 思い出して唇を尖らせると、佑が目を丸くして「は?」と顔を上げた。

「こんな……。若くてプリプリな香澄を見て、お……おば……」

 最後の言葉は忌まわしくて口にできず、佑はブルルッと首を振る。

「んー、札幌時代だけど、電車乗ってて私は立ってたのね。そうしたらお婆さんが乗ってきて、『あ、座ってたら席譲ったのにな』と思ったの。で、そのお婆さんが電車を降りようとしたら、入り口近くに立っていた学生グループの鞄が床に置いてあったの。で、ショルダーバッグの長いベルトにお婆さんの足が引っ掛かって、ホームで転んじゃったの」

 その場面を想像したのか、佑も顔を曇らせる。

「私、すぐに飛び出てお婆さんを助け起こしたんだよね。車掌さんもすぐ来てくれて、お婆さんはケガなく帰って行かれたんだけど……。私ちょっとムカムカしちゃって。その学生たちに『危ないでしょ。自分の鞄ぐらい自分で持ちなさい』って怒ったの。そうしたら……『うるせぇな、おばさん』って言われちゃって」

 目の前で佑は思いきり息を吸い込み、はぁー……と吐き出していく。

 過ぎ去った昔の事なのに、思い出して腹が立つ事というものはある。
 魚の小骨が喉に引っ掛かったような感じで、普段は何ともないのに一時にすると堪らなくなってしまう。

 そんな彼女を、佑が慰めてくれた。

「香澄は間違えてないし、おばさんじゃない。それは俺が断言するよ」
「うん、ありがとう」

 テーブルの上にはポットがあり、佑がお茶を淹れてくれたのでそれを啜る。

「香澄のそういう善性は尊いと思うし、美徳だから大事にしてほしい。……でも、一歩間違えたらケガをしたかもしれないから、今後は何かったら俺に言ってくれ。もしくは、久住か佐野に言えば解決してくれる」

「…………?」

 佑の言う事が分からず、香澄は少し首を傾げる。

「香澄が言い返して、その高校生が逆上して、暴力を振るったら大変だろう? 助けてくれる人もいるかもしれないが、見て見ぬふりをする人も多い。若い女性っていうのは悔しい事に〝下〟に見られ勝ちなのを覚えておいてくれ」

 佑は手を伸ばし、香澄の手を握ってくる。

 温かい掌に包まれ、自分はおばさんではないと肯定してもらえた。
 その上で婚約者として心配までしてくれて、香澄の心に幸せが満ちていく。

「……うん。じゃあ、これからは周りに頼るね?」
「ああ。そのための婚約者で、じょ…………。恋人だ」

 佑は何か言いかけたが、香澄は特に何も考えず聞き流した。

 単純に「言い間違えたんだな」と思ったのだ。





 一瞬、佑はヒヤッとした。

 話の流れで「上司だから」と言いかけ、口を噤んだのだ。
 仕事の事を口に出せば、もしかしたら辞職願を書いた事などを思い出してしまうかもしれない。

 上司と言われたら、仕事環境も思い出す。
 飯山たちにされたいじめも含め、〝今〟のぼんやりとした香澄がネガティブな事を想像し、胸を痛めるのは避けたかった。

 だからとっさに、「上司」を「恋人」と言い換えた。





「ふぅ、お腹一杯になっちゃった」

 ほんのりと膨らんだ胃をさすり、香澄は笑う。

「胃もたれはしないか? 念のため胃薬飲んでおくか?」
「もー、心配しすぎ。胃もたれしたら、その時にお薬飲むから」

 立ち上がって食器を下げようとするが、佑に「いいよ」と言われる。
「そう?」と迷っているうちに、テキパキと彼がキッチンに食器を下げてしまった。

「いつも優しいけど、何だか今日は特に過保護だね?」

 ソファに座ろうとする時も、わざわざ佑が側に来て支えてくれる。
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