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第二部・お見合い 編

第二部・終章

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「何も……ない……」

 本当は「特に何もないよ」とサラッと返事をしたかったのに、香澄は中途半端に答えたまま固まってしまった。

(私は……、健二くんと付き合っていて、……そりゃあ、佑さんと比べるといい彼じゃなかったかもしれないけど……)

 彼との関係は、一、二年の頃に付き合い、三年のゼミで自然と離れてしまったと言うのは、佑に言った通りだ。

「付き合ったきっかけは?」
「……告白された。……最初は冗談かと思っていたけど、食い下がられて……。そういう風にされるの初めてだったから、ちょっと嬉しかったの」
「うん」

 佑に伝えながら、香澄は当初の事を思い出す。

「最初はいいお付き合いができていたと思ってた。デートして楽しかったし、お互い相性がいいと思った」
「……そのうち、噛み合わなくなった?」

 佑にそれとなく誘導され、香澄は頷く。

「……多分、エッチが原因だったと思う」

 香澄は体に掛かっている佑の腕を抱き、溜め息交じりに呟いた。

「自覚があるから言うけど、セックスに対しての熱量というかは、男女差があるよな」

 彼の言葉を聞き、香澄はまた不安になって彼を見上げる。

「……足りない?」

 その質問に、佑は苦笑いした。

「正直を言えば、もっと愛し合いたい。でも、体力差があるのも分かっているし、快楽への耐性の差もあると思う。少しずつ慣らしていきたいと思ってるから、今すぐ焦らなくていいよ」
「……うん。ありがとう」

 不満を持っていても、歩み寄る方法を知っている佑を、やはり大人だと思う。

「付き合っていたのが大学生っていうなら、男だったら性欲の盛りだと思う。女の子は逆に、あまり性的な事に興味を持っていない人もいるから、その辺りで認識の差が生まれても仕方ないと思うよ」

 佑に擁護され、香澄は安堵を得る。

「……私、当時そんなにしたくなかったの。それっぽい雰囲気になるのが苦手で、それまで明るくて面白かった健二くんが、セックスの事だけしか考えていない感じになるのが、少し嫌だった」
「……ん、自戒を込めて反省するよ」

 苦笑いする佑の腕を、香澄はギュッと抱く。

「違うの。今は大丈夫! 今は私だって二十七歳になったし、初心だった大学生の時とは違う。それに佑さんは私をとても大切に扱ってくれるし、そういう雰囲気になっても嫌だって思わない。思っていたら、ちゃんと拒絶してると思う」
「うん、ありがとう」

 佑が背後からチュッと香澄の頬にキスをする。
 抱き締められて彼の温もりを感じ、安心しながら香澄はゆっくり息を吐いた。

「当時は……うーん、そういう事に興味はあったんだけど、付き合ったのも初めてだったし、自分の性別が女だっていう事に、それほど目を向けられていなかったんだと思う。むしろ、自分に対して性的な目が向けられるのを……嫌がっていたかもしれない。……子供だったのかも」
「それは個人差だから、仕方がないよ」
「……ファーストキスは、あまりロマンチックじゃなかった」

 溜め息をついて笑い、香澄は佑の指に自分の指を絡める。

「『キスしていい?』って言われて、『いいよ』って返事をしたのは自分だけど、何だか……。ヒゲのザラザラした感じとか、呼吸とか……気になって。煙草の味も嫌だった」
「あぁ……」



 佑は内心少しヒヤヒヤして返事をする。
 彼自身、今は相応の経験があって香澄とキスをしているが、佑にもファーストキスの瞬間や、性的な事に慣れていない時期があった。
 一番がっつく時期に、勢いのままキスをしてしまった健二という男の立場も、ある程度分かる。
 ――かといって、今の香澄に憂い顔をさせていい理由にはならないので、彼の肩を持つつもりはない。



「そんな感じで、当時の私はあんまりキスが好きじゃなかったし、積極的にエッチしたいとも思わなかった。高校生の時にキスすらもしてない付き合いをしていて、そういう、友達の延長みたいに考えてた。……そこが、健二くんと認識の差があったんだと思う」
「迫られて、嫌になった?」
「うん……」

