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第四部・婚約 編
歓迎のお茶
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十五時のチェックインに合わせ、箱根までのドライブは途中の休憩も含め二時間少しかかった。
『沙羅花天』での部屋はアドラーが事前にとっていてくれ、宿泊代ももってくれるようだ。
六名まで泊まれる露天風呂つきの別邸にアドラー、節子、衛、アンネ、澪が泊まり、今回は佑と香澄が準主役だからと、二人のためにやはり露天風呂つきの別邸をとってくれた。
律と陽菜で一部屋、双子と翔の三人で一部屋だが、いずれも部屋に露天風呂のついた素晴らしい部屋のようだ。
事前にプールがあると佑から聞かされていたので、万が一を思って水着を持って来た。
二泊三日の間に周囲の散策も予定しているようで、芦ノ湖沿いにある神社にも行くらしい。
「佑さん……」
「ん?」
宿に入る前、香澄はドーンと間近にそびえる富士山を見上げ、何度もスマホで写真を撮っている。
「私、富士山をこんなに間近に見たの、初めて」
「マジか」
「マジです」
何回も撮ったあげく連写までして満足したあと、仲居が出迎えているので慌てて他の者のあとを追った。
別邸に二組、離れに二組と分かれ、佑と香澄は趣のある純和風の建物に入った。
「お……おじゃまします……」
まるで人様の家に入るような感覚になりつつ、香澄は靴を脱ぐ。
入り口から入ると出迎えのために生けられた花が真正面にあり、掛け軸や陶器でできたうさぎの置物が二つ置かれてあった。
「わ……、可愛い」
「縁起物でございます」
香澄の声に、着物を着た仲居が微笑む。
そして十畳あるらしい居間に入り、その広さと窓の向こうに広がる日本庭園に香澄は声を上げた。
「すごーい!」
東京よりも南にあるからか、庭園には桜やツツジが咲いていた。
「これだったら、アドラーさんも喜ばれてるね!」
「そうだな。ていうか、まずあの人の事なんだな」
佑が笑い、頭をポンポンと撫でてくる。
十畳の和室には勿論テーブルと座椅子があり、床の間もある。
続き間には八畳の寝室があり、障子を取っ払った広々とした空間にベッドが二つ並んでいる。
ベッドの足元の方向に日本庭園を眺望できるウッドデッキがあり、そこにも座って寛げるよう一人掛けのソファが二脚置かれてあった。
居間の頭上は一部が全体照明になっていて、組子細工で精緻に飾られている。
「内風呂がありまして、そこから外の露天風呂に繋がっています」
「おおお……」
例のソファは大きくせり出た天井の下にあり、多少の雨や雪が降っても大丈夫なようになっている。
遠景の日本庭園の手前に、生け垣に囲まれた部屋の庭があるので、露天風呂に入っていても誰かに見られる心配がない。
ウッドデッキにあるガラス戸の中は内風呂で、小さなサウナもあった。
洗面所は明るいウッド調で統一され、メインの鏡の他、大きな女優ライトもあり、女性に嬉しい作りになっている。
タオル類などが収められている壁の棚の横に、ウォールシェルフの中に一輪挿しの花があり、行き届いた、それでいて控えめな心配りが嬉しい。
部屋の紹介が終わったあと、仲居が和菓子と黒文字がのった小さな盆を「どうぞ」とテーブルの上にのせた。
そのあと、テーブルの側でお茶を点て始める。
勿論、茶室ではないし茶釜もないので、お湯は携帯できるものを使っている。
それでも香澄からすれば、着物を着て慣れていそうな雰囲気の女性が、手際よくお茶を点てている姿は特別だ。
「凄い……」
お茶を点てる現場など滅多に見ない香澄は、仲居の前で思わず正座をして凝視する。
すでにお菓子を食べた佑も、その隣で正座をしていた。
「どうぞ」
仲居が頭を下げ、まず佑にお茶を出す。
(あっ、作法を見ておこう!)
