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第八部・イギリス捜索 編

第八部・終章 帰国

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『一概に何時間、何日後には薬が抜けているでしょうとは言えません。薬は血液を通って肝臓に運ばれて分解され、腎臓や肝臓を経由して排泄されます。また汗や息、唾液、母乳と一緒に体外に出ます』

『では、水分を取らせて積極的に出すという方法は?』

 佑の質問に、医師は少し考える。

『薬の副作用の中に喉を渇かせるものもあります。そこから水を飲みたがり、多飲症、水中毒になる可能性もあります。体外に排出する一案ではありますが、水は普通に飲んでもらった方がいいでしょう』

『……分かりました』

 分かりましたとは言っても、佑にできる事はほぼ何もない。
 落ち込んだ彼を気の毒そうに見て、医師はポンポンと肩を叩いてきた。

『薬は胃洗浄で出したので、近いうちに意識は戻るでしょう。普通に話せるかもしれませんが、本人は覚えていない可能性があります。ゆっくり静養してもらい、栄養をとり、適度な運動をさせてください。次第に完全に薬が抜けるでしょうが、〝今〟の事はほぼ覚えていないとお考えください』

 それを聞いて、佑の心にふ……と希望が差した。

『薬を飲まされたあとの、記憶がないという事ですか?』

 だとすれば、香澄は自分がどんな目に遭っていたか知らずにすむ。
 佑たちさえ黙っていれば、丸く収まるかもしれない。

 彼女を守るために、そんな打算が浮かび上がった。

『その可能性は高いですね。思い出そうとして苦しむ事があるかもしれません。しかしつらい思い出を無理に思い出す必要はありません。あなたはパートナーとして、楽しい毎日を提供して、過ぎ去った事よりも目の前にある〝今〟に注目させては如何でしょう』

『そう……ですね』

 ほんの少し、心が軽くなった。

 佑の苦しみの一つに、香澄がこれからどうなるかという不安がある。

 自分の身に起こった事を思い出し、苦しんで泣き叫ぶかもしれない。
 マティアスに犯されたと思い込んでいるのは、慎重に誤解を解けば理解してくれるかもしれない。

 そのあとの展開が薬によってぼやけてしまったのなら、正直しめたものだと思っていた。





「……望むようになればいいが」

 思考を〝今〟に引き戻し、佑は隣で眠る香澄の寝顔を見守る。

 明日までこのホテルで休憩し、警察にもできるだけ対応する。
 だが明後日になればチェックアウトしてロンドンに向かい、何が何でも自分のジェットで帰国すると決めていた。

 今日も警察に、「まだ何かあるのなら、東京まで来てください。こちらも忙しい上に病人を抱えているので、来てくださったのなら対応します」と告げた。

 いつまでも忌まわしい事件が起こった場所に留まるのは避けたい。

「香澄、東京に戻れるからな」

 深く眠っている香澄に語りかけ、佑は微笑んだ。



**



 翌日も一日ゆっくりし、ホテルを訪れた警察にも対応した。

 彼らは香澄にも話を聞きたがったが、佑は「薬を飲まされて何も覚えていない。とにかく休ませたいので接触は控えてほしい」と強く伝える。

 そして翌々日にはチェックアウトして、車でマンチェスターまで向かった。

 マンチェスター空港からヒースロー空港まで飛んだあと、飛行機内のベッドに寝かせた香澄を河野に頼み、一度マルコに会いに行った。





『やあ、タスク。その後どうかね?』

 相変わらず飄々としたマルコとハグをし握手を交わして、少し気持ちが楽になった。

 双子やマティアス、テオとはランカスターで別れた。
 こちらから連絡をしない限り、連絡をするなと強く言ったので問題ないだろう。

 白金の家と東京のホテルにある双子の荷物も、こちらで纏めて着払いで送ると言った。

『お陰様で、彼女を取り戻せました。マルコには感謝しきれません』
『なぁに、構わんとも』

『ところで、無事に産まれましたか?』

 佑の言葉に、マルコは親指を立ててニヤッとウインクした。

『ばっちりだ。第二子で可愛い女の子でね。これで私たちも安心した。しばらくロンドンにいて孫娘の様子を見守るが、落ち着いたらどこかで羽を伸ばすよ』

 マルコが言ったあと、カロリーナが佑の肩を叩いた。

『スィニョール・タスク。日本にはバカンスがないと聞いたわ。でもいつか休みができたら、いつでもイタリアにいらっしゃい。元気になったあなたの婚約者と話してみたいわ』

 ブロンドヘアを纏めた美しい彼女に微笑まれ、佑は再度握手を求める。

『カロリーナ、あなたにもお世話になりました。ぜひ、香澄が元気になったら伺わせてください。地中海の太陽を浴びたら、彼女もきっと喜ぶでしょう』

『楽しみにしているわ』

 世話になったのは短い期間だが、一生の恩人にしっかりと挨拶と礼をする。

 そして佑は香澄が待っている空港へ戻った。





「香澄は?」
「眠ったままです。変わりありません」

 佑がロンドンに行っているあいだ、彼のプライベートジェットは整備や給油を終え、いつでも羽田に向かえる状態になっていた。

「じゃあ、帰ろう」

 疲れてドサッと本革のシートにもたれかかると、河野もシートに座りベルトを締める。
 手足となって駆け回ってくれた運転手や護衛たちも、皆一様に疲れた表情で席に着いた。

 やがて飛行機がゆっくり動きだす。

 時刻は十四時過ぎ。
 これから約十二時間空の上を移動し、順調にいけば午前中には羽田に着くだろう。

 八月二十七日。

 晴れ渡り最高気温も三十二度まで至ったロンドンを、佑は大事な婚約者と共に離れた。



 第八部・完
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