契りの桜~君が目覚めた約束の春

臣桜

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 二〇五〇年 一月

 十二月の出会いから美弥は月也と何度も会い、真剣に絵のモデルに取り組んでいた。
 絵のモデルと言えば動かず楽だと思っていたのだが、ずっと同じ姿勢をとっているととても疲れるのが分かった。
 だが月也の大学のアトリエに通ったり、休みの日は最初の日のように喫茶店でお喋りをしてスケッチされていると、次第にそのやり方も心得てきた。
 月也の周りの美大生とも仲良くなった。けれど月也は沙夜の言いつけを守り、彼らが美弥に深入りをしないよう、さり気なく間に立ってくれる。
 芸能界からスカウトがくるほどの美貌に、画家を志望する学生たちは皆モデルにしたがった。だがそこは美弥自身も、描かせるのは月也だけと言って断ったのだ。
 アトリエにある月也の絵は、以前に見せてもらったスケッチブックの美女をモチーフにした、美しい絵ばかりだ。美女のいない風景画もあったが、どれも彼の繊細な心象風景を表したように、透明感があってどこか物悲しく美しい。美弥はそれにとても惹かれた。
 影のある美しさというのは、どこか時人に共通している。すべてを知る事のできない秘密があり、そこに立ち入ってはいけないと思う危うさがある。
 あの写真立ての美女が時人にとってどういう人かという事も、美弥はまだ聞き出せないでいた。同時にあの写真立ての美女がどうも月也の絵の美人に似ているような気がする。美弥は時折彼のスケッチブックを眺めては、思いを馳せるのだ。
 自分では、自分の顔と誰かの顔が似ているなどよく分からない。
 だが第三者が「似ている」というのを当てはめれば、時人の想い人と月也の絵のモデルは自分を介して似ているという事になる。
「ねぇ、月也さん。月也さんの絵、いつかママに見てもらってもいい?」
「え? いいけど……。まだあまり人に見せられるレベルじゃないんだけど……。どうしよ。どの絵がいいかな」
 件の喫茶店で月也がスケッチブックをめくっていると、美弥は彼女なりの注文をする。
「月也さんが私をスケッチしたのとね、私と会う前の月也さんの『彼女』の絵と、二枚用意してほしいの」
 出会った頃よりは砕けた口調になった美弥は、月也に対して友達以上恋人未満ぐらいの気持ちを持っていた。
「え? 変な注文だな。いいよ。その括りで何でもいいなら、自分でよくできたと思うの選んでおくから」
「ありがとう! じゃあ今度、うちに招待するからね」
「じゃあ、何か新しい服買わないとな」
「えぇ? そのままでいいよ。月也さん清潔感のある人だし、おめかししなくてもママは何も言わないよ?」
「気持ち、気持ち」
 そんな軽口を叩き合いながら月也は鉛筆を動かし、彼のスケッチブックには美弥の姿が今日も増えてゆくのだった。

 その週末、月也はスケッチブックとカンバスを一枚持って秋月家を訪れた。
「いらっしゃい」
 月也を美弥が迎え、遅れて沙夜も迎え入れる。リビングの方からは他に話し声が聞こえていた。
「あのね、月也さん。今日は時人さんにも来てもらったの」
「え? 時人さんって美弥ちゃんの憧れの人?」
 靴を揃えている月也に美弥が嬉しそうに言い、彼は自分の胸中がほんの少し曇るのを感じていた。同時に玄関に高級そうな革靴があるのを見て、劣等感を覚えてしまう。
 絵の美女にそっくりで、美しく礼儀正しい美弥に月也が惹かれない訳がない。だが前もって美弥は事ある毎に「時人さん」という名を嬉しそうに口にしていた。その恋心に水を差す訳にいかないと、月也は自分の気持ちに蓋をしてきたのだ。
 正直、どういう人物なのか見てやろうという気持ちがなかったわけではない。
 もしこれで自分が「勝てそう」と思ったのなら、今まで我慢してきた気持ちを解放してもいいのではないか。そう思いながら月也はリビングへ足を向けた。
「やあ、初めまして」
 が、そこで月也を迎え入れたのは、三十路に足を踏み入れたばかりという外見の、見るも麗しい美青年だった。
「は……、初めまして」
 いかにも「あらゆるものを持っている」というオーラに気圧され、月也は膨らんでいた気持ちが急激に萎んでゆくのを感じる。
「美弥ちゃんから話は聞いているよ。美大生なんだってね。俺は宇佐美時人。宇佐美グループと名の付く会社とかを、一応束ねている感じだ」
 そう言って時人は月也に名刺を差し出した。月也は自分とはかけ離れた世界の肩書きが並んでいるのを見て、羞恥を覚える。
 時人がこんなに立派な肩書きを持っているというのに、自分は将来どうなるか分からない美大生で、差し出すべき名刺もない。
 絵を描く以外何もない自分に比べて、外見も権力も財力も兼ね備えた時人。美弥は時人を選んで当然だと思い、月也は静かに落ち込んだ。
「……失礼だが、君は誰かに……似ているね」
 ふと時人は月也の顔を見て、微かに首を傾げる。それからすぐに「失礼」とごまかすように笑って握手を求める。
「いいえ、ありふれた顔ですから」
 それに月也はやや自虐的なセリフを言って、改めて自己紹介をするのだった。
 美弥は月也の心境など知るよしもなく、お気に入りの男性二人が集まってご機嫌だ。
「月也さんが描いている絵の美女ね、もしかしたら時人さんも見覚えがあるって思うかもしれなくて」
「ふぅん? 興味があるな」
 ソファにゆったりと座った時人は、リラックスした私服姿だ。シャツにセーターにズボンというありきたりな格好だが、その一つ一つが質のいいブランド品だ。それらを身に着けても時人はまったく「着られている」という感じがない。
「……未熟な学生の描いた絵で恥ずかしいです」
 時人を前に月也はやや卑屈になっていた。コートを脱いでソファに座っても、まともに時人の顔を見る事ができない。
 やがて沙夜が紅茶の用意をし、時人が手土産に買ってきたケーキを全員で食べる。月也も気を利かせて、家の近所にある洋菓子屋で焼き菓子などを買ってきたのだが、それは美弥が個人的にいただきなさいとの沙夜の言葉だった。
 秋月の両親も月也に対して友好的で、時人だって月也に失礼な事を言ったりしない。だが月也はだんだんその場にいるのが辛くなっていた。
「じゃあ、そろそろ月也さんの絵を見せて?」
 美弥がねだると、月也は「本当に恥ずかしいけど」と前置きをしてから、アルタートバッグからカンバスを取り出した。
「この人が俺の幻想世界の女神です。本当に偶然にも……、美弥ちゃんにそっくりで」
 テーブルの上に置かれたカンバスには、光の中で天使の羽根などに囲まれ、一人の女性が透明感のある目でこちらを見ている。
 何かを訴えるような、少し釣った大きな目。高貴な猫を思わせるその目は、確かに今の美弥に似ている。
「あらやだ。本当に美弥に似ているわ。これ、本当に美弥をモデルにする前に描いたの?」
「はい。実家の押し入れにあった絵に、インスピレーションを受けたんです」
「ね? 時人さん、月也さんの絵素敵でしょう?」
 美弥が無邪気に笑って憧れの人を見ると、彼は思っていたよりも真剣な反応を見せていた。薄茶色の目は食い入るようにカンバスを見て、時折何かを思い出そうとするように、月也の顔を見る。
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