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第三部・元彼 編

七年越しの……

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「あ、これ。爪磨きしてたの。手はもうピカピカだよ」

 ふふん、と自慢げに手を差し出すと、佑が「どれ」と見てくる。

「女の子は大変だな」

 リビングに向かいがてらポンポンと頭を撫でられ、香澄は嬉しくなって彼のあとを追う。

「佑さんだって、爪綺麗じゃない。ちゃんと磨いてるんでしょ?」
「ああ、これは三週に一回美容室に行った時、ハンドとフットのケアを一緒にしてもらってるんだ」
「へぇ? 便利!」

 東京に来てから二か月になろうとしているが、香澄はまだ美容室に行っていなかった。
 佑が気に掛けてくれるのだが、元から髪がロングヘアなので基本的に放置している。
 その上、前髪を切るのにいちいち美容室に行っていられないので、今までずっと前髪は自分で切っていたのだ。
 カラーもしていないし、基本的にヘアケアは自宅で洗ってヘアオイルなどをつけるのみ。
 ドライヤーはこの家に来てから高級な物を使わせてもらっていて、それだけで髪が前よりツルサラになった気がする。

「香澄も俺と同じ美容室通わないか? カラーとかやってもらっている間に、ハンドとフットケアしてもらえるし、なんならまつエクとかもあるぞ」
「一か所で済むのはありがたいね」

 コートを脱いだ佑は、サラリと香澄の髪に触ってくる。

「こっちに来てから、一回も美容室に行ってなくないか?」
「うん……。髪長いからいいかな? と思って」

 物臭と思われていないか気にしつつ、香澄は自分の毛先に枝毛ができていないか確認する。

「長さやカラーを大きく変えなくても、トリートメントとか定期的にするだけで、もっと髪質良くなると思うぞ」
「そっかぁ……。じゃあ、予約入れられそうな時に行こうかな」
「分かった。じゃあ、陣内さんに連絡しておくよ」
「ありがとう」

 佑はキッチンに向かい、水を飲む。

「お酒飲んだ? お風呂どうする?」
「一杯しか飲んでないから、あとで入るよ」

 佑はジャケットを脱いでハンガーに掛けると、ネクタイを緩めソファに座る。
 疲れたようにドッと座り込んだので、香澄は気を遣って彼の様子を気にした。

「……ん?」

 香澄の視線に気付いた佑が、こちらを見て微笑む。

「おいで」

 そして両腕を広げ、ハグを求めてきた。

「……ん」
「おいで」と言われたのが嬉しく、香澄も両腕を広げて佑に抱きついた。

 彼の膝の上に乗るとギューッと抱き締める。
 まだ佑からは、ほんの微かに冬の外気の匂いがする気がした。
 冷たく涼やかな匂いを嗅いで、香澄は佑の首筋に顔を埋める。
 佑も香澄の首元に鼻先を埋め、スゥッと匂いを吸い込んできた。

「……桃と洋梨の香りがする」

 彼が呟いたのを聞いて、香澄は微笑む。

「こっそり香水つけてたの、バレちゃった」
「とてもいい匂いだよ。二つ合わさって、甘くて美味しそうで……かぶりつきたくなる」

 最後はそう言ったあとに、はむっと香澄の首筋を甘噛みしてきた。

「んふっ、んふふふふ……」

 佑がじゃれついてくるのが嬉しくて、香澄は笑いながら彼を抱き締める。

「……好き」

 シャツにベスト姿の彼を抱いたまま、香澄はぽつんと呟く。
 皮肉な事に、健二と再会して昔のトラウマを思いだしたお陰で、佑への想いがより深くなった。

(ワケわりな私を、これだけ受け入れて愛してくれて、こんなにも素敵な人は他にいない。恥ずかしいとか自信がないとか言っていないで、もっと素直にならないと)

