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第八部・イギリス捜索 編
彼女の痕跡
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そしてその表面に『退職願』と書かれてあるのを見て、放心した。
引っ込んだはずの涙が、また零れてしまいそうになる。
香澄がどんな気持ちでこれを書いたのか想像し――、悲しくて堪らない。
「何も香澄が自分を責める事はないんだ」
そう呟いても、聞かせるべき相手はいない。
――彼女は今、どこにいるのだろう。
――どんな顔をして自分を責めているのだろう。
「君に何も非はない。愛しているから帰っておいで」と、抱き締めて囁いてあげたい。
香澄がボロボロに傷ついていると思うだけで、泣きそうだ。
「……駄目だな。すっかり涙脆くなってる」
呟いて目元を乱暴にこすってから、佑は退職願を机の引き出しにしまった。
そしてここにはいない彼女に、しっかりと言い聞かせる。
「絶対に受け取らないよ。これについては、またここに戻ってきてから、二人でじっくり話し合おう。いいや、撤回してほしい。……君は俺の側以外では生きられないんだから」
――俺がそう躾けた。
最後の言葉は、半ば自分に言い聞かせた。
そうでなければ、佑こそ、香澄がいなくて死んでしまいそうだからだ。
「はぁ……」
ため息をつき、佑は気分を変えようと試みる。
感傷に浸れば時間のロスを生む。
書斎を出て荷物をまとめる作業を進めようとした時、寝室でトラップのようにまた香澄の痕跡を見つけた。
メモだ。
『今までお世話になりました。 香澄』
「――――っ」
今度こそ膝から力が抜け、佑は力なくベッドに座り込んだ。
彼女の寝顔を見て、温もりを感じているこのベッドで、――別れの言葉を書かれた。
いつもなら佑が先に起きて、まだ眠っている彼女の寝顔をじっくり鑑賞し、「おはよう」から始まるメッセージを書いていたのに。
「香澄……」
彼女の名前を呼んだだけで、胸の奥がぐっと苦しくなる。
まるで、ズブズブと底なしの闇に包まれていくような心地を味わった。
冷たくまとわりつく闇は、呼吸すら奪い佑の思考も冷静さも、何もかもを奪っていく。。
佑は懸命に息を吸い、嗚咽に似た震えと共に吐き出した。
「こんな……、こんな物を書かせるために愛したんじゃない。笑っていてほしいから、幸せにしたいから手を握ったんだ……っ」
小さなメモ紙をかき抱き、佑は声なき声で慟哭する。
同時に――凄まじい怒りが沸き起こった。
お門違いな嫉妬をしたエミリア、彼女を直接傷付けたマティアス、そして彼女を囮にすると決めた祖父と、知っていながら自身のために黙っていた双子。
全員に激しい怒りを抱いた。
「……待ってろ。今すぐ迎えに行く」
どす黒い感情を胸に、佑は低く呟くとメモを二つ折りにし、ポケットにしまった。
それから後は、もう何も考えず手早く荷物をまとめ、ボディバッグにパスポートや貴重品を入れて玄関に向かった。
佑のプライベートジェットが羽田空港から離陸したのは、午前十一時すぎだ。
エミリアにどれだけ遅れてしまったかは分からない。
離陸前にアドラーに連絡をし、できるだけ冷静に香澄が被害を受けた事と、アドラーに後ほど話があると伝えた。
彼は一言『分かった』と了承し、それだけで電話は終わった。
まずは香澄の安全の確保から。
そう思い、佑はシートにもたれかかり目を閉じた。
**
香澄がヒースロー空港に降り立ったのは、現地の時間で十六時前だ。
寝不足でフラフラしていると、エミリアが笑う。
『大丈夫? カスミさんのために大きい車を手配したから、後部座席で横になっているといいわ。私は長時間のフライトには慣れているけれど、カスミさんは疲れたでしょう。今晩泊まるホテルに着いたら教えるから、それまでゆっくりしていて』
空港のベンチに座って車を待っていると、彼女がそう言ってくれた。
