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第六部・社内旅行 編

いってきますのキス

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 香澄自身も入社したばかりの身だ。

 それなのに結婚前の挨拶のためとはいえ、プライベートの旅行で骨折したなど、本当に申し訳が立たない。
 せめてものアピールとして、早めの復帰を希望していた。

 ――が、それを許さない者がいる。

「香澄、無理をしたら駄目だ。ちゃんと医者の言う事を聞いて」

 少し不機嫌そうな佑の声がした。

 振り向くと、身支度を整えた彼がジャケットを羽織ったところだ。
 いつものコロンをつけたのか、フワッといい香りもする。

「で、でも……。他の社員さんに申し訳ないです」
「将来の事を考えてちゃんと脚を直すのと、中途半端に無理をして仕事をするのと、どちらが迷惑になると思う?」

 身支度のあいだに仕事モードになったのか、佑は先ほどの雰囲気はどこかに、ピリッと厳しさすら伺わせる。

「…………」

 思わず香澄が黙ると、松井が助け舟を出してくれる。

「社長。秘書が三人に増えましたら、それぞれ役割分担も変わるはずです。一人が会社に残って、本社でのデスクワークをこなして頂けるのもいいと思いますが」
「…………」

 さすがに第一秘書である松井に言われると分が悪いのか、佑が溜め息をつく。

「……とりあえず、話は出張から帰ってきてからだ」
「……はい」

 こんな雰囲気になって見送りをしたくなかった。
 内心項垂れていると、クイッと顎をすくわれキスをされる。

「ん!? む!」

 松井が先に玄関に向かっているのをいい事に、たっぷり三十秒はキスをされた。

 歯を磨いたばかりの爽やかなミント味の舌が、滑らかに香澄の舌をくすぐる。
 口腔をまさぐられ、柔らかな部分を刺激されて、香澄の喉が上下した。
 さらに彼は唇を舐め、ちゅ、ちゅ、と音をたててついばみ、何度も食む。

 そのうち頭が蕩けてきて、香澄は思わず佑に縋り付いていた。

「……んぅ……」

 やっと唇が解放されて切ない吐息をつくと、今度は額にチュッとキスをされる。

「行ってくるよ」
「はい」

 息も絶え絶えになった香澄は、よろりと松葉杖で体勢を立て直した。

 忙しい身なのでとんぼ返りの海外出張だが、数日離れ離れになるのは間違いない。
 名残惜しく玄関まで見送りをすると、佑が微笑んだ。

「留守番頼むよ。リハビリはちゃんと行って、一日の終わりはアプリかメールで報告。何か少しでも変な事があったら、時間を気にせず報告。いいね?」
「はい」

 磨き上げられたストレートチップの靴を履いた佑は一歩香澄に歩み寄り、抱き締めてくる。
 スゥッと香澄の首元の香りを吸い込み、耳元で「愛してる」と呟いた。
 最後にポンポン、と頭を撫でて、行ってしまった。

「……いってらっしゃい」

「愛してる」と呟いた声があまりに官能的で、見送りの言葉が口から出たのはドアが閉まってからだ。

「……ドキドキ……する。…………もぉぉぉぉ…………」

 まだ耳元に佑の吐息がかかっているような気がする。

 目を閉じて香澄は玄関に残った佑の気配を体いっぱいに感じ、身もだえた。



**



 羽田からシャルル・ド・ゴール空港に下り立ったのは、フランス時間で夕方だ。実際のフライトでは、十二時間半乗っていたことになる。
 そのあいだに仕事を済ませ、睡眠もとった佑はシャッキリと背筋を伸ばし、車に乗ってホテルに向かった。

(いまは日本では深夜近くか……。さすがに電話は控えるか)

 今朝別れてきたばかりなのに、もう香澄が恋しい。
 代わりにコネクターナウのアプリを立ち上げると、香澄へのおやすみメッセージを打ち始める。

『いまパリに着いたよ。これからホテルにチェックインして、招待されているレストランに向かう。香澄はもう眠っているかもしれないけど、おやすみ。二泊三日で帰るけど、もしパリで手に入る物でほしいお土産があったら、いつでもメッセージを入れて。愛してる』

 自然と微笑んでメッセージを打ち込み、ポン、と送信する。

 そのあと佑らしからぬ可愛らしいキャラクターのスタンプで『おやすみ』と書いてあるものを送った。
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