 初体験の時を思い出そうとして、香澄は思考を止めてしまう。
 少し考えては溜め息をつき、モヤモヤとした脳内の白い霧に向けて目を眇める。

「……あれ。…………ごめん。……話そうと思ったんだけど、なんか……覚えてない。大した思い出じゃなかったのかな」

 香澄はごまかし笑いをし、もう一度佑の腕をギュッと抱く。

「ごめんね。もったいぶって色々話したのに、肝心なところが……」
「いや、話せる時でいいよ」

 佑はまた頬にキスをしてくれ、香澄は「思い出したら話すね」と息をついた。




 香澄を抱き締めながら、佑は自分の予想が外れていてほしいと願っていた。

 彼女と付き合ってから、二十七歳にして異性経験が少ないところや、「愛する事、愛される事が分からない」と言っている面を気にしていた。
 過去に何かあったのだろうな……と思って、香澄が元彼の事を話してくれるのを待っていた。

 もちろん元彼の話を聞くのは、あまりいい気分じゃない。
 それも、イチャイチャしていて幸せだったという話なら、聞くまでもないと思っていただろう。

 だが過去に〝何か〟があった上で、今の香澄がこんなに恋愛に対して不安定になっている姿を見て、きちんと原因を追及しなければと思った。

(ずっと香澄に対して、どこまでも優しいとか、何でも受け入れてくれるとか、器の大きさを感じていた。そんな彼女に魅力を感じたし、自分の選択を間違えていないと思っている。けど……)

 香澄を抱き締め、佑は彼女の首元の匂いを嗅ぐ。

(分かっている。〝こういう〟人は、過去に大きく傷ついた事のある人だ。香澄は何らかのトラウマを持っているからこそ、今はその傷を乗り越えて優しく強い人であろうとしている)

 佑自身、過去に挫折を味わった事があった。
 自分は香澄のように優しくなったとは思っていないが、大きく変わるきっかけになったと思っている。
 その体験があるからこそ、香澄を慎重に扱っていた。
 いつから気付いていたと聞かれるとハッキリと答えられないが、初めて会った時から、会話を重ねるごとに「何かありそうだ」と思っていた。

(ゆっくり、解決していこう)

 香澄さえ〝大丈夫〟なら、自分はいつまでも待てる。
 彼女なら絶対「面倒な女でごめんね」と言うだろうが、佑自身経験のある事なので、決して「面倒」など思わない。
 運命を感じた相手だからこそ、香澄が傷を乗り越える隣に自分がいて、手助けができたらと思っていた。

(それにしても、思い出せないというのはかなりのトラウマみたいだな)

 何があったのかを想像して、あまりの不快さに眉間に皺を寄せる。

(違っていてほしい……けど)

 考えても、真実が分からない以上どうにもならない。
 香澄が健二と再会し、会う予定があると聞いて一抹の不安は感じている。
 もしかしたら、彼女が思い出さなくていい事に苦しむかもしれないからだ。

(でも、『会うな』とも言えないしな……)

 香澄が浮気するとは考えていないので、元彼と会うのをそれほど大事として捉えていない。
 彼女を信じているのもあるし、自分という男をそこそこ評価しているからだ。
 世間の人が求めるものは一通り備えているつもりだし、香澄に対してこれ以上なく甘やかし、優しくしている自覚はある。
 だから、愛が重たいと思われはしても、雑に扱っているとかで浮気される不安はない。

(健二さんに直接会った事はないから、どんな人かは分からない。香澄が大人になって変わったと言うように、健二さんも大人になっていればいいけど。それで、香澄が言う通り、ただの同窓会程度で終わればいい)

 ただただ、彼女が傷つかないように……と願う。

(いざとなれば、保護者よろしく出張る事も厭わない。でもそれまでは後ろから見守っていよう)

 心の中で決めたあと、佑は息をつき話題を振った。

「三月の食事会、気を張らずに楽しもう」
「うん」

 腕の中で微笑んだ香澄は、出会った当初よりずっと自分に懐いてくれている。

(ゆっくりでいいんだ。まだ、香澄との生活は始まったばかりだ。波乱があって当たり前。結婚がゴールじゃないし、結婚したあとにだって、生きている限り何かがあり続ける)

 既婚の友人がいるからこそ、佑はそのような価値観を持てている。

(今はまだもう少し、恋人気分を味わって恋愛を楽しむんだ)

 もう二度と、彼が起こした過ちを繰り返さないように――。
 香澄に気づかれないようにもう一度彼女の匂いを嗅いでから、佑も目を閉じて腕の中の柔らかさを堪能した。


 第二部・完

――――――――――――――

 第三部は健二絡みになりそうです
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