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第八部・イギリス捜索 編

現実を告げるアラーム ★

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「佑……さん……」

 だからこそ、確かめに行かなければならない。
 大好きな人の名前を、こんなに祈りを込めて呼んだ事があっただろうか。

 バスルームに向かう途中、床の上に散乱した自分の服を見つけた。

(佑さんはこんな事、しない。佑さんは洋服を大切にする人だもの)

 さっき、――今は何時か分からないが、一度部屋で目覚めた時は、確かにクローゼットのハンガーに、丁寧に服が掛けられていたのを覚えている。

 ――違う。私は佑さんに愛された。
 ――彼はきっと、何かの理由で急いでシャワーを浴びなきゃいけないだけ。

 二律背反の思いが彼女を混乱させる。

 香澄はいつの間にか、自分がポロポロと涙を零していたのも自覚していなかった。

 太腿を伝う嫌な感触も、今にも吐いてしまいそうな不安も、すべて悪い夢なのだと思いたい。

 ヨロヨロと歩き、香澄は裸のままドアの前に立つ。

「……たすくさん?」

 コンコン、とドアをノックしても、中から返事はない。

 恐る恐るドアを開くと、モワッとした湯気の向こうで、男性が夜景を後ろにジェットバスに入っている姿が見えた。

 ――佑さんだ。

 一瞬でも、そう思ってしまったのはどうしてだろう。
 一途なまでに、彼であってほしいと祈り続けていたからだろうか。

「たす……」

 救われたというように微かに笑った香澄の前で、――男性が振り向き、声を掛けてきた。



『――起きたのか』



 濡れた髪を掻き上げ、そう言ったのはマティアスだ。



 彼は水音を立てて立ち上がり、バスタブの縁に腰掛ける。

 そしてそれまで一切見せなかった妖艶さを見せ、笑う。

『あんたも一緒に入るか? 体にぶっかけたから、汚れただろう』



 ――ぶっかけ、た。


 その言葉をすぐに理解できない。


 ――誰が?

 ――マティアスさんが?

 ――誰に?



 ――…………私、に?


 思考をほぼ停止させたまま、香澄は無意識に下腹部にあるぬるつきに触れる。

 彼が言っている事が真実なら、触りたくもない。

 そう思っているのに、「彼は嘘を言っているから、お腹に触っても何もない」という気持ちで勝手に手が動いていた。

 ネト……と、指先に糸が引く。
 やけにリアルな匂いすらある。

「――――」

 足が床に縫い付けられたかのように、動く事ができない。

 呼吸も、瞬きもできない。

 もしかしたら鼓動すら止まっているのでは、と思った。

 胸の奥は〝無〟で、何をどう反応すべきかも分からない。

 完全に固まっている香澄を揶揄するように、マティアスが続きを口にする。

『なに突っ立ってるんだ。ヤッた後の体を見せるのが趣味なのか?』

 マティアスが全裸のままバスタブから上がり、床を濡らしてこちらに歩み寄ってくる。

 目の前に引き締まった肉体が迫っても、香澄は鷹を前にした子ウサギのように固まるしかできない。

 その時、洗面台に置いてあったマティアスのスマホが、けたたましい電子音を鳴らした。

「!!」

 ハッとしてその時刻を見ると、――深夜の一時だ。
 ホテルのバーは深夜の一時までだ。

(佑さんが……戻って来る?)

 急に動き始めた香澄の脳内で、佑が自分を見て表情を歪めて「浮気者!」と罵ってきた。

 ――許されない。
 ――いくら何でも、これは許されない。

「あ……、あぁぁ…………ぁ……」

 両手で口元を覆い、香澄は真っ青になって酷く震え始めた。
 その目は焦点が合っておらず、目の前にいるマティアスすら認識していない。

 マティアスはそんな香澄を冷静な目で見たあと、濡れた指でポンとスマホをタップし、アラームを止めた。


「――――ああぁあああぁあああぁっっ、いやああああぁあああぁ……っっ!!」


 香澄はその場に崩れ落ちた。

 裸のお尻に、床が冷たいだなんて思う余裕もなかった。
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