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第一部・出会い 編

序章3~突然の知らせ

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(タクシー呼んでくれたなら……、お礼を言わないと)

 少し悔しいが、香澄は素直に礼を言う事にする。

「あ、あの」
「ん?」
「タクシー、呼んでくれましたか?」

 香澄に問いに、佑は言葉では答えず、微笑した。
 ついさっきは店に対して「金を落とす」とあからさまな言い方をしたのに、今度は恩着せがましい言葉は言わない。
 その緩急の基準が分からず、香澄は混乱した。

「っ~~~~……。ありがとうございました! いつまでもそんな格好だったら風邪引きますから、今日はおやすみなさい!」

 ドアを開いて待っているタクシーにも悪く、乗り込もうとしながらそう告げると、ご機嫌な声が聞こえていた。

「『今日は』という事は〝明日〟もあるんだな? 言質を取ったよ。おやすみ!」
「っ~~~~!!」

 クワッと目を剥いた香澄の眼前で、タクシーのドアが閉まった。

「どちらまで行きますか?」

 運転手に尋ねられ、香澄は中央区内の自宅住所を口にする。
 発進したタクシーの窓からさりげなくホテルの出入り口を見ると、そこにはまだ佑が立ってこちらを見送っていた。

(……変な人……)

 溜め息をつき、眩暈すら覚えた香澄は前髪を乱暴に掻き上げる。
 スマホを開くと、深夜一時を過ぎようとしていた。

(こんな時間じゃ、麻衣に連絡もできない)

 同じ札幌市内に住んでいる親友に話を聞いてもらおうと思ったが、迷惑になる時間なのでやめておいた。

(どうしてこうなったんだろう……)

 溜め息をついた香澄は、十一月になった札幌市内の景色を見やる。
 まだ夜も浅い時間ならイルミネーションが灯っているが、こんな時間になれば当然消えている。

 香澄が佑と出会ったのは、彼女が務めている八谷グループが経営している店舗の一つに、彼が客として来ていたからだ。
 そこでちょっとしたトラブルがあって、マネージャーと客以上の関係になってしまったのだが……。

 この日は香澄の誕生日で、早めに帰宅して自分のためにコンビニケーキでも買おうと思っていた。
 今週末には親友と一緒にお祝いをする予定だったのだが、今日起こった事が怒濤すぎて親友との予定を楽しみに思う気持ちも霞んでしまった。

「…………分からん……」

 タクシードライバーに聞こえないように小さく呟いたあと、香澄はなるべく何も考えないようにして目を閉じた。

**

 彼女がそうなる十日ほど前。


 赤松香澄は、酒を提供する飲食店のチェーングループ、八谷の社員だ。
 その中で彼女は二十六歳の若さで札幌支店のエリアマネージャーをしていた。
 八谷の札幌支店は、イタリアンレストラン『La mimosaラ・ミモザ』、会員制クラブ『Bow tie clubボウ・タイ・クラブ』、バー『fruit elegantフリュイ・エレガン』、居酒屋『月見茶屋つきみちゃや』がある。

 それらの店舗は札幌の繁華街すすきのに集まっていて、八谷札幌支社もすすきのにある。
 中央区で一人暮らしをしている香澄は、十五時半ほどに出社して事務仕事をし、その後十七時から開店する店舗を見守っていた。
 基本的に各店舗には店長がいて、スタッフたちは店長の指示に従うので、香澄が口出しする事は少ない。
 だがオープン前に売上状況の確認や、季節に応じたメニューへの客の反応、または新メニューの試食会など、やる事は多い。

 特に『Bow tie club』は、基本的に経営者など限られた客しか来ない会員制クラブなので、粗相がないように気を付けている。
『Bow tie club』ではキャスト――バニーガールによる接客がメインだ。
 バニーガールになるにも、ただ見た目がいいだけではなく、客を不快にさせない話術や、経営者相手に会話ができる知識も必要になる。
 求人情報があると、高額の時給を目当てに応募してくる女性は割と多くいるのだが、履歴書をよく見せてもらった上で返事をしていた。

