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第一部・出会い 編

社長の来店

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 十一月になると大通公園の噴水も止まり、遊具も固定される。
 雪国では雪が積もる前に公園のブランコなどはぐるぐる巻いて、支柱にくくりつけてしまうのだ。

 逆に子供時代、テレビで本州の冬の公園を見た時、花が咲いて噴水の水が流れている光景に言葉を失った覚えがある。
 雪が積もらないのが当たり前の世界がある、と知ったのはその頃だ。

 十一月下旬にもなると、北海道のニュースで低地での初雪が報じられる。
 大雪山に雪が降ったという初冠雪は十月に報道されるが、山に住んでいる訳ではないので、感覚としては身近ではない。
 低地では雪虫という綿毛のような小さな虫が大量発生したあと、初雪が降るのが恒例だ。

 社長が訪れる二十日は金曜日だ。
 金曜日は飲食業界で、土曜日、祝日前と並び忙しい日でもある。
 二十日の香澄のスケジュールは、まずイタリアンレストランに顔を出し、二十一時から会員制クラブを見守る事になっている。
 社長がそのように回ると聞いたので、合わせて案内できるようにしておいた。



 イタリアンレストラン『La mimosa』で待機していると、社長の八谷とその友人が来店した。

「元気そうだね」

 人の良さそうな社長は香澄を見て、笑いかけてくれる。
 八谷繁やつたにしげるは五十代半ばの男性で、やや中年太りで柔和な印象の人だ。
 髪は白いものも多くなり毛量も頼りなくなっていて、パッと見の印象は普通のおじさんだ。
 だがその奥に〝敏腕経営者〟としての牙と爪を隠しているのを、香澄は知っている。

「ようこそお越しくださいました。札幌支店エリアマネージャーの赤松香澄と申します。福島ふくしま様もようこそお越しくださいました。札幌は寒いでしょう?」

 八谷社長の友人の福島については、事前に本社から聞いていた。
 福島重工という会社の社長で、八谷とは近年ゴルフで親しくなったらしい。
 今回、八谷が札幌に向かうと聞いて、もともと札幌グルメに興味があったのもあり、それこそ〝半分プライベート〟としてついてきたようだ。

 名前を聞くからに、家族経営をしていて社長の座についたのだろう。
 福島は八谷と比べると、固太りと言っていい体型をしていた。
 もともと柔道か何かやっていそうで、身長はそれほど高くないものの迫力がある。
 見た目から体育会系気質っぽいな、と思った直後、福島が話し掛けてきた。

「初めまして、福島だ。君は女だてらにエリアマネージャーをしているんだね。いやぁ、立派立派。札幌は本当に寒いね。新千歳空港で降りた時は雪がチラホラ降っていたよ。こんなに寒いと、肌恋しくなるんじゃないか?」

(ん!?)

 八谷とは時々出張で会う事があったが、八谷をはじめ、本社の人にセクハラを受けた事はなかった。
 なので香澄はあからさまな福島の言葉に驚いて、一瞬頭の中を真っ白にさせる。

(いやいや、こういう男性には慣れてるから)

 けれどすぐに思い直し、完璧な営業スマイルを浮かべた。
 八谷グループは酒を出す店なので、酔った客の相手をし絡まれる時もある。
 客同士が喧嘩した時の仲裁は基本的に店長に任せているが、責任者が必要とあらば香澄も出る。

 その時にできるだけ舐められないよう、香澄はいつもパンツスーツを着ていた。
 できるだけ働く男性と変わらない格好で臨んでいるのだが、それでも胸まである髪を纏めた香澄の外見は女性そのものだ。
 胸もEカップあり、なるべく目立たない下着をつけているのだが、どうしても胸の膨らみは出てしまう。

 揉め事がなくても、ただの酔っ払いに絡まれ、セクハラを受けるのも日常的にある。
 だから自社社長の友人であっても、このような言い方をされるのは想定しておくべきだった。
 八谷をチラッと見ると、ほんの少し困った顔をしている。

(ここで社長の面子を潰す事を言っちゃだめだ)

 すぐに気持ちを切り替えた香澄は、笑顔のまま受け答えをする。

「ありがとうございます。努力した分報われて今の仕事ができていると思っております。生憎、肌恋しくはなりませんが、もしそのようなお店をお望みでしたら、リサーチ致しますよ?」

