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第八部・イギリス捜索 編

兄との電話

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 この一日だけでとてつもないストレスが溜まり、頭も体もおかしくなりそうだ。

 気分を変えるためにスマホを開き、届いていたメールを処理してゆく。
 松井から週明けからの予定について連絡が来ていたが、これからイギリスに向かうのなら、会社どころではなくなってしまう。

(そうだ、会社の事を忘れてた。迷惑を掛けないように連絡をしておかないと)

 もう一つの現実を思い、佑は心の中で社長としての〝御劔佑〟の仮面をかけ、松井にメールの返信を打つ。

『香澄が強姦され(実際は未遂でしたが、彼女は被害を受けたと思い込んでいます)、誘拐されました。命の危険もあるので、何とかスケジュールを空けられないでしょうか。本当に逼迫しています。』

 メールを送って半ば放心していると、間を置かず通知音が鳴った。
 ノロノロとスマホの画面を見ると、松井から返信がある。

『了解致しました。何かあればすぐ対応致しますので、いつでもご連絡ください。業務は副社長以下にお任せし、私は逐一報告できるように待機致します。』

 こういう時、深い事を詮索しない松井の気遣いがありがたい。

 そのメールに『宜しくお願いします。』と返信をし、佑は兄に電話を掛けた。
 スマホを耳に宛がい、窓の外を見ていると、数回コール音が鳴ったあと律が応じた。

『どうした?』

 兄の声を聞き、佑はすぐに返事をできず溜め息をついた。

 つい先日まで、旅行や食事会をして、香澄とは和気藹々と過ごした。
 その彼女が犯罪に巻き込まれたと、気が重くてなかなか言い出せない。

(だが、身内として一言言っておかなくては)

「香澄が犯罪に巻き込まれた」

 端的に伝えると、電話の向こうで律が息を呑んだのが分かった。
 そしてすぐに、聞き返してくる。

『……もしかして、エミリアか?』

「どうして……」

 どうしてと聞いて起きながら、双子が言っていたように兄と陽菜もまた、何かしらの被害に遭ったのかもしれないと予測した。
 律は少し黙ったあと、溜め息混じりに語りだす。

『俺と陽菜も、エミリアには悩まされていた』

 そして、明確な悪意とは言えないものの、不愉快と感じられる行為をされていた事を話してくれた。

「なぜ言ってくれなかったんだ」

 兄と兄嫁が大変な目に遭っていた時に、何も知らず過ごしていた歯がゆさと、もしその話を事前に知っていれば、今こうなっていなかっただろうという思いがこみ上げる。

『犯罪じゃなかった。〝嫌だったからやめてほしい〟とエミリアに伝えたら、〝ごめんなさい、悪気はなかったの〟と謝られ、それで終わる出来事だった。不信感はあっても謝罪を受けたからには、必要以上に彼女を悪者にする訳にいかなかった』

「……それは、そうだろうが……」

『佑は兄弟の中でも、一番エミリアと仲が良かっただろう。俺は年齢が離れているし、翔は双子と似た性格をしていて、エミリアの好みではない。佑の落ち着いた性格を彼女は気に入っていたと思っている。……だから、あえてお前に知らせて彼女へ悪印象を与えたくなかった』

 律のその気遣いが、今回は裏目に出てしまった。

『澪は本能的にエミリアを嫌っていたし、俺と陽菜にあった出来事はすぐ感づかれてしまった。だが、仮にも彼女はドイツの令嬢だし、母さんには絶対に言わないように言い含めていた。御劔家の問題じゃなく、クラウザー家、メイヤー家がどうこう……となったら面倒だ。俺はクラウザー・ジャパンの代表でもある。だから余計に……だ。それに、俺は何より陽菜を大切にしたい。大事な時期だし、彼女に不安を与えたくない』

 保守的とも思える兄の行動、思考は、すべて妻を守るためだ。
 それを出されると佑も何も言えない。

 佑だって兄と陽菜の間に、どんな出会いがあり、紆余曲折あって結婚までたどり着いたのかを分かっている。
 だから兄が彼女のために事を荒立てたくなく、そのために佑の元へ届く情報が遅れてしまったのを、責めるわけにいかない。

「分かった。俺はこれから、香澄がエミリアに連れ去られただろうイギリスに向かう。日本でできる事で構わないから、もし協力してほしい事があったら連絡する。だができるだけ、速やかに解決するつもりだ。両親にも今はまだ何も伝えられない。すべて解決した上で、香澄の気持ちが収まってからドイツ組含め、全員に問題提起したい」

『お前の言う通りにしよう』

 律との電話はそれで終わり、両親に言いかねない翔と澪にも黙っておくという事になった。

 ちょうどそのタイミングで、マティアスが戻って来た。

『お帰り。なに? そのビニール袋』

 マティアスの手にはビニール袋があり、クラウスが尋ねる。

『疲労が溜まっていると思って、強いエナジードリンクを買って来た』

 この騒ぎを引き起こした張本人であるのだが、そういう気遣いを見せるところは、さすがマイペースのマティアスだ。
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