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「勉強は捗ってる?」
「うん……。講習や塾も行ってるけど、今のステップより上に行きたいと思うなら、家庭教師も視野に入れた方がいいのかな? ってママと言ってて」
そう言って美弥はチラリと沙夜を見る。
時人はそれを聞いて色素の薄い目で目の前の料理を見つつ口を動かし、何か考えていた。が、やがて口を開いた。
「じゃあ、俺で良ければ勉強を教えようか?」
「本当!?」
立ち上がりそうな勢いで美弥が喰い付き、沙夜は驚いて口を挟む。
「けど、時人さん忙しいでしょう」
大人として常識的な遠慮をする沙夜だが、美弥はそれが面白くない。
(ママ、邪魔をしないでよ)
だが美弥の心配をよそに、時人はワインを一口飲んでから魅力的に笑った。
「確かに海外出張もあるが、しょっちゅうでもないしね。仕事が終わった後の夜でもいいのなら……と思って」
時人本人の言葉に、沙夜は誠也と顔を見合わせ、しばし考えているようだった。
時人は有名な大学出身で、更に海外の大学院も卒業した。そんな人が教えてくれるとなれば、美弥の成績も上がるかもしれない。
「いいじゃん、沙夜。うちの諒も高校受験の時に時人さんに少し見てもらったし」
一華が明るく言い、美弥は内心自分だけが特別扱いではなかったのかと落胆する。
「そう……かな。……じゃあ、時人さん無理のない範囲でお願いします。お月謝はどうしたらいい?」
沙夜が遠慮しつつも言うと、時人は「とんでもない」と言うように首を振る。
「沙夜ちゃんの家から月謝なんてもらえないよ。諒くんの時もボランティアだったし、たまに君たちの顔が見られるだけで俺は嬉しいんだ」
結婚しておらず子供のいない時人にとって、美弥や諒の存在は姪や甥に等しいのだろう。
「じゃあ、時人さんが来てくれる時、腕を振るってお菓子やご飯を用意しておくね」
沙夜が微笑むと時人は「楽しみにしているよ」と笑い、美弥の家庭教師の話はそれで落ち着いた。沙夜も本当に手作りの食事や菓子で時人に家庭教師を頼むつもりはなく、何かしらの礼を考えているようだ。
「美弥ちゃん良かったねぇ。時人さん有名大学の出だから、確実だよ?」
一華が茶化すように言って笑い、美弥は嬉しくて堪らない。
やがて食事が終わると会計は時人がカードで済ませ、全員が礼を言う。
誠也が駐車場から車を出してくる間、時人は美弥の服を褒めてくれた。
「そのワンピース似合っているね。大人っぽくて可愛いよ」
「ありがとう」
昼間に一生懸命選んだワンピースは、モノトーンでありながら少し柄で若さを出した物だ。彼に会うために今日買ってもらったので、美弥は嬉しくて頬を染める。
(いつかもっと大人っぽい服が似合う女性になるからね)
心の中でそう宣言し、美弥は幸せそうに笑った。
運転手が運転する車で自宅マンションまで戻ると、時人はシャワーを浴びてラフな格好になった。
台所に立った時人は、ポットで湯を沸かしてコーヒーを淹れる準備をする。
「自分に一杯、カップに一杯、ついでに欲張りもう一杯、と」
そう呟いて香りのいいコーヒー豆をミルに移し、ガリガリと音を立てて挽いてゆく。
昔、彼は自分でコーヒーも淹れられない男だった。自炊なんて論外だ。
だが一人の女性に出会って、彼は劇的に変化したのだ。人生を変えられたと言ってもいい。
たっぷりとしたマグカップにコーヒーを注ぐと、時人の嗅覚から切ない記憶が蘇る。
しばらく彼の色素の薄い目は濃い琥珀色の液体に注がれていたが、「さて」と呟いて私室へ向かう。
時人の私室の壁際には、一面にストレージブックが本棚びっしりに並んでいる。
その中を通り過ぎて時人は重厚感のある木製のデスクにつき、コーヒーを一口飲んでから引き出しを開ける。
引き出しの中には、様々な種類のレターセットが整理されて入っていた。その中の青系の物から少し迷って便箋を選び、万年筆で手紙を書き始めた。
柔らかいライトに照らされたその顔は、好きな女性を見る顔と同じものだ。想いを募らせ、それを文字に変える。
手紙を書き終えてしまうと、時人はそれを読み直してから封筒に入れ、ぴっちりと封をする。そして宛名の所に名前だけ「美作葵(みまさかあおい)様」と書く。住所はない。それから切手も貼らず、壁際に並んでいるストレージブックの中に手紙を入れてしまった。
「今日の手紙、終わり。と」
そう呟いてから彼はまたデスクに座り、目の前にある写真立ての中で笑っている女性を見る。
「あなたが可愛がっていたあの子たちは、今は立派に母親をしていますよ。……あなたは、……変わりませんね」
寂しげに話しかけても、写真立ての中の美女は返事をしない。
そのまま、時人は目を閉じて椅子に背中を預け、彼女が笑っていた時代に思いを馳せた。
