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第八部・イギリス捜索 編
退職願
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『そう? ありがとう。私はまだ結婚とかに縛られず、自由に仕事をしていたいわ。いつか両親のために、孫を見せなきゃいけないのも分かっている。それでも今はまだ……』
エミリアは香澄と同い年だ。
今なら香澄は佑との結婚を強く望んでいるが、彼と出会う前は似たような事を考えていた。
だから彼女の気持ちはよく分かる。
マティアスの話題は避け、二人は同じ年齢だからこそ共通する話をした。
車は白金にある御劔邸に着き、車が停止する。
『用事を終わらせてすぐ戻って来るので、ここで待っていてください』
『分かったわ。なるべく早くね』
『はい』
香澄は大きな門の脇にあるインターフォンを押した。
少しして、円山の声がする。
「はい? ……赤松さん?」
「夜分すみません。忘れ物があるので、急遽取りに来ました」
「いま開けます。御劔さんは?」
「佑さんはホテルにいます。私だけ車で戻ってきました。用事を終えたらすぐ戻りますので、鍵をお願いできますか?」
「はい」
すぐに離れの方から走ってくる足音が聞こえ、円山が通用門を開けてくれた。
「いやぁ、びっくりしました。御劔さんからは何も伺っていなかったので」
「遅い時間なので、佑さんも気を遣ったのだと思います。すみません、私が我が儘を言ったばかりに」
不思議な事に、スルスルと口から嘘が出てくる。
いつもならすぐ顔に出る香澄が、呼吸をするかのごとく嘘をついていた。
母屋の鍵を開けてもらい、香澄はまっさきに二階に上がる。
(この家に入るのも、これが最後かもしれない)
そんな事を思いつつ、手頃な大きさのショルダーバッグにパスポートを入れた。
それからタオルハンカチにポケットティッシュを入れる。
年が明けるタイミングで替えようと思っていた新品の財布に、デスクの中に万が一を考えて忍ばせておいた三万円を入れる。
普段使いの財布もスマホもホテルにあるので、カードや電子決済は諦めた。
佑からもらったカードは、もっと使えない。
少し調べたら自分がどこにいるかすぐにバレるし、距離を取る意味がなくなってしまう。
メモ帳とペンも入れ、お気に入りの色つきリップも入れる。通帳と印鑑も入れた。
「……コスメはいいか。お化粧している余裕なんてないし」
それでも基礎化粧品は必要だと思い、サンプルをまとめてポーチに入れる。
エミリアは必要な物があればすべて用意すると言ってくれたが、ボストンバッグに衣類や下着、万が一のサニタリー用品を詰め込んだ。
ついでにエミリアから貸してもらった服と下着を脱いで紙袋に入れ、動きやすい服に着替えた。
お気に入りのTシャツも、Chief Everyの物なので泣けてくる。
そしていよいよ、デスクについて退職願を書く。
ノートパソコンを立ち上げ、ネットで「退職願の書き方」と調べる。
テンプレートのダウンロードがあったので、そこにそのまま必要な事柄を打ち込んだ。
何も考えないようにしているのに、涙がこみ上げて頬を熱く濡らす。
「私……、ろくな秘書じゃなかった……。大して働いてもいないのに、社長にも皆さんにも迷惑を掛けて……っ」
責任を取ろうと思えば、ここに留まって仕事を続け、佑に誠意的に接したらいい。
分かっているが、レイプされたという事実は香澄を重たく包み込み、自分が人間以下の価値のない存在になったと思い込ませていた。
佑を愛しているからこそ「側にいられない」と思い、彼から受けた優しさも愛も、すべてを裏切ってしまった気持ちになる。
「ごめんなさい……っ」
呟くと、声が震え涙がさらに零れた。
木製のティッシュボックスからティッシュを一枚引き抜き、鼻を噛む。
カタカタとキーボードを鳴らして必要な事をすべて打ち込んだあと、印刷ボタンをクリックした。
脇に置いてあるプリンタが動き出し、A4の紙を吐き出してゆく。
小さく鼻を啜りながらそれを三つ折りにし、事務用の封筒に入れて表に大きく『退職願』と書いた。
裏面には、『秘書課 赤松香澄』と自分の名前を書く。
僅かな間、感傷と共にそれを眺めていたが、立ち上がると佑の書斎に向かった。