作法など何も知らないので、香澄は間違えないように緊張しながら佑の手元を見た。
彼は自分の右側に一度茶碗を置き、「ご相伴いたします」と仲居に頭を下げる。
それから自分の左側に茶碗を置き換え、香澄に向かって「お先に」と頭を下げた。
「あっ、はい、どうぞ」
佑に言われ、香澄は思わず返事をする。
そんな彼女に微笑みかけ、佑は茶碗を自分の正面に置き、もう一度「お手前頂戴いたします」と頭を下げた。
そして軽く茶碗を掲げ、左手の上に茶碗をのせ、回していく。
(ううっ、何回まわす?)
香澄は険しい顔をして必死に佑の手元を凝視した。
その反応がおかしかったのか、佑はクスクス笑いだした。
「緊張しなくていいよ。流派で色々あるけど、二回まわして茶碗の正面で飲まないようずらすんだ」
「ほう」
それから佑は茶碗に口を付け、二口半でお茶を飲みきる。
そして口を付けた所を右手の指で拭い、別の仲居が出してくれた懐紙で指先を拭う。
「この時は、普通着物の襟に懐紙を挟んでいるから、胸元から覗かせている懐紙で指を拭うとスマートだよ。今は正式な席じゃないから自由だ」
「うんうん」
「それから、さらに二回茶碗を回して、正面を向くようにする」
言いながら佑は手の中で茶碗を回し、自分の正面に置いた。
「今はここまででいいけど、正式には茶碗をじっくり拝見させてもらってから、相手に茶碗の正面が向くように回して返す」
「ん、うん!」
いざ自分の番になったので、香澄はぎこちないながらも佑が教えてくれた事を反芻しつつ、何とかお茶を飲んだ。
茶碗を返すところまでしてから、思わず「ごちそうさまでした!」と言ってしまい、佑と仲居を笑顔にさせてしまった。
(うう……。勉強しないと……)
真っ赤になって猛省している香澄に、仲居が声を掛ける。
「お客様に和風のおもてなしを楽しんで頂く趣旨ですので、形式などはあまりお気になさらず」
「ありがとうございます……」
そのあと、仲居は「どうぞごゆっくり」と出て行った。
「勉強不足だ……」
香澄は頭を抱えながら座椅子に座ろうとし、「あれっ?」と出されたままのお菓子に気付く。
「これってどのタイミングで食べるべきだったの?」
「お菓子はお茶の前だよ。干菓子とか手で摘まんで食べる物もあるから、やっぱり懐紙の準備はいるかな。でも今回は旅館だし、見た目の華やかさもあってこういうお菓子を出したんだと思う」
「ああ……。間違えた……」
香澄はがっくりと項垂れ、黒文字で綺麗な和菓子を一口大に切って食べる。
(おいし……)
上品な甘さにいつもなら感動しているところだが、今ばかりは学んだばかりのものを頭の中で反芻しながらなので、あまり味わえない。
「裏百家とか、表百家とか、ああいうのって何?」
とうとうキャパシティオーバーになり、考えるのを放棄した香澄は、佑に尋ねる。
「利休から家督を継いだのが表百家だ。裏百家は、表百家の庵の裏にあるからそう呼ぶんだ」
「あら、物理的な〝裏〟なんだ」
「もう一つ、分家の綾小路百家と合わせて、〝三百家〟って言うんだ」
「あれ、表と裏の他に、もう一つあったんだ!」
「そう。裏はカルチャースクールとかでもやっていて、一般的に広まってる。表と綾小路は言ってしまえば少数派で、それぞれ作法が多少違っていたりするかな」
「あー……。奥が深い……」
一気に全部知ろうとするのを諦め、お菓子を食べ終わった香澄はゴロッと畳の上に転がる。
「凄いお部屋だねぇ……。贅沢……」
寝転がったまましみじみと呟くと、側に膝をついた佑が頭を撫でてきた。
「俺とも今度、二人きりで温泉に行こうか」
「うん」
彼の家族と懇意になれるのは勿論嬉しいが、佑との二人きりでの温泉も嬉しい。
「夕食まで自由時間だから、一回温泉に入るか? せっかく露天風呂だし」
