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第一部・出会い 編
自宅で2
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「オススメは『eホーム御劔』の物件を割安で借りるか、やっぱり俺と同居する事だけど」
「オススメって……。そんな日替わりランチみたいな気軽さで言われても」
「あはは! 赤松さんから突っ込み入れられると嬉しいな」
お湯が沸騰すると湯飲みに注ぎ、一分ほど待ってから急須にお湯を移す。
「仮に私が東京に行くとしても、出会ったばかりの男性と同棲するなんて急すぎます」
「俺の事は嫌い?」
ストレートに尋ねられ、香澄は「ウウ……」と唸る。
「御劔さん、ずるいです。ご自分が女性から嫌われるはずがないって、分かっていながら聞いているでしょう」
「まさか。女性が全員俺の事を好きだなんて思っていないよ。世の中には必ず、アンチというものが存在するし」
そう言いながらも彼は堂々としていて、香澄の好意を疑っていない。
「ここまで近い距離で話している私が、御劔さんを苦手……とはさらさら思っていない表情ですが」
「ミラー効果って知ってるか? ざっくり言うと、相手と同じ動作を取ると、好感度が上がるっていう心理なんだけど。基本的に自分が好意を表に出している相手は、自分を好きになってくれると思っている」
確かに、佑は最初から香澄への好意を隠していなかった。
普通に客が店員に見せる態度だったなら、こうやって引き抜きの勧誘を受けても香澄は動じなかっただろう。
佑がChief Everyの社長として以上に、個人として香澄に関わろうとしているから、彼女も心を動かされている。
茶葉も十分蒸されたので、香澄は温まった湯飲み茶碗に緑茶を注いだ。
「どうぞ」
百円均一で買ったお盆に載せてトンとテーブルに置くと、佑が「ありがとう」と微笑む。
ふうふうと熱いお茶を冷まして飲もうとしたが、香澄は猫舌なので淹れ立てのお茶を飲めない。
それでも自分で淹れた手前、飲めないのは格好悪いので、啜るふりをしておいた。
「会ったばかりという点を除いて、赤松さんが躊躇する理由は何かな? 一つずつ解決していきたい」
言われて、香澄は指を折りながら考えてゆく。
「まず、せっかく勤めてエリアマネージャーまでなれた八谷への筋が通るかどうか。それから、二十七歳になって転職して、新しい職場で上手くやっていけるかという不安。東京に行って土地勘がまったくないので、生きていけるかどうかという不安もあります。今言ったばかりですが、住む場所や治安の確認などの不動産に関する情報収集。あとは、今までずっと地元だったので、家族や親戚、友人に会えなくなる寂しさもありますね」
香澄の言葉が途切れると、今度は佑が指を折って説得してゆく。
「八谷さんには、俺から連絡しておいた。前からいい会社だと聞いていたから、社員に対して無理強いする事はないと思っている。その点では、赤松さんの勇気次第じゃないかな」
「……仰る通り、さっき社長からメールがありました。御劔さんと同じ事を仰っていました」
香澄の言葉を聞き、佑は「だろう?」という笑みを浮かべ次の問題に移る。
「俺は君を秘書として雇いたいと思っているけれど、少なくとも第一秘書の松井さんという男性は、とても優秀で温厚で、後輩の教育なら喜んで協力してくれると思う。忙しい人だから赤松さんにつきっきりという訳にはいかないけれど、以前からいつか第二秘書ができた時のためにと、分かりやすい資料を作っている。松井さんも几帳面な人だからね。だから、そのマニュアルをじっくり読んでから実践で色々教えてもらったら、まず大丈夫なんじゃ、と思うよ」
「それなんですけど、一般社員じゃなくて社長秘書なんですか? それで同棲したいなんて言っているの、私が社員さんたちから総スカン食らう道しか見えません」
東京で住む事もそうだが、香澄は佑が自分に一目惚れしたと言い、その上で同棲して秘書になってほしいという愛情の表し方に、不安しか覚えなかった。
恋愛の事しか考えない人なら、「愛されている」と思って幸せに過ごせるかもしれない。
だが香澄は、ポッと出た自分が特別扱いされているのを見て、他の社員たちが嫉妬しないと思うほど、おめでたい頭をしていなかった。
「それは、俺が責任を持ってちゃんと守る。それに社長秘書と普通の秘書課の秘書は違うから、同じ空間で過ごす事もない。Chief Everyの本社があるTMタワーは、上層フロアにオフィスがあって他の課は別のフロアになるから、鉢合わせる事もないと思う。加えて一緒に住めば、自宅から車に乗って一緒に社長室まで行き、そのまま仕事ができる。俺と同棲している事は、松井さんぐらいしか知らないし、他の秘書たちに自己紹介する必要もない。どうだ?」
