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第三部・元彼 編

健二の思い出2

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 それでも、誕生日やクリスマスになると少しばかり落ち込んだ。

「お前の誕生日って、十一月の後半でクリスマスと近いから、財布に痛いよな」
「あはは、ごめんね。無理してプレゼントしてくれなくていいから」
「そう? まー、クリスマスって言っても他人の誕生日だしな」

 言葉の通り、プレゼントがほしくてイベントがある訳ではないと思っている。
 彼氏なら、日付が変わった時に『おめでとう』と一言メッセージをくれたらそれでいいと思っていた。
 だが日付が変わってすぐだなんて、人によっては「重たい」と思われるだろう。
 健二の事だから何と文句を言うか分からないし、香澄は誕生日もクリスマスも、彼の自由にしてほしいと思っていた。



 健二の誕生日は八月で、香澄は健二に「ほしい」と言われ、一万円少しの腕時計を買った。
 大型バイクを乗っている人が身につけていそうな、有名シルバーアクセサリーの雰囲気のある腕時計だった。
 夏から秋になる途中、講義がよく一緒になる同じクラスの友達が笑顔で話し掛けてきた。

「香澄~! 見て! 彼氏にもらったの」

 彼女の胸元で輝いていたのは、小さなダイヤモンドがついたネックレスだった。

「可愛いね」

 小さなハート型の中に一粒のダイヤモンドがさがり、揺れているデザインだ。

「高級に見えて、意外と二万もしないから香澄もワンチャンありだよ」
「あはは、そんな」

 笑い飛ばしながらも、香澄は心のどこかで期待していた。
 友達に張り合いたいという気持ちはないが、アルバイトをするようになって自由になる金が少しできるなら、恋人同士少し値の張ったプレゼントができる。
 高校生時代にはできなかった大人の付き合いができるようで、香澄はいずれくる年末近くの誕生日とクリスマスにほのかな期待を抱いたのだった。




 そして誕生日当日、香澄は大学が終わってから健二とデートをした。

 夕食はイタリアンレストランで、二千円少しのコースを健二がご馳走してくれた。
 それから映画を見たのだが、太腿の上に置いていた手に手を重ねられ、どう反応したらいいか分からなかった。

(映画、集中したいな)

 彼氏なのだから、多少のボディタッチがあって当たり前だ。
 でも香澄は映画鑑賞を趣味としていて、映画を見ている間は集中したかった。
 そのあとも健二はモソモソと香澄の太腿を撫で、集中力がないまま微妙に嫌な気持ちにもなり、見たいと思っていた映画が終わってしまった。

「面白かったね」

 それでもデートなので、映画が終わったあとは笑顔で言う。
 だが健二はどこかつまらなさそうな顔をしている。

「……どうかした?」
「お前、察し悪くない?」
「え? 何で?」
「俺がああやったらさ、脚開くとかあるだろ」
「…………? …………!」

 一瞬彼が言う事が分からなかったが、求めていた事を察して香澄はサッと赤面した。

「え、映画館はそういう事をする場所じゃないでしょ」
「つまんねーな」

 逆に健二がずっとそういう気だったのを感じ、香澄は嫌悪を感じた。

(映画館はラブホじゃない! 映画好きな人や、働いてる人に失礼だと思わないのかな)

 ムカムカして、失望する気持ちもあったが自分をむりやり宥める。

(健二くんは彼氏だし、付き合ってからずっとそういうのを求めていたのかもしれない。まだキスもしてないし……、私にも非はある)

 考えていた時、健二が言った。

「ホテル行く?」
「え?」
「誕生日って言ったら、泊まりデートだろ。ホテル代出してやるよ」
「……え、……いやぁ……」

 香澄は処女だ。
 心の準備もなかったのに、突然ホテルに行ってセックスするかと言われても、すぐに応えられる覚悟がなかった。

「……今日は、やめとく」
「あっそ。せっかくお前の誕生日だから、ホテル代下ろして準備してたのに」

 雰囲気が悪くなり、香澄は冷や汗をかく。

「……ごめん。心の準備ができてない」
「じゃあ、クリスマスは?」
「ごめん。麻衣との予定を先に入れちゃった」

 麻衣との予定は、夏の終わりぐらいから入れていたので、今さらキャンセルなどできない。
 彼女なら「私に気を遣わなくていいよ」と言うに決まっている。
 だからこそ、香澄は麻衣との関係を大切にしたかった。
 麻衣の恋愛を常に応援していても、彼女が積極的に男性と関わろうとしない性格なのは分かっている。
 だから香澄に彼氏ができて、少し麻衣がよそよそしくなったのに焦りを感じていた。
「私は何も変わっていないよ」と伝えたくて、麻衣と約束した時は絶対にキャンセルしなかった。
「原西はいいの?」と言われる事もあったが、「今は麻衣が優先だよ」と言うと、親友はホッとしたような表情を見せるのだ。

 麻衣にも彼氏ができたら、お互い〝同じ〟になるかもしれない。
 けれど彼女は彼氏ができにくい。
 馬鹿にしている訳ではなく、事実として香澄は認識している。
 彼氏ができにくい事で、麻衣がどんどん自分の殻にこもっていっているのを、香澄はそれとなく感じていた。
 普段は無理に明るく振る舞っている麻衣の繊細な一面を分かっているからこそ、香澄は親友ポジションをしっかり守り、彼女の安らぎになりたいと思っていた。
 麻衣という存在は、そこまで香澄にとって大切な人だった。