優しく微笑んだ彼に見下ろされ、香澄は「う……」と赤面して横を向く。
「……一緒に入るの?」
「勿論」
嬉しげな声を聞き、香澄は照れ隠しのために口を引き結ぶ。
――――――――――――――
百利休になっちゃいますが、諸々回避するために……(笑)
『沙羅花天』での部屋はアドラーが事前にとっていてくれ、宿泊代ももってくれるようだ。
六名まで泊まれる露天風呂つきの別邸にアドラー、節子、衛、アンネ、澪が泊まり、今回は佑と香澄が準主役だからと、二人のためにやはり露天風呂つきの別邸をとってくれた。
律と陽菜で一部屋、双子と翔の三人で一部屋だが、いずれも部屋に露天風呂のついた素晴らしい部屋のようだ。
事前にプールがあると佑から聞かされていたので、万が一を思って水着を持って来た。
二泊三日の間に周囲の散策も予定しているようで、芦ノ湖沿いにある神社にも行くらしい。
「佑さん……」
「ん?」
宿に入る前、香澄はドーンと間近にそびえる富士山を見上げ、何度もスマホで写真を撮っている。
「私、富士山をこんなに間近に見たの、初めて」
「マジか」
「マジです」
何回も撮ったあげく連写までして満足したあと、仲居が出迎えているので慌てて他の者のあとを追った。
別邸に二組、離れに二組と分かれ、佑と香澄は趣のある純和風の建物に入った。
「お……おじゃまします……」
まるで人様の家に入るような感覚になりつつ、香澄は靴を脱ぐ。
入り口から入ると出迎えのために生けられた花が真正面にあり、掛け軸や陶器でできたうさぎの置物が二つ置かれてあった。
「わ……、可愛い」
「縁起物でございます」
香澄の声に、着物を着た仲居が微笑む。
そして十畳あるらしい居間に入り、その広さと窓の向こうに広がる日本庭園に香澄は声を上げた。
「すごーい!」
東京よりも南にあるからか、庭園には桜やツツジが咲いていた。
「これだったら、アドラーさんも喜ばれてるね!」
「そうだな。ていうか、まずあの人の事なんだな」
佑が笑い、頭をポンポンと撫でてくる。
十畳の和室には勿論テーブルと座椅子があり、床の間もある。
続き間には八畳の寝室があり、障子を取っ払った広々とした空間にベッドが二つ並んでいる。
ベッドの足元の方向に日本庭園を眺望できるウッドデッキがあり、そこにも座って寛げるよう一人掛けのソファが二脚置かれてあった。
居間の頭上は一部が全体照明になっていて、組子細工で精緻に飾られている。
「内風呂がありまして、そこから外の露天風呂に繋がっています」
「おおお……」
例のソファは大きくせり出た天井の下にあり、多少の雨や雪が降っても大丈夫なようになっている。
遠景の日本庭園の手前に、生け垣に囲まれた部屋の庭があるので、露天風呂に入っていても誰かに見られる心配がない。
ウッドデッキにあるガラス戸の中は内風呂で、小さなサウナもあった。
洗面所は明るいウッド調で統一され、メインの鏡の他、大きな女優ライトもあり、女性に嬉しい作りになっている。
タオル類などが収められている壁の棚の横に、ウォールシェルフの中に一輪挿しの花があり、行き届いた、それでいて控えめな心配りが嬉しい。
部屋の紹介が終わったあと、仲居が和菓子と黒文字がのった小さな盆を「どうぞ」とテーブルの上にのせた。
そのあと、テーブルの側でお茶を点て始める。
勿論、茶室ではないし茶釜もないので、お湯は携帯できるものを使っている。
それでも香澄からすれば、着物を着て慣れていそうな雰囲気の女性が、手際よくお茶を点てている姿は特別だ。
「凄い……」
お茶を点てる現場など滅多に見ない香澄は、仲居の前で思わず正座をして凝視する。
すでにお菓子を食べた佑も、その隣で正座をしていた。
「どうぞ」
仲居が頭を下げ、まず佑にお茶を出す。
(あっ、作法を見ておこう!)