言われて、完璧な答えを返された気がする。
それでも……と考えていると、お茶を一口飲んだ佑が微笑んだ。
「何事も、考えて悩むより、実行してみたほうが簡単だっていう場合もある。赤松さんが衣食住、職に関して困る事はすべて、俺が責任を持って解決する。それじゃあ駄目かな?」
「……今は何とも、即答しかねます」
「さっき挙げた最後の問題だけど、赤松さんが望むなら、週末や休みに頻繁に札幌に戻ってもいいよ」
「そんな、飛行機代掛かりますし、移動するだけでも時間が掛かって大変ですし」
何を言っているんだろう、と不審に思った時、佑がにっこり笑った。
「プライベートジェットを所持しているから、行きたい場所があるならすぐだよ」
「ぶふっ」
とんでもない物の名前が出て、香澄は噴き出した。
「プ、プライベートジェットって……、個人で所有している飛行機の事ですか!?」
「そうだよ。出張で国内海外沢山行くし、空港での待ち時間を考えると、思い切って移動費に投資しようと思って」
(うわぁ……あ……)
桁外れの財力を示され、香澄は言葉を失う。
(それはちょっと、見てみたいかも……)
佑に色々勧誘されて、今のところ頑なに断ってはいる。
けれどお金持ちが住む世界がどうなっているかは、当然興味があった。
「興味があるなら、今度招待するよ。ついでにちょっと東京に行ってみるか?」
ニコッと微笑まれ、香澄は慌てて首を横に振った。
「そ、そんな! 散歩行くみたいに誘わないでください!」
少し大きな声を出してハッとし、香澄は両手で口を塞ぐ。
「……とにかく、ゆっくり考えさせてください。家族や友達にも相談してみます」
「分かった。急がないから、いい返事を待ってるよ」
香澄が本当に困った時は、こうやってスッと引いてくれるので、いい意味でタチが悪い。
「そろそろ、ホテルに帰るよ。美味しいお茶をありがとう」
「あ、じゃあ下までお送りします」
佑が立ち上がったので香澄も立ったが、その肩を押さえられた。
「もう遅い時間だから、送らなくていいよ。すぐタクシーを拾って帰るから、大丈夫」
「……はい」
それなら、と玄関まで送ると、コートを着た彼はピカピカのストレートチップに足を入れ、「それじゃあ」と微笑む。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
それ以上の事は何もなく、ドアが閉まって小さな足音が遠ざかっていくのを聞いていた。
「……はぁ」
何とはなしに溜め息をつき、香澄はストーブ前で体を温める。
しばらく佑と一緒に東京に行く事について考えていたが、どうにもならないほど混乱したので、寝る事にした。
**
金曜日の夜も、佑は『Bow tie club』に来た。
彼のテーブルには早川がつき、二人は和気藹々と話している。
佑の相手をしているのが事情を知っている早川である事に、香澄は安堵を覚えていた。
それが何の感情であるかは、深く掘り下げないようにしている。
事情を知る早川なら、佑を困らせず接客してくれる。
マネージャーとしての香澄はそう思っているのだが、女としての香澄は別の事を考えていた。
――彼氏がいて事情を知る早川さんなら、御劔さんに色目を向ける事もない。
心の奥底にある醜い感情を、香澄は見ないように努めた。
それを認めてしまえば、自分は急接近してきた佑に惹かれていると言っているようなものだ。
こんな大切な事、急には決められない。
だから好奇心や東京への憧れなども、すべて心の力を使って止めていた。
興味を見せない。考えない。
そう徹して金曜日の夜が終わり、特に佑にも声を掛けられず、まっすぐ帰宅した。
**
土曜日は昼前に親友の岩本麻衣(いわもとまい)と待ち合わせをし、札幌駅でフィグウッドのアクション映画を見た。
ド派手な演出と本物のようなCG、大きな音に引き込まれて映画にのめり込んでいると、現実を忘れられた。
そのあと札幌駅構内にあるお好み焼き店に入り、二人でお好み焼きを焼き、焼きそばをシェアする。
「で、相談って何? せっかく誕生日のお祝いなのに、何かあった? クソ客?」
麻衣は高校生からの付き合いで、気が合って一緒にいると誰よりも楽な友人だ。
性格こそ少し違うものの、価値観や時間の過ごし方などが似ている。
食いしん坊なのも一緒で、香澄は免許を持っていないので、麻衣が運転する車であちこち食べに行く事もあった。
そんな彼女は少しふくよかな体型で、彼氏いない歴を更新中だ。