 香澄自身は進学校出身で、四年制大学に通っていた。
 飲食店に興味があったので、就職活動をして東京に本社がある八谷グループに入社できた。
 最初は東京で数か月研修を受け、その後他の都市で店長を数年務めたあと、現在に至る。

 周囲の店長の中には三十代の人もいるので、二十六歳にしてマネージャーになった香澄は特例だろう。
 ただ、彼女が店長になった店がメキメキと売上を右肩上がりになったのも事実で、そこを本社に買われてエリアマネージャーを任されていた。
 そうなれたのもひとえに、食べる事が好きで、八谷グループが提供する料理や酒を、どうやって楽しんでもらおうと懸命に考えた結果だった。

 八谷グループの店舗がある立地は、有名なすすきの交差点近辺なので、人のアクセスも多かった。
 すすきの交差点より南に進むと雑居ビルが多くなり、ディープな雰囲気の場所もあるが、大きな交差点沿いは比較的カジュアルに入れる店が多い印象だ。
 テナントを押さえられたのも八谷グループの力があるからだし、一般客に馴染みやすい居酒屋から、紹介制の高級クラブまで店を任せられるのは、香澄にとっても実にやりがいのある仕事だった。



 生まれ育った札幌という街でバリバリと仕事をし、特に今は彼氏を作る事は考えていないが、いずれ誰かと結婚して……とぼんやり考えている。

 御劔佑と出会ったのは、何でもない香澄の日常の一ページの中だった。

 十一月上旬。
 二十日で二十七歳の誕生日を迎えるその月に、本社から電話があった。

『二十日から数日、社長が札幌店を視察に行かれるので、準備をしておいてください。いつもの店の雰囲気を掴みたいと仰っていたので、アルバイトには知らせなくていいです。それから、社長のご友人も同行されます、半分プライベートも兼ねた視察なので、それも考慮して騒がず対応してください』

「はい、承知致しました」

 その後、札幌支店の売上や噂はいいものを聞いていると褒められてから、本社からの電話は切れた。
 あと十日ほど猶予があるので、各店舗の店長に伝えて備えておける。
 幾ら〝半分プライベート〟と言っても、いつも以上に気を遣わなければいけないのは当たり前だ。
 毎日店内の清掃をしているつもりだが、手が届かない場所もあるのでそこは自分も雑巾を持って手伝い、念入りにやっておこうと思った。
 基本的な正装はホールの床やテーブルの上、席、手洗いなどだが、人によってはオブジェや天井なども気にする人がいる。
 本社の社長ともなれば、目の付け所が違うだろう。

「よし。掃除って言ったら嫌がるかもだけど、皆のお尻を叩いて頑張ってもらおう」

 社長が訪れるまでのスケジュールを頭の中で組み込み、香澄はまずその日の仕事をこなそうと動き出した。

**

 その後、事前に店舗に連絡を入れて少しずつ、けれど確実に掃除を進めてゆく。
 二十日になる前には香澄がしっかりチェックした上で、大掃除も無事終わろうとしていた。

(これだと、年末の大掃除も楽かもしれない)

 そう思った直後、「そんな事を言ったら駄目だ。いつも綺麗にしていないと」と反省する。

 その頃、街の中が活気づいているのは、『札幌ファッションコレクション』が行われるからだった。
 世界に名だたるパリコレがあり、東京でもコレクションが開かれているのは聞いている。
 その国内地方都市版が、服の販売促進や次のブームを作るために行われる。
 日本の有名モデルや芸能人がランウェイを歩き、国内の有名アパレルブランドの新商品がいち早く見られるとの事で、ファッションに敏感な若者に人気らしい。
 会場は中心部から離れているドームと聞いていて、直接札幌中心部には関係ない。

 だがそれをきっかけに中心部に観光に来る人も多くなるので、大きなイベントやライブがある時はかき入れ時だった。
 香澄は基本的に華々しい世界に興味はない。
 ただ仕事に繋がり、上客たちも話題にするかもしれないので、ネットニュースやあらゆる新聞などを見る努力はしていた。
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