 佑を抱き締め、抱き締められていると、どんどん気持ちが落ち着いてくる。

「ずっとこのままでいたい」
「俺もだよ」

 耳元で甘く応えてくれる声に、香澄はとろりと目を細める。
 沢山伝えたい事があるはずなのに、こうしているだけですべてが幸せの中に溶けていく。

「ん……、ちょっと……。本格的に佑さんを吸わせて」

 彼の膝の上で横座りしていた香澄は、体勢を変えて向かい合うように座った。
 そしてコアラのようにしっかり佑にしがみつき、ッスゥーッと匂いを吸い込む。

「っはは、『吸わせて』って」
「猫吸いとかあるでしょ、あれ」

 くぐもった声で返事をすると、佑も同じように香澄の首元を吸ってくる。

「じゃあ、俺はうさぎ吸い」

 彼がまだバニーガールの事を引っ張っているのに気づき、香澄は無言で照れた。
 二人してギューッと強く抱き締め合い、そのうち佑がユラユラと体を左右に揺らす。
 いちゃつくのを楽しむかのような動きに、香澄は思わず笑った。
 しばらくそのままお互いの体温や存在を感じていると、佑がポツリと切り出した。

「もう、原西さんの事は気にしなくていいからな」
「……うん。佑さんと一緒にいて、幸せに暮らしていれば、そのうち忘れられる気がする」

 香澄の返事を聞き、佑はポンポンと背中を叩いてくる。

「嫌な事が心に残りやすいのって、同じ間違いをしないようにっていう生存本能からなんだって。最初に健二くんと付き合う時、私はまったく男性を見る目がなかったと思う。二人目に付き合ったのが佑さんだから、多分〝これから〟男の人を見極める目とか、そんなに必要ないと思う」
「……ん」

「でも私は、ちゃんと学習したい。適当に妥協して、何も調べずに『大丈夫そうだな』って判断したら、痛い目を見る事だってあるかもしれない」
「そうだな。人は見かけによらない。一見ニコニコして優しい人が、実は……というパターンはよくある」

 事件があった時にマスコミが取材をし、顔が映されていない主婦が「そんな人だと思いませんでした」というシーンを思い出す。

「これから、香澄の事は俺が絶対に守るけど、そういう心構えでいるのはいいと思うよ」
「うん」

 たっぷり佑を堪能し、そろそろ膝の上から下りようかと思った時、彼が尋ねてきた。

「香澄、一つ確認したい事があるんだけど、いい?」
「え? うん」

 何だろう? と目を瞬かせると、佑が身じろぎしたので彼の腰の上から下りた。

「ちょっと、来てくれる?」

 そう言って佑はジャケットや鞄を持って歩き出し、玄関ホールに向かう。
 不思議に思いながらも、香澄も彼のあとをついて行った。





 二階に上がると、佑は手にしていたジャケットやコートをハンガーに掛けてから書斎に向かう。

(なんだろ? プレゼントかな? ……にしても、『確認したい』っていうのは……。落とし物でもした?)

 そして佑は書斎にある本棚下にある引き出しから、とある物を取りだした。

「……これ、見覚えないか?」

 差し出されたのは、十センチメートル四方ほどのプレゼントだ。
 大角梅坂屋の包装紙に包まれていて、銀色にブルーのリボンがついたシールが貼られてある。

「…………」

 一瞬、香澄はそれが何なのか分からないでいた。
 だが、直後にブワッと七年前の記憶が蘇った。

「……私、健二くんに三時間の待ちぼうけをされた時、クリスマスプレゼントにって思って、紳士服売り場でブランド物のタオルハンカチを買ったの」

 知らずと手が震え、足がすくむ。

 ――そう。
 あの時のプレゼントは、健二から連絡があったあとに駅前で人に押しつけたはずだった。
 十二月の寒空の中、札幌で外に座っている人などまずいない。
 確実に風邪を引く、愚かしい行為だからだ。

「頭を冷やしたくて外に座ってて……。男の人に声を掛けられたの。背の高い男の人だった……」


『……大丈夫?』
『何か温かい物でもご馳走しようか?』


 あの時は気持ちがくさくさしていて、ナンパかと思って取り合わなかった。
 それでも「一応心配してくれたんだし」と思って、行く当てのないプレゼントをあげた――もとい、押しつけたのだった。

「これ…………」

 震える手で香澄はプレゼントを手に取り、無言で包装を剥がした。
 プレゼントはまだ開けられていなかったけれど、しまわれていたとはいえ、七年経っているので多少の色あせなどが確認できた。

「あぁ……」

 包装紙を開くと、中央が透明フィルムになった白い箱の中に、香澄が健二のために選んだ濃紺のタオルハンカチが収まっていた。

「……やっぱり、香澄だったのか」

 佑は苦笑いし、クシャクシャと香澄の頭を撫でてくる。

「なん、……で」

 あり得なくはない。
 けれど、あまりの偶然に香澄は言葉を失っていた。
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