麻衣は「香澄がいればいい」と言っていて、香澄も同意見だ。
だからと言って、お互い本気で一生独身の約束をした訳ではない。
「オススメって……。そんな日替わりランチみたいな気軽さで言われても」
「あはは! 赤松さんから突っ込み入れられると嬉しいな」
お湯が沸騰すると湯飲みに注ぎ、一分ほど待ってから急須にお湯を移す。
「仮に私が東京に行くとしても、出会ったばかりの男性と同棲するなんて急すぎます」
「俺の事は嫌い?」
ストレートに尋ねられ、香澄は「ウウ……」と唸る。
「御劔さん、ずるいです。ご自分が女性から嫌われるはずがないって、分かっていながら聞いているでしょう」
「まさか。女性が全員俺の事を好きだなんて思っていないよ。世の中には必ず、アンチというものが存在するし」
そう言いながらも彼は堂々としていて、香澄の好意を疑っていない。
「ここまで近い距離で話している私が、御劔さんを苦手……とはさらさら思っていない表情ですが」
「ミラー効果って知ってるか? ざっくり言うと、相手と同じ動作を取ると、好感度が上がるっていう心理なんだけど。基本的に自分が好意を表に出している相手は、自分を好きになってくれると思っている」
確かに、佑は最初から香澄への好意を隠していなかった。
普通に客が店員に見せる態度だったなら、こうやって引き抜きの勧誘を受けても香澄は動じなかっただろう。
佑がChief Everyの社長として以上に、個人として香澄に関わろうとしているから、彼女も心を動かされている。
茶葉も十分蒸されたので、香澄は温まった湯飲み茶碗に緑茶を注いだ。
「どうぞ」
百円均一で買ったお盆に載せてトンとテーブルに置くと、佑が「ありがとう」と微笑む。
ふうふうと熱いお茶を冷まして飲もうとしたが、香澄は猫舌なので淹れ立てのお茶を飲めない。
それでも自分で淹れた手前、飲めないのは格好悪いので、啜るふりをしておいた。
「会ったばかりという点を除いて、赤松さんが躊躇する理由は何かな? 一つずつ解決していきたい」
言われて、香澄は指を折りながら考えてゆく。
「まず、せっかく勤めてエリアマネージャーまでなれた八谷への筋が通るかどうか。それから、二十七歳になって転職して、新しい職場で上手くやっていけるかという不安。東京に行って土地勘がまったくないので、生きていけるかどうかという不安もあります。今言ったばかりですが、住む場所や治安の確認などの不動産に関する情報収集。あとは、今までずっと地元だったので、家族や親戚、友人に会えなくなる寂しさもありますね」
香澄の言葉が途切れると、今度は佑が指を折って説得してゆく。
「八谷さんには、俺から連絡しておいた。前からいい会社だと聞いていたから、社員に対して無理強いする事はないと思っている。その点では、赤松さんの勇気次第じゃないかな」
「……仰る通り、さっき社長からメールがありました。御劔さんと同じ事を仰っていました」
香澄の言葉を聞き、佑は「だろう?」という笑みを浮かべ次の問題に移る。
「俺は君を秘書として雇いたいと思っているけれど、少なくとも第一秘書の松井さんという男性は、とても優秀で温厚で、後輩の教育なら喜んで協力してくれると思う。忙しい人だから赤松さんにつきっきりという訳にはいかないけれど、以前からいつか第二秘書ができた時のためにと、分かりやすい資料を作っている。松井さんも几帳面な人だからね。だから、そのマニュアルをじっくり読んでから実践で色々教えてもらったら、まず大丈夫なんじゃ、と思うよ」
「それなんですけど、一般社員じゃなくて社長秘書なんですか? それで同棲したいなんて言っているの、私が社員さんたちから総スカン食らう道しか見えません」
東京で住む事もそうだが、香澄は佑が自分に一目惚れしたと言い、その上で同棲して秘書になってほしいという愛情の表し方に、不安しか覚えなかった。
恋愛の事しか考えない人なら、「愛されている」と思って幸せに過ごせるかもしれない。
だが香澄は、ポッと出た自分が特別扱いされているのを見て、他の社員たちが嫉妬しないと思うほど、おめでたい頭をしていなかった。
「それは、俺が責任を持ってちゃんと守る。それに社長秘書と普通の秘書課の秘書は違うから、同じ空間で過ごす事もない。Chief Everyの本社があるTMタワーは、上層フロアにオフィスがあって他の課は別のフロアになるから、鉢合わせる事もないと思う。加えて一緒に住めば、自宅から車に乗って一緒に社長室まで行き、そのまま仕事ができる。俺と同棲している事は、松井さんぐらいしか知らないし、他の秘書たちに自己紹介する必要もない。どうだ?」
