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取り戻した記憶
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「ゆ、百合が見えると……。また頭痛で苦しんでいて。それで手を……」
言い訳がましく言うオーガストを、クライヴはチラッと見やってからモニカの頬に手を当てた。
「モニカ、俺だ。大丈夫か?」
「う……っ、クライヴ……」
頭痛が酷いモニカは意識が朦朧としていた。
側に自分の名を呼んで心配してくれる人がいなければ、このまま意識を失うか、いっそ死んだ方がマシだと思っていた。
体温が一気に下がったような気がし、耳鳴りもする。
冷たくなったモニカの指先を、クライヴの温かな手がしっかりと握りしめた。
「モニカ、大丈夫だ。側にいる」
「クライヴ……」
汗で濡れた額に手を置き、クライヴは優しく唇を落とす。
「大丈夫だ。もう恐れることはないから」
薄く目を開いた視界に、クライヴが微笑んでくれているのを見て、モニカはホ……と息をついた。
けれど、言わなければならないことがある。
「クライヴ、……百合が見えたわ」
「大丈夫だ」
ケイシーに言って、部屋に百合は飾らないようにしている。
それを言おうと思ったクライヴに、モニカは小さくかぶりを振った。
「馬車のカーテンの隙間から、一瞬見えたの。姿は真っ黒で覆面をしていて、誰なのか分からなかったけれど……。剣の束に、百合の紋章があったわ」
「百合の……」
クライヴが呟くと同時に、背後でオーガストが息を吸い込む音が聞こえた。
「百合の紋章……。リリーブライトは……教会のものだ……」
青ざめたオーガストは、それを言うのが精一杯だった。
表情を厳しくしたクライヴは、モニカの手を握ったまま彼を睨み上げる。
「……君が関係しているのか? オーガスト」
「いいや。知らない。……本当だ!」
悲鳴のような声を上げるオーガストは、顔を蒼白にし、哀れなほどに怯えきっている。
「僕は確かに今でもモニカが好きだ! でも人の道に反してまで、彼女を手に入れようと思わない! こうやって少しだけ昔のように話せるだけでいい! それ以上は望んでいない!」
その魂からの叫びを、クライヴは信じようと思った。
「……疑って済まない。じゃあ……」
「誰が」と思ってクライヴはニコラス司祭の顔を思い浮かべ、首を振った。
自分とモニカの式を執り行ってくれ、王冠を授けてくれた。恩があっても彼を疑う理由はない。
まだ顔色を悪くしたままのオーガストも、同じことを考えていたようだ。
けれど彼は、クライヴのように疑いを否定することなく、眉間に深いしわを刻んで黙り込んでいる。
「ケイシー……。お願い、お水を頂戴」
モニカの弱々しい声が聞こえ、「はいっ」と侍女の声がする。
オーガストを疑ってみたり、ニコラスを疑ってみたり、思考があちらこちらへいっていたが、今はモニカだ。
「モニカ、大丈夫か?」
クライヴが妻の顔を覗き込み、オーガストも彼女の側に立つ。
頭痛が引いてきたのか、やや楽そうな表情になったモニカは、そんな二人を見て不思議そうに目を瞬かせた。
「……クライヴ? ……オーガストまで……。どうしたの? ここは……」
現状が分かっていないという表情に、二人は困惑して顔を見合わせる。
そしておずおずと、クライヴが言った。
「モニカ……。もしかして、記憶が戻ったのか?」
「記憶……?」
何がなんだか分からないという表情で、モニカはゆっくり起き上がる。
見回した部屋は見覚えのない内装で、その中によく知った顔が三人いることが不思議だ。
「私……、クライヴと結婚するために馬車に乗っていて……」
そこから記憶が混濁しているのか、モニカは美しい顔を歪める。
「モニカ、今は休んでいた方がいい。僕は義父さんに話がある」
大事な幼馴染みに優しく言ったオーガストは、厳しい顔をして部屋から立ち去ろうとした。それを、クライヴが呼び止める。
「オーガスト? もしかして司祭に……」
「すまない、心当たりがあってどうしても……」
先ほど廊下で話していた時は、一国の王に対する態度だったが、今三人は十代の頃に戻ったような雰囲気になっていた。
「早まったことはしないで欲しい」
「分かってる。君たちの立場を悪くさせるような愚行はしない。ただ、明日には帰国する義父さんを、逃がさないようにしておく」
オーガストは聖爵となり、ニコラスの元に引き取られた。
将来教会と貴族とを支えるパイプ役になるのだから、と甘やかされて育てられた。
実の両親から引き離されて寂しい思いをしていたものの、オーガストも優しいニコラスには懐いていた。
信心深く、人々に平等で神の愛を信じる彼は、伴侶を持たないがためにオーガストを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
ニコラスのことは好きだ。
しかし彼が、もしこの地区の長としてしてはならないことをしたのなら――。
「オーガスト……」
思い詰めた顔をしている彼に、クライヴは何と声を掛けていいのか分からない。
モニカはその隣で、混乱したままの顔をしていた。
「クライヴ。君はモニカについていて。今は夫である君が側にいた方が、モニカも安心すると思う」
「ああ。すまない、頼む」
オーガストの姿が部屋から消え、クライヴは微妙な気持ちで水を飲むモニカを見る。
「今は……いつなの? 私はどうしたの?」