「これ以上ここにいてはいけない。自分にはその価値がない」という思いが香澄をせき立てる。
廊下を歩き佑の書斎に入ると、フワッと彼の匂いがしてまた泣いてしまった。
エミリアは香澄と同い年だ。
今なら香澄は佑との結婚を強く望んでいるが、彼と出会う前は似たような事を考えていた。
だから彼女の気持ちはよく分かる。
マティアスの話題は避け、二人は同じ年齢だからこそ共通する話をした。
車は白金にある御劔邸に着き、車が停止する。
『用事を終わらせてすぐ戻って来るので、ここで待っていてください』
『分かったわ。なるべく早くね』
『はい』
香澄は大きな門の脇にあるインターフォンを押した。
少しして、円山の声がする。
「はい? ……赤松さん?」
「夜分すみません。忘れ物があるので、急遽取りに来ました」
「いま開けます。御劔さんは?」
「佑さんはホテルにいます。私だけ車で戻ってきました。用事を終えたらすぐ戻りますので、鍵をお願いできますか?」
「はい」
すぐに離れの方から走ってくる足音が聞こえ、円山が通用門を開けてくれた。
「いやぁ、びっくりしました。御劔さんからは何も伺っていなかったので」
「遅い時間なので、佑さんも気を遣ったのだと思います。すみません、私が我が儘を言ったばかりに」
不思議な事に、スルスルと口から嘘が出てくる。
いつもならすぐ顔に出る香澄が、呼吸をするかのごとく嘘をついていた。
母屋の鍵を開けてもらい、香澄はまっさきに二階に上がる。
(この家に入るのも、これが最後かもしれない)
そんな事を思いつつ、手頃な大きさのショルダーバッグにパスポートを入れた。
それからタオルハンカチにポケットティッシュを入れる。
年が明けるタイミングで替えようと思っていた新品の財布に、デスクの中に万が一を考えて忍ばせておいた三万円を入れる。
普段使いの財布もスマホもホテルにあるので、カードや電子決済は諦めた。
佑からもらったカードは、もっと使えない。
少し調べたら自分がどこにいるかすぐにバレるし、距離を取る意味がなくなってしまう。
メモ帳とペンも入れ、お気に入りの色つきリップも入れる。通帳と印鑑も入れた。
「……コスメはいいか。お化粧している余裕なんてないし」
それでも基礎化粧品は必要だと思い、サンプルをまとめてポーチに入れる。
エミリアは必要な物があればすべて用意すると言ってくれたが、ボストンバッグに衣類や下着、万が一のサニタリー用品を詰め込んだ。
ついでにエミリアから貸してもらった服と下着を脱いで紙袋に入れ、動きやすい服に着替えた。
お気に入りのTシャツも、Chief Everyの物なので泣けてくる。
そしていよいよ、デスクについて退職願を書く。
ノートパソコンを立ち上げ、ネットで「退職願の書き方」と調べる。
テンプレートのダウンロードがあったので、そこにそのまま必要な事柄を打ち込んだ。
何も考えないようにしているのに、涙がこみ上げて頬を熱く濡らす。
「私……、ろくな秘書じゃなかった……。大して働いてもいないのに、社長にも皆さんにも迷惑を掛けて……っ」
責任を取ろうと思えば、ここに留まって仕事を続け、佑に誠意的に接したらいい。
分かっているが、レイプされたという事実は香澄を重たく包み込み、自分が人間以下の価値のない存在になったと思い込ませていた。
佑を愛しているからこそ「側にいられない」と思い、彼から受けた優しさも愛も、すべてを裏切ってしまった気持ちになる。
「ごめんなさい……っ」
呟くと、声が震え涙がさらに零れた。
木製のティッシュボックスからティッシュを一枚引き抜き、鼻を噛む。
カタカタとキーボードを鳴らして必要な事をすべて打ち込んだあと、印刷ボタンをクリックした。
脇に置いてあるプリンタが動き出し、A4の紙を吐き出してゆく。
小さく鼻を啜りながらそれを三つ折りにし、事務用の封筒に入れて表に大きく『退職願』と書いた。
裏面には、『秘書課 赤松香澄』と自分の名前を書く。
僅かな間、感傷と共にそれを眺めていたが、立ち上がると佑の書斎に向かった。
「これ以上ここにいてはいけない。自分にはその価値がない」という思いが香澄をせき立てる。
廊下を歩き佑の書斎に入ると、フワッと彼の匂いがしてまた泣いてしまった。
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