言われて、完璧な答えを返された気がする。
それでも……と考えていると、お茶を一口飲んだ佑が微笑んだ。
「何事も、考えて悩むより、実行してみたほうが簡単だっていう場合もある。赤松さんが衣食住、職に関して困る事はすべて、俺が責任を持って解決する。それじゃあ駄目かな?」
「……今は何とも、即答しかねます」
「さっき挙げた最後の問題だけど、赤松さんが望むなら、週末や休みに頻繁に札幌に戻ってもいいよ」
「そんな、飛行機代掛かりますし、移動するだけでも時間が掛かって大変ですし」
何を言っているんだろう、と不審に思った時、佑がにっこり笑った。
「プライベートジェットを所持しているから、行きたい場所があるならすぐだよ」
「ぶふっ」
とんでもない物の名前が出て、香澄は噴き出した。
「プ、プライベートジェットって……、個人で所有している飛行機の事ですか!?」
「そうだよ。出張で国内海外沢山行くし、空港での待ち時間を考えると、思い切って移動費に投資しようと思って」
(うわぁ……あ……)
桁外れの財力を示され、香澄は言葉を失う。
(それはちょっと、見てみたいかも……)
佑に色々勧誘されて、今のところ頑なに断ってはいる。
けれどお金持ちが住む世界がどうなっているかは、当然興味があった。
「興味があるなら、今度招待するよ。ついでにちょっと東京に行ってみるか?」
ニコッと微笑まれ、香澄は慌てて首を横に振った。
「そ、そんな! 散歩行くみたいに誘わないでください!」
少し大きな声を出してハッとし、香澄は両手で口を塞ぐ。
「……とにかく、ゆっくり考えさせてください。家族や友達にも相談してみます」
「分かった。急がないから、いい返事を待ってるよ」
香澄が本当に困った時は、こうやってスッと引いてくれるので、いい意味でタチが悪い。
「そろそろ、ホテルに帰るよ。美味しいお茶をありがとう」
「あ、じゃあ下までお送りします」
佑が立ち上がったので香澄も立ったが、その肩を押さえられた。
「もう遅い時間だから、送らなくていいよ。すぐタクシーを拾って帰るから、大丈夫」
「……はい」
それなら、と玄関まで送ると、コートを着た彼はピカピカのストレートチップに足を入れ、「それじゃあ」と微笑む。
「おやすみ」
「おやすみなさい」
それ以上の事は何もなく、ドアが閉まって小さな足音が遠ざかっていくのを聞いていた。
「……はぁ」
何とはなしに溜め息をつき、香澄はストーブ前で体を温める。
しばらく佑と一緒に東京に行く事について考えていたが、どうにもならないほど混乱したので、寝る事にした。
**
金曜日の夜も、佑は『Bow tie club』に来た。
彼のテーブルには早川がつき、二人は和気藹々と話している。
佑の相手をしているのが事情を知っている早川である事に、香澄は安堵を覚えていた。
それが何の感情であるかは、深く掘り下げないようにしている。
事情を知る早川なら、佑を困らせず接客してくれる。
マネージャーとしての香澄はそう思っているのだが、女としての香澄は別の事を考えていた。
――彼氏がいて事情を知る早川さんなら、御劔さんに色目を向ける事もない。
心の奥底にある醜い感情を、香澄は見ないように努めた。
それを認めてしまえば、自分は急接近してきた佑に惹かれていると言っているようなものだ。
こんな大切な事、急には決められない。
だから好奇心や東京への憧れなども、すべて心の力を使って止めていた。
興味を見せない。考えない。
そう徹して金曜日の夜が終わり、特に佑にも声を掛けられず、まっすぐ帰宅した。
**
土曜日は昼前に親友の岩本麻衣(いわもとまい)と待ち合わせをし、札幌駅でフィグウッドのアクション映画を見た。
ド派手な演出と本物のようなCG、大きな音に引き込まれて映画にのめり込んでいると、現実を忘れられた。
そのあと札幌駅構内にあるお好み焼き店に入り、二人でお好み焼きを焼き、焼きそばをシェアする。
「で、相談って何? せっかく誕生日のお祝いなのに、何かあった? クソ客?」
麻衣は高校生からの付き合いで、気が合って一緒にいると誰よりも楽な友人だ。
性格こそ少し違うものの、価値観や時間の過ごし方などが似ている。
食いしん坊なのも一緒で、香澄は免許を持っていないので、麻衣が運転する車であちこち食べに行く事もあった。
そんな彼女は少しふくよかな体型で、彼氏いない歴を更新中だ。
麻衣は「香澄がいればいい」と言っていて、香澄も同意見だ。
だからと言って、お互い本気で一生独身の約束をした訳ではない。
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