 だから――、次の健二の言葉でブチキレた。

「何だよ、俺よりあのデブとの約束を優先するのか」
「やめてよ!!」

 香澄は、周囲にいた人が驚いて振り向くほどの大声を上げた。
 言ってはいけない言葉を耳にし、香澄は顔を真っ赤にして怒った。

「そういうの、いけない! 人が気にしてるだろう、体型や外見を馬鹿にする言葉、よくない!」
「何だよ、マジになって」

 健二は笑ってごまかそうとしたが、香澄の剣幕にやや引いていた。

「言葉のあやだろ。何マジになってんだよ。引くわ」
「幾ら彼氏でも、友達の事で言ってほしくない事があるの」
「あっそ。ゴメンナサイ。俺、帰るな」

 健二はそのあと一人で歩き出し、映画館のあるフロアからいなくなってしまった。
 周囲にいた人は少しの間香澄を見ていたが、やがてそれぞれの話し相手との会話に戻った。

(……私は、間違えてない)

 香澄は自分に言い聞かせ、しばらくフロアの隅にうずくまっていた。
 甘いポップコーンの匂いがするこのフロアが大好きで、待ち合いの椅子にあるスクリーンで予告映像が流れるのを、いつも楽しみにしていた。
 ドキドキするとっておきの空間なのに、今は最悪な気分で一杯だ。

「おねーさん、一人?」

 声を掛けてきた若い男性の集団の声で我に返り、「すみません、帰るので」と言って慌ててその場をあとにした。
 友達がもらっていたようなネックレスは、結局もらえなかった。
 プレゼントがほしかった訳じゃない。
 健二は恋人として思い出が作りたくて、ホテル代にまわしたのかもしれない。

(こういう事もある。何も他のカップルのデートやプレゼントが、全部正解じゃないんだから)

 自分に言い聞かせ、香澄は電車に乗って一人帰宅した。




 その後、大学で健二と会っても、しばらく無視された。

 クリスマスも近付いていたが、健二から何も言われない。
 メッセージで『二十五日なら空いてるよ。それともクリスマス前の週末とかどう?』と話し掛け、ようやく『週末ならいいよ』と返事があった。
 お詫びの意味も兼ねて、クリスマスプレゼントの予算を少し多めに伝えると、健二はスマホで使えるギフトコードがいいと言ってきた。

(どうせならちゃんと記念に残る〝物〟をプレゼントしたいのに……)

 ――これじゃあまるで……。

 そのあとに続く言葉をなかった事にし、香澄はコンビニでギフトカードを買い、メッセージでそのコードを健二に伝えた。

『ありがと。明日大学が終わったあと、現地集合な』

 健二が指定したのは金曜日で、大学が終わったあとにデートしようという予定だった。
 そして香澄は札幌駅で健二を待ち――三時間の待ちぼうけをくらった。
 どれだけ連絡をしても、返事はない。
 十八時に約束をして、二十一時をすぎてようやく『ごめん、忘れてた。今日は無理』と返事があった。

(……クリスマスのお詫びの意味も込めてなのに……!)

 ギフトカードだけでは味気ないからと、香澄はちょっとした気持ちとして百貨店で紳士用のブランドタオルハンカチを一枚買った。
 それも、後日になって渡すのが馬鹿らしく思えた。
 雪が降るなか、香澄は頭を冷やすために札幌駅の外に出て、ベンチに座った。
 情けなくて、悔しくて、次から次に涙が出てくる。
 カップルや家族連れでいっぱいの駅前で、香澄は一人嗚咽していた。

「……大丈夫?」

 そんな香澄に声を掛けてくる男性がいた。

(帰らなきゃ)

 ――変な人だったら困る。

 そう思った香澄は、「大丈夫です」と返事をして立ち上がった。

「何か温かい物でもご馳走しようか?」

 若い男性は親切な言葉を口にしたが、そのあとに〝見返り〟を求められては困る。

「いいえ、本当に大丈夫ですから」

 香澄はペコリと頭を下げ、「そうだ」と思って男性の手にプレゼントのタオルハンカチを押しつけた。

「それ、あげます。必要なくなった物なので。要らなかったら捨ててください」
「あっ、ちょっと……」

 駅前でも外な上、相手は駅を背にしていたので、逆光になっていて顔がよく分からない。
 そのまま香澄は駅の中に向けて走り出した。

**

 ストローを吸うとズッ……と音がして、コーヒーシェイクの底が見える。

(嫌なこと思い出しちゃった)

 溜め息をつき、香澄は腕時計を確認する。
 佑がくれた腕時計で、女性的な雰囲気があって上品なうえ、文字盤が見やすい。
 しょっちゅう身につける物だが、どこのブランドの物で幾らするかは怖いので考えていない。

(あの頃のどん底から思うと、すっかり変わっちゃったな)

 当時なら高くて滅多に飲めなかったサンアドバンスのシェイクも、自分一人でおやつ代わりに一番大きいサイズだって注文できる。

(あれから約七年か……。お互い、成長できてるといいんだけど)

 健二は勿論だし、自分も子供っぽいところがあったので、当時より大人になれていたら……と願う。
 その時、スマホが通知を慣らし、健二からのメッセージを表示した。
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