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第二部・お見合い 編

投じられた石

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(そう言えば今日、微かに香水の匂いがしていたっけ。明日、何を気に入ったのか聞かないと)

 記憶にあるのは、フルーティーな甘さだった。
 可愛らしい感じと、つい「美味しそう」と思う甘い香りを嗅いで、「香澄らしい」と納得したのを覚えている。
 同時に佑は、もし自分が想像している香りと香澄が気に入った香りが同じだったら、会わせてコロン以外の物も買いそろえようと思っていた。

(好きな子のために色々買えるのって、幸せだな……)

 自分は完璧な人間ではないと自覚しているが、人がほしがる大体のものは持っている自覚がある。
 今まで友人たちに「お前に心から愛せる人が現れたらいいな」と言われていたが、それも叶ってしまって、正直最近は自分でもおかしいと思うほど機嫌がいい。

「大切にするよ、香澄」

 囁いて、佑は香澄の額にキスをしてから目を閉じた。

**

 バレンタインデートが終わった翌日、また澪が御劔邸にやって来て、佑にチョコレートを渡しに来た。

「昨日は『会いたい』って言っても駄目だったから」

 ブスッと膨れた澪は、昨日佑と香澄がお泊まりデートしたのを察しているようだ。
 彼女の兄大好きオーラを感じ、香澄は一人「すみません……」と内心謝っていた。
 それでも澪は香澄用にもチョコレートをくれた。
 香澄も、佑に「バレンタインにまた妹が来るかも」と言われていたので、彼女にあげる用のチョコレートを用意していた。
 佑も用意していたので、最終的にプレゼント交換ならぬチョコレート交換のような感じになる。
 佑の顔を見て満足したらしい澪は「〝次〟行くね」と、一時間ほど滞在してサッと出て行ってしまった。




「……ねぇ、ちょっと、……いい?」
「うん?」

 香澄の言葉に、リビングのソファに座っていた佑が顔を上げる。

「……百合恵さんから、あのあと何も言われてない? 小野瀬さまも、仕事的に良くない結果になったりとか……」

 あのお見合いのあと、結局百合恵の話をしなかった。
 佑は何でもなかったように振る舞ってくれるので、ついそのままにしていいのかと思ってしまったが、そうもいかない。
 一人でモヤモヤし続けた結果、きちんと向き合って尋ねてみようと思った。

「あぁ。それは問題ないから心配しなくていいよ」
「本当?」
「小野瀬さまには、あのあと俺から直接お詫びの電話をした。百合恵さんにも詫び状を書いたし、もう終わった事だ」
「……それならいいんだけど……」
「見合いだから、相手に対して過度な思い入れはないと思っている。僅か二時間程度、一緒に食事をして雑談をしたぐらいだ。百合恵さんにとって俺はそんな存在だから、彼女がこれ以上俺に関わる事もないよ」

(それでも女性からしたら、佑さんとお見合いできるってなったら〝過度な思い入れ〟をしちゃうと思うけど……)

 ついそう思ってしまうのだが、この感覚を佑に分かってもらうのは難しい。
 佑は「解決している」と言っているのに、「彼女はまだあなたの事を思っていて、今後も何かあるかもしれない」と心配するのは、考えすぎだ。

「……ならいいんだけど……」

(私は恋人だから、余計に気にしすぎちゃうのかも)

 佑は「ん」と微笑んでポンポンと香澄の頭を撫で、抱き寄せてきた。

「昨日、香水つけてたよな。何の香りを気に入った?」
「あ、えーと、ジョン・アルクールのサイトをちょっと見たら、香りを重ねづけするのがオススメされていて、自分なりに好きなもの同士を重ねたの。ネクタリンとスイート・ペアーを重ねたら、とっても自分好みになって」
「そうか、それは香澄だけの香りになるな」
「他にも同じ組み合わせを気に入る人はいるだろうし、私だけになんてならないよ」

 クスクス笑う彼女の頬に、佑はチュッとキスをしてくる。

「すれ違った時の香りで『あの人の匂い』って思い出す事はあるだろうけど、これだけ近い距離で嗅げば、香澄の体臭も上乗せされる。だから唯一無二だと思うよ」
「……やだもう……。体臭って言わないで」
「いいじゃないか。生々しくて興奮する」