「うん……。講習や塾も行ってるけど、今のステップより上に行きたいと思うなら、家庭教師も視野に入れた方がいいのかな? ってママと言ってて」
そう言って美弥はチラリと沙夜を見る。
時人はそれを聞いて色素の薄い目で目の前の料理を見つつ口を動かし、何か考えていた。が、やがて口を開いた。
「じゃあ、俺で良ければ勉強を教えようか?」
「本当!?」
立ち上がりそうな勢いで美弥が喰い付き、沙夜は驚いて口を挟む。
「けど、時人さん忙しいでしょう」
大人として常識的な遠慮をする沙夜だが、美弥はそれが面白くない。
(ママ、邪魔をしないでよ)
だが美弥の心配をよそに、時人はワインを一口飲んでから魅力的に笑った。
「確かに海外出張もあるが、しょっちゅうでもないしね。仕事が終わった後の夜でもいいのなら……と思って」
時人本人の言葉に、沙夜は誠也と顔を見合わせ、しばし考えているようだった。
時人は有名な大学出身で、更に海外の大学院も卒業した。そんな人が教えてくれるとなれば、美弥の成績も上がるかもしれない。
「いいじゃん、沙夜。うちの諒も高校受験の時に時人さんに少し見てもらったし」
一華が明るく言い、美弥は内心自分だけが特別扱いではなかったのかと落胆する。
「そう……かな。……じゃあ、時人さん無理のない範囲でお願いします。お月謝はどうしたらいい?」
沙夜が遠慮しつつも言うと、時人は「とんでもない」と言うように首を振る。
「沙夜ちゃんの家から月謝なんてもらえないよ。諒くんの時もボランティアだったし、たまに君たちの顔が見られるだけで俺は嬉しいんだ」
結婚しておらず子供のいない時人にとって、美弥や諒の存在は姪や甥に等しいのだろう。
「じゃあ、時人さんが来てくれる時、腕を振るってお菓子やご飯を用意しておくね」
沙夜が微笑むと時人は「楽しみにしているよ」と笑い、美弥の家庭教師の話はそれで落ち着いた。沙夜も本当に手作りの食事や菓子で時人に家庭教師を頼むつもりはなく、何かしらの礼を考えているようだ。
「美弥ちゃん良かったねぇ。時人さん有名大学の出だから、確実だよ?」
一華が茶化すように言って笑い、美弥は嬉しくて堪らない。
やがて食事が終わると会計は時人がカードで済ませ、全員が礼を言う。
誠也が駐車場から車を出してくる間、時人は美弥の服を褒めてくれた。
「そのワンピース似合っているね。大人っぽくて可愛いよ」
「ありがとう」
昼間に一生懸命選んだワンピースは、モノトーンでありながら少し柄で若さを出した物だ。彼に会うために今日買ってもらったので、美弥は嬉しくて頬を染める。
(いつかもっと大人っぽい服が似合う女性になるからね)
心の中でそう宣言し、美弥は幸せそうに笑った。
運転手が運転する車で自宅マンションまで戻ると、時人はシャワーを浴びてラフな格好になった。
台所に立った時人は、ポットで湯を沸かしてコーヒーを淹れる準備をする。
「自分に一杯、カップに一杯、ついでに欲張りもう一杯、と」
そう呟いて香りのいいコーヒー豆をミルに移し、ガリガリと音を立てて挽いてゆく。
昔、彼は自分でコーヒーも淹れられない男だった。自炊なんて論外だ。
だが一人の女性に出会って、彼は劇的に変化したのだ。人生を変えられたと言ってもいい。
たっぷりとしたマグカップにコーヒーを注ぐと、時人の嗅覚から切ない記憶が蘇る。
しばらく彼の色素の薄い目は濃い琥珀色の液体に注がれていたが、「さて」と呟いて私室へ向かう。
時人の私室の壁際には、一面にストレージブックが本棚びっしりに並んでいる。
その中を通り過ぎて時人は重厚感のある木製のデスクにつき、コーヒーを一口飲んでから引き出しを開ける。
引き出しの中には、様々な種類のレターセットが整理されて入っていた。その中の青系の物から少し迷って便箋を選び、万年筆で手紙を書き始めた。
柔らかいライトに照らされたその顔は、好きな女性を見る顔と同じものだ。想いを募らせ、それを文字に変える。
手紙を書き終えてしまうと、時人はそれを読み直してから封筒に入れ、ぴっちりと封をする。そして宛名の所に名前だけ「美作葵(みまさかあおい)様」と書く。住所はない。それから切手も貼らず、壁際に並んでいるストレージブックの中に手紙を入れてしまった。
「今日の手紙、終わり。と」
そう呟いてから彼はまたデスクに座り、目の前にある写真立ての中で笑っている女性を見る。
「あなたが可愛がっていたあの子たちは、今は立派に母親をしていますよ。……あなたは、……変わりませんね」
寂しげに話しかけても、写真立ての中の美女は返事をしない。
そのまま、時人は目を閉じて椅子に背中を預け、彼女が笑っていた時代に思いを馳せた。
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