作法など何も知らないので、香澄は間違えないように緊張しながら佑の手元を見た。
彼は自分の右側に一度茶碗を置き、「ご相伴いたします」と仲居に頭を下げる。
それから自分の左側に茶碗を置き換え、香澄に向かって「お先に」と頭を下げた。
「あっ、はい、どうぞ」
佑に言われ、香澄は思わず返事をする。
そんな彼女に微笑みかけ、佑は茶碗を自分の正面に置き、もう一度「お手前頂戴いたします」と頭を下げた。
そして軽く茶碗を掲げ、左手の上に茶碗をのせ、回していく。
(ううっ、何回まわす?)
香澄は険しい顔をして必死に佑の手元を凝視した。
その反応がおかしかったのか、佑はクスクス笑いだした。
「緊張しなくていいよ。流派で色々あるけど、二回まわして茶碗の正面で飲まないようずらすんだ」
「ほう」
それから佑は茶碗に口を付け、二口半でお茶を飲みきる。
そして口を付けた所を右手の指で拭い、別の仲居が出してくれた懐紙で指先を拭う。
「この時は、普通着物の襟に懐紙を挟んでいるから、胸元から覗かせている懐紙で指を拭うとスマートだよ。今は正式な席じゃないから自由だ」
「うんうん」
「それから、さらに二回茶碗を回して、正面を向くようにする」
言いながら佑は手の中で茶碗を回し、自分の正面に置いた。
「今はここまででいいけど、正式には茶碗をじっくり拝見させてもらってから、相手に茶碗の正面が向くように回して返す」
「ん、うん!」
いざ自分の番になったので、香澄はぎこちないながらも佑が教えてくれた事を反芻しつつ、何とかお茶を飲んだ。
茶碗を返すところまでしてから、思わず「ごちそうさまでした!」と言ってしまい、佑と仲居を笑顔にさせてしまった。
(うう……。勉強しないと……)
真っ赤になって猛省している香澄に、仲居が声を掛ける。
「お客様に和風のおもてなしを楽しんで頂く趣旨ですので、形式などはあまりお気になさらず」
「ありがとうございます……」
そのあと、仲居は「どうぞごゆっくり」と出て行った。
「勉強不足だ……」
香澄は頭を抱えながら座椅子に座ろうとし、「あれっ?」と出されたままのお菓子に気付く。
「これってどのタイミングで食べるべきだったの?」
「お菓子はお茶の前だよ。干菓子とか手で摘まんで食べる物もあるから、やっぱり懐紙の準備はいるかな。でも今回は旅館だし、見た目の華やかさもあってこういうお菓子を出したんだと思う」
「ああ……。間違えた……」
香澄はがっくりと項垂れ、黒文字で綺麗な和菓子を一口大に切って食べる。
(おいし……)
上品な甘さにいつもなら感動しているところだが、今ばかりは学んだばかりのものを頭の中で反芻しながらなので、あまり味わえない。
「裏百家とか、表百家とか、ああいうのって何?」
とうとうキャパシティオーバーになり、考えるのを放棄した香澄は、佑に尋ねる。
「利休から家督を継いだのが表百家だ。裏百家は、表百家の庵の裏にあるからそう呼ぶんだ」
「あら、物理的な〝裏〟なんだ」
「もう一つ、分家の綾小路百家と合わせて、〝三百家〟って言うんだ」
「あれ、表と裏の他に、もう一つあったんだ!」
「そう。裏はカルチャースクールとかでもやっていて、一般的に広まってる。表と綾小路は言ってしまえば少数派で、それぞれ作法が多少違っていたりするかな」
「あー……。奥が深い……」
一気に全部知ろうとするのを諦め、お菓子を食べ終わった香澄はゴロッと畳の上に転がる。
「凄いお部屋だねぇ……。贅沢……」
寝転がったまましみじみと呟くと、側に膝をついた佑が頭を撫でてきた。
「俺とも今度、二人きりで温泉に行こうか」
「うん」
彼の家族と懇意になれるのは勿論嬉しいが、佑との二人きりでの温泉も嬉しい。
「夕食まで自由時間だから、一回温泉に入るか? せっかく露天風呂だし」
優しく微笑んだ彼に見下ろされ、香澄は「う……」と赤面して横を向く。
「……一緒に入るの?」
「勿論」
嬉しげな声を聞き、香澄は照れ隠しのために口を引き結ぶ。
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