 佑は悪戯っぽく笑い、香澄の首筋に鼻先を埋めてきた。

「っきゃ……っ、もぉっ! 変態!」
「ふふ。ボディクリームは使ってる?」
「あ、えーと。札幌から持ってきた、もともと使ってたのがまだ残ってるから、そっちを先に……」
「ジョン・アルクールのボディクリームもなかなかいいよ。休日はあまりコロンはつけないけど、体の保湿をしながら香りを楽しめる」
「じゃあ、使ってみます」
「ん」

 香澄の返事を聞き、佑はチュ、と額に口づけてくる。

(何か……雰囲気が甘くなったな……)

 そう思うものの、こうやって佑にすっぽり包み込まれているのを「悪くない」と思ってしまう。
 こうして温もりを分かち合い、身を任せられる相手というのは、本当に唯一無二のものだ。

「……私ね、こういう体勢、した事ないの」
「ん? これ? 人間ソファ?」

 香澄の腹部に軽く腕を回した佑が、目をぱちくりとさせる。

「うん。一度もされた事がない」

 腹部に回った佑の手をさすり、香澄は小さく頷く。

「じゃあ、これから何回でも俺がしてあげるよ」
「……うん」

 香澄は後頭部を佑の肩口にぐりぐりと押しつけ、幸せそうに笑う。
 そのまま目を閉じて心地よさを味わっていた香澄は、ポツンと呟く。

「多分、誰かにこうしてもらっても、体重を掛けるのが『悪いな』って思って、甘えきれないと思う」
「そうか……。何も負担はないけどな?」
「うん……。他の人だとここまで信頼して身を預けられない」

 文字通り〝背中を預ける〟という体勢は、香澄にとって本当に心を許した相手でなければできない。
 自分でも「人を信じてないな」と思うのだが、体重をかけて申し訳ない上に、相手の表情が見えない体勢だと不安もある。

「私、こう見えて人間不信っぽいところがあるの」
「誰にでもなつっこい印象があるけど」
「そう見せかけてるだけ」
「ふぅん? 香澄は意外と、二面性があるのかな?」

 楽しげな声を聞き、香澄は少し不安になって佑を振り仰いだ。

「……二面性、嫌?」

 微笑んだ香澄の目には、ほんの僅かに試す色があった。
 自分に裏の顔があると知った佑が、どんな反応をするだろう? と値踏みする目だ。

「いや? 俺にだって裏の顔がある。だから、こう聞いてむしろ安心したよ」
「え?」

 けれど予想外な返答があり、香澄は目を丸くする。

「ずっと香澄の事を、根が素直で純朴な女性って思ってた。信じられないぐらい純粋に思えるから、むしろ裏の顔があるって分かって人間味が増したと思ってる」
「……何も純粋じゃないよ。普通」

 香澄の言葉に、佑は何も言わず頭を撫でてくる。

「俺は汚れているから」など、こじらせた学生のような事は言わないが、経営者として色々と経験した背景が窺える。

 香澄には見せていない冷酷な面があるのも、うっすら感づいてはいたが、佑が「見せたくない」と思っているのなら、それにのろうと思っていた。
 自分にだって面倒臭い、ドロドロした感情があるけれど、できる事なら佑に知られたくないと思っている。

「……結婚して家族になったら、全部見せ合うのかな」
「どうだろう? でも、四の五の言っていられない状況も出てくるだろうし、今みたいに恋愛感情だけで相手を見る事はできなくなるのかもしれない。けど、世間には結婚しても恋人のような関係を続けている夫婦もあるし、それは俺たち次第じゃないか?」
「そうだね」

 微笑んだ香澄に笑い返し、佑は何か言いたげに口を開く。

(……ん?)

 彼を見つめて言葉を待ったが、代わりにギュッと抱き締められた。

「……嫌な事を聞いていいか?」
「うん」

 今の流れだと、裏の顔について何か聞かれるのかな? と思っていたが、佑が口にしたのは意外な言葉だった。

「元彼と何かあった?」
「え……」

 何もないよ、と即答しようとしたのに、香澄の胸の奥で不穏な感情が広がってゆく。
 まるで心の沼に小石を投じられ、底に溜まっていた泥が広がって、透明な上澄みを黒く塗りつぶしていくような感情だった。
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