エミリアの護衛というスーツの男性たちは、異様に美形なので一緒にいると気後れする。
引っ込んだはずの涙が、また零れてしまいそうになる。
香澄がどんな気持ちでこれを書いたのか想像し――、悲しくて堪らない。
「何も香澄が自分を責める事はないんだ」
そう呟いても、聞かせるべき相手はいない。
――彼女は今、どこにいるのだろう。
――どんな顔をして自分を責めているのだろう。
「君に何も非はない。愛しているから帰っておいで」と、抱き締めて囁いてあげたい。
香澄がボロボロに傷ついていると思うだけで、泣きそうだ。
「……駄目だな。すっかり涙脆くなってる」
呟いて目元を乱暴にこすってから、佑は退職願を机の引き出しにしまった。
そしてここにはいない彼女に、しっかりと言い聞かせる。
「絶対に受け取らないよ。これについては、またここに戻ってきてから、二人でじっくり話し合おう。いいや、撤回してほしい。……君は俺の側以外では生きられないんだから」
――俺がそう躾けた。
最後の言葉は、半ば自分に言い聞かせた。
そうでなければ、佑こそ、香澄がいなくて死んでしまいそうだからだ。
「はぁ……」
ため息をつき、佑は気分を変えようと試みる。
感傷に浸れば時間のロスを生む。
書斎を出て荷物をまとめる作業を進めようとした時、寝室でトラップのようにまた香澄の痕跡を見つけた。
メモだ。
『今までお世話になりました。 香澄』
「――――っ」
今度こそ膝から力が抜け、佑は力なくベッドに座り込んだ。
彼女の寝顔を見て、温もりを感じているこのベッドで、――別れの言葉を書かれた。
いつもなら佑が先に起きて、まだ眠っている彼女の寝顔をじっくり鑑賞し、「おはよう」から始まるメッセージを書いていたのに。
「香澄……」
彼女の名前を呼んだだけで、胸の奥がぐっと苦しくなる。
まるで、ズブズブと底なしの闇に包まれていくような心地を味わった。
冷たくまとわりつく闇は、呼吸すら奪い佑の思考も冷静さも、何もかもを奪っていく。。
佑は懸命に息を吸い、嗚咽に似た震えと共に吐き出した。
「こんな……、こんな物を書かせるために愛したんじゃない。笑っていてほしいから、幸せにしたいから手を握ったんだ……っ」
小さなメモ紙をかき抱き、佑は声なき声で慟哭する。
同時に――凄まじい怒りが沸き起こった。
お門違いな嫉妬をしたエミリア、彼女を直接傷付けたマティアス、そして彼女を囮にすると決めた祖父と、知っていながら自身のために黙っていた双子。
全員に激しい怒りを抱いた。
「……待ってろ。今すぐ迎えに行く」
どす黒い感情を胸に、佑は低く呟くとメモを二つ折りにし、ポケットにしまった。
それから後は、もう何も考えず手早く荷物をまとめ、ボディバッグにパスポートや貴重品を入れて玄関に向かった。
佑のプライベートジェットが羽田空港から離陸したのは、午前十一時すぎだ。
エミリアにどれだけ遅れてしまったかは分からない。
離陸前にアドラーに連絡をし、できるだけ冷静に香澄が被害を受けた事と、アドラーに後ほど話があると伝えた。
彼は一言『分かった』と了承し、それだけで電話は終わった。
まずは香澄の安全の確保から。
そう思い、佑はシートにもたれかかり目を閉じた。
**
香澄がヒースロー空港に降り立ったのは、現地の時間で十六時前だ。
寝不足でフラフラしていると、エミリアが笑う。
『大丈夫? カスミさんのために大きい車を手配したから、後部座席で横になっているといいわ。私は長時間のフライトには慣れているけれど、カスミさんは疲れたでしょう。今晩泊まるホテルに着いたら教えるから、それまでゆっくりしていて』
空港のベンチに座って車を待っていると、彼女がそう言ってくれた。
エミリアの護衛というスーツの男性たちは、異様に美形なので一緒にいると気後れする。
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