 微笑んだまま、言外に「うちの店のキャストはそういう子ではないので、プロのお店を探すなら、ご協力致します」と訴えた。

「すすきのは北の大地で有名な繁華街だからね」

 福島は香澄の意図などまったく気にせず、うんうんと頷く。
 確かに福島の言う通りなのだが、香澄としては〝すすきの〟ですべて一緒くたにされるのは本意ではない。
 自分たちの店は客を接待するキャストがいるとは言え、その体を触らせるのが目的ではない。
 あくまで〝楽しい時間を過ごしてもらう〟ために、内装や飲食物、スタッフ、キャストが揃っている。
 けれど飲食店に関わらない職種の人だと、その違いを理解してもらうのも難しいのかもしれない。

(社長のご友人なのだから、気分を害さないように精一杯頑張らないと)

「北の街をお楽しみ頂ければと思います。オーダーはどうなさいますか?」

 席についた八谷社長と福島にメニューを向けると、彼らはそれぞれ「うーん」と言いながらメニューに目を落としている。
 八谷グループの誇らしい所は、イタリアンレストランと一概に言ってもメニューに高級さが溢れている事だ。

 飲食店のメニューと言えば、色鮮やかな写真に太字で値段が書いてあるイメージが一般的だ。
 だがこのイタリアンレストラン『La mimosa』は、高級感のある白い紙に、黒い文字でメニューが印字されているのみだ。
 写真で訴えかけなくても、絶対的な味の自身がある。
 だからこそ、メニュー表現の違いがあった。

「この、カニを使ったパスタなんかは北海道らしくていいね。試食会で食べた事があるが、ウニも使ってとても濃厚で贅沢だった覚えがある。僕はこのパスタに、スープとサラダにするよ。サラダは福島さんとシェアしよう」
「かしこまりました」

 社長がオーダーを決めた後、福島も注文を決めたようだ。

「じゃあ僕は、イクラを使ったものにしようかな。赤松さんだっけ。君も同席して食べなさい。時間はあるんだろう?」
「いえ、私は勤務中ですし、食事はもう取りましたので」
「じゃあ、つまみと酒でも」

 断っているのに福島はさらに勧めてくる。
 困った香澄は八谷に視線を向けた。
 八谷は少し考えたあと、頷きながらこう提案してきた。

「僕たちが食事をする間、同席して話題を提供してくれるかい? 食べたい物があれば好きに注文していいし、そういう腹具合でなければ飲み物だけでも構わないよ。もちろん、ソフトドリンクでもいい」
「承知致しました」

 社長がそう言うのなら、と香澄はソフトドリンクを飲みながら接待する事にした。
 こういう風に、八谷が福島との間で緩衝材になってくれるのがありがたい。

 八谷と直接言葉を交わした機会は少ないが、やり手の経営者ながら、個人としては優しい人だと思っている。
 本社の知り合いの話では、付き合いで仕方がなく女性がいる店にも行くが、基本的にはとても愛妻家なのだそうだ。
 その妻という女性がよくできた人で、夫の話を聞きつつさりげなく経営に関するアドバイスをするらしい。
 社長夫人の口添えがあったからこそ、八谷グループは女性社員にも優しい会社になったとの事だ。

 飲食業界のメインになる働き手は、アルバイトの若い男女とも言える。
 もちろん厨房スタッフも大事だが、ホールに出て客に接するスタッフたちも大変だ。

 昨今セクハラに厳しい風潮になってきて、ブラック企業という単語も耳にする。
 八谷グループはそう言われないよう、社風や給料面でも頑張っていた。

 このイタリアンレストランには、男性のホールスタッフもいるが、居酒屋『月見茶屋』やバー『Fruit elegant』、『Bow tie club』では女性のホールスタッフがメインになる。
 困った客が現れた場合、嫌な思いをするのは女性スタッフ自身だ。
 それをカバーする会社側の対応がなければ、せっかく育成したスタッフが辞めてまた一から新人を雇って……と、良くない循環になる。
 なるべくそうならないように、香澄は店長にスタッフたちからヒアリングをしてもらい、何かが起こる前に事前に不満を聞けるよう配慮していた。
 問題があれば本社に伝え、判断を仰ぐのもマネージャーの仕事で、本社からの返事も大体妥当と思えるものばかりだ。

 だからこそ香澄は八谷という会社が好きで、この仕事をできる限り続けたいと思っていた。
 その後、香澄はウーロン茶を頼んで社長と福島と同席し、この時期の札幌の特徴や話題になっている事を話した。

 会話をしつつ、八谷はさりげなく店内を見回している。
 店の清掃具合、接客の様子、料理が提供されるタイミング、スピード、八谷グループに相応しい空気を醸し出せているか。
 穏やかに談笑しつつも、香澄はピリリと緊張したまま背筋を伸ばしていた。

 だが幸いにも特に何か言及されるでもなく、二人は二十時半近くまでゆっくりレストランで語り合ったあと、すすきの交差点を渡って『Bow tie club』に向かった。

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