頼りない声で問うモニカを、クライヴも辛そうな顔で見る。
「今は横になるんだ」
手慣れた手つきでクライヴがモニカのドレスを脱がせ始めると、ケイシーはすぐにネグリジェを持ってきた。
言い訳がましく言うオーガストを、クライヴはチラッと見やってからモニカの頬に手を当てた。
「モニカ、俺だ。大丈夫か?」
「う……っ、クライヴ……」
頭痛が酷いモニカは意識が朦朧としていた。
側に自分の名を呼んで心配してくれる人がいなければ、このまま意識を失うか、いっそ死んだ方がマシだと思っていた。
体温が一気に下がったような気がし、耳鳴りもする。
冷たくなったモニカの指先を、クライヴの温かな手がしっかりと握りしめた。
「モニカ、大丈夫だ。側にいる」
「クライヴ……」
汗で濡れた額に手を置き、クライヴは優しく唇を落とす。
「大丈夫だ。もう恐れることはないから」
薄く目を開いた視界に、クライヴが微笑んでくれているのを見て、モニカはホ……と息をついた。
けれど、言わなければならないことがある。
「クライヴ、……百合が見えたわ」
「大丈夫だ」
ケイシーに言って、部屋に百合は飾らないようにしている。
それを言おうと思ったクライヴに、モニカは小さくかぶりを振った。
「馬車のカーテンの隙間から、一瞬見えたの。姿は真っ黒で覆面をしていて、誰なのか分からなかったけれど……。剣の束に、百合の紋章があったわ」
「百合の……」
クライヴが呟くと同時に、背後でオーガストが息を吸い込む音が聞こえた。
「百合の紋章……。リリーブライトは……教会のものだ……」
青ざめたオーガストは、それを言うのが精一杯だった。
表情を厳しくしたクライヴは、モニカの手を握ったまま彼を睨み上げる。
「……君が関係しているのか? オーガスト」
「いいや。知らない。……本当だ!」
悲鳴のような声を上げるオーガストは、顔を蒼白にし、哀れなほどに怯えきっている。
「僕は確かに今でもモニカが好きだ! でも人の道に反してまで、彼女を手に入れようと思わない! こうやって少しだけ昔のように話せるだけでいい! それ以上は望んでいない!」
その魂からの叫びを、クライヴは信じようと思った。
「……疑って済まない。じゃあ……」
「誰が」と思ってクライヴはニコラス司祭の顔を思い浮かべ、首を振った。
自分とモニカの式を執り行ってくれ、王冠を授けてくれた。恩があっても彼を疑う理由はない。
まだ顔色を悪くしたままのオーガストも、同じことを考えていたようだ。
けれど彼は、クライヴのように疑いを否定することなく、眉間に深いしわを刻んで黙り込んでいる。
「ケイシー……。お願い、お水を頂戴」
モニカの弱々しい声が聞こえ、「はいっ」と侍女の声がする。
オーガストを疑ってみたり、ニコラスを疑ってみたり、思考があちらこちらへいっていたが、今はモニカだ。
「モニカ、大丈夫か?」
クライヴが妻の顔を覗き込み、オーガストも彼女の側に立つ。
頭痛が引いてきたのか、やや楽そうな表情になったモニカは、そんな二人を見て不思議そうに目を瞬かせた。
「……クライヴ? ……オーガストまで……。どうしたの? ここは……」
現状が分かっていないという表情に、二人は困惑して顔を見合わせる。
そしておずおずと、クライヴが言った。
「モニカ……。もしかして、記憶が戻ったのか?」
「記憶……?」
何がなんだか分からないという表情で、モニカはゆっくり起き上がる。
見回した部屋は見覚えのない内装で、その中によく知った顔が三人いることが不思議だ。
「私……、クライヴと結婚するために馬車に乗っていて……」
そこから記憶が混濁しているのか、モニカは美しい顔を歪める。
「モニカ、今は休んでいた方がいい。僕は義父さんに話がある」
大事な幼馴染みに優しく言ったオーガストは、厳しい顔をして部屋から立ち去ろうとした。それを、クライヴが呼び止める。
「オーガスト? もしかして司祭に……」
「すまない、心当たりがあってどうしても……」
先ほど廊下で話していた時は、一国の王に対する態度だったが、今三人は十代の頃に戻ったような雰囲気になっていた。
「早まったことはしないで欲しい」
「分かってる。君たちの立場を悪くさせるような愚行はしない。ただ、明日には帰国する義父さんを、逃がさないようにしておく」
オーガストは聖爵となり、ニコラスの元に引き取られた。
将来教会と貴族とを支えるパイプ役になるのだから、と甘やかされて育てられた。
実の両親から引き離されて寂しい思いをしていたものの、オーガストも優しいニコラスには懐いていた。
信心深く、人々に平等で神の愛を信じる彼は、伴侶を持たないがためにオーガストを目に入れても痛くないほど可愛がっていた。
ニコラスのことは好きだ。
しかし彼が、もしこの地区の長としてしてはならないことをしたのなら――。
「オーガスト……」
思い詰めた顔をしている彼に、クライヴは何と声を掛けていいのか分からない。
モニカはその隣で、混乱したままの顔をしていた。
「クライヴ。君はモニカについていて。今は夫である君が側にいた方が、モニカも安心すると思う」
「ああ。すまない、頼む」
オーガストの姿が部屋から消え、クライヴは微妙な気持ちで水を飲むモニカを見る。
「今は……いつなの? 私はどうしたの?」
頼りない声で問うモニカを、クライヴも辛そうな顔で見る。
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