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母
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「追伸に書いてある連絡先だけ、コピーをあげるわ。父親と祖父母に会うかは、あなた達の判断に任せる」
そう言ったあと、涼子はコピーをテーブルの上に滑らせ、立ちあがった。
「遅い時間だし、そろそろ行きなさい。これから先、お見舞いには来なくていい」
そう言ったあと、涼子は「じゃあね」と言って庸一の遺書を持ち、面会室の個室を出ていった。
二人は庸一の衝撃的すぎる遺書を読んだあと、まだ感情の整理をつけられずにいる。
涼子は子供たちの反応を待つべきだったかもしれないのに、急ぐように面会室をあとにした。
恐らく彼女としても、夫の死を受け入れるのに精一杯で、子供二人の混乱を受け入れられる状況にないのだろう。
先ほどは春佳の「自分を憎んでいたか」という問いに答えたが、涼子がこの手の話にじっくり答えてくれるようには思えない。
今まで子供たちに向き合えていなかった分、照れくささもあるのかもしれないが、彼女自身の精神的な余裕がないのも理由に挙げられるだろう。
せっかく精神科に入院して落ち着きを取り戻したのに、子供たちがパニックに陥る姿を目の当たりにして、また不安定になったら治療の意味がない。
春佳はそのように理解しながらも、どう納得すればいいのか分からずに放心し続けた。
冬夜も同じで、彼はぼんやりと目の前の空間を見つめたまま呆けている。
やがて患者のいない面会室を覗き込んだ看護師がトントンとドアをノックし、二人はハッとする。
「……出るか」
「うん」
二人で面会室を出たあと、兄は看護師に頭を下げた。
「母をよろしくお願いします」
本当の事を聞かされても、一時は「あの女」呼ばわりしていても、彼は涼子を〝母〟と言った。
その態度に勇気をもらった春佳も、看護師に深く頭を下げた。
「どうか母を宜しくお願いいたします」
挨拶を終えたあと、二人はエレベーターに乗って一階に下り、夜間用の出口から外に出る。
冬を目前にした外気を吸った春佳は、病院にいる間、ずっとまともな呼吸ができていなかったように感じて、深呼吸をする。
そのまま二人は無言で駐車場に向かい、車に乗る。
冬夜は何も言わずエンジンをかけて車を発進させ、ボソッと言った。
「ちょっと、遠くに行っていいか?」
「……うん」
ハンドルを握った冬夜は、そのまま南に向かった。
「……言われたくない事かもしれないけど、……お父さんがお兄ちゃんにしていた事を聞いて、『なんて酷い事をしたんだろう』って思った」
考えが纏まっていないものの、春佳は思考を整理しながら言葉を紡いでいく。
その事について言うと、冬夜が纏う空気が硬くなったのが分かった。
「……お兄ちゃんから見れば、お父さんは敵で二度と会いたくない人で、殺したいほど憎い人だった。……その気持ちはとても理解できる。私だってもしもお父さんに同じ事をされていたら、トラウマを抱えてうまく生きられなかったと思うし」
冬夜は何も答えない。
「……でも、お父さんの視点、お母さんの視点を知って、二人とも被害者なんだと思った。お父さんは優那さんに出会わなければ、もっと別の人生を歩んでいたかもしれない。もっと言えば、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと向き合えていれば、生き方が違ったと思う。そうしたら、もしかしたらお父さんはお母さんの気持ちに応えたかもしれないし、すべて違う結末になったかもしれない」
懸命に言ったが、冬夜がボソッと呟く。
「どれだけ〝もしも〟の話をしても現実は変わらない」
春佳はそれを聞き、決まり悪く黙ったあと、ポツリと呟いて言い返す。
「……でも、皆それぞれの真実があるんだよ。お兄ちゃんの気持ちは分かる。……『分かる』なんて凡庸な言葉を言ったら失礼なぐらい、酷い事をされたのは理解してる。でも……」
「春佳!」
突如として冬夜が声を荒げ、バンッとハンドルを叩く。
肩を跳ねさせて口を噤んだ春佳は、目を見開いて前を向いたまま固まった。
そう言ったあと、涼子はコピーをテーブルの上に滑らせ、立ちあがった。
「遅い時間だし、そろそろ行きなさい。これから先、お見舞いには来なくていい」
そう言ったあと、涼子は「じゃあね」と言って庸一の遺書を持ち、面会室の個室を出ていった。
二人は庸一の衝撃的すぎる遺書を読んだあと、まだ感情の整理をつけられずにいる。
涼子は子供たちの反応を待つべきだったかもしれないのに、急ぐように面会室をあとにした。
恐らく彼女としても、夫の死を受け入れるのに精一杯で、子供二人の混乱を受け入れられる状況にないのだろう。
先ほどは春佳の「自分を憎んでいたか」という問いに答えたが、涼子がこの手の話にじっくり答えてくれるようには思えない。
今まで子供たちに向き合えていなかった分、照れくささもあるのかもしれないが、彼女自身の精神的な余裕がないのも理由に挙げられるだろう。
せっかく精神科に入院して落ち着きを取り戻したのに、子供たちがパニックに陥る姿を目の当たりにして、また不安定になったら治療の意味がない。
春佳はそのように理解しながらも、どう納得すればいいのか分からずに放心し続けた。
冬夜も同じで、彼はぼんやりと目の前の空間を見つめたまま呆けている。
やがて患者のいない面会室を覗き込んだ看護師がトントンとドアをノックし、二人はハッとする。
「……出るか」
「うん」
二人で面会室を出たあと、兄は看護師に頭を下げた。
「母をよろしくお願いします」
本当の事を聞かされても、一時は「あの女」呼ばわりしていても、彼は涼子を〝母〟と言った。
その態度に勇気をもらった春佳も、看護師に深く頭を下げた。
「どうか母を宜しくお願いいたします」
挨拶を終えたあと、二人はエレベーターに乗って一階に下り、夜間用の出口から外に出る。
冬を目前にした外気を吸った春佳は、病院にいる間、ずっとまともな呼吸ができていなかったように感じて、深呼吸をする。
そのまま二人は無言で駐車場に向かい、車に乗る。
冬夜は何も言わずエンジンをかけて車を発進させ、ボソッと言った。
「ちょっと、遠くに行っていいか?」
「……うん」
ハンドルを握った冬夜は、そのまま南に向かった。
「……言われたくない事かもしれないけど、……お父さんがお兄ちゃんにしていた事を聞いて、『なんて酷い事をしたんだろう』って思った」
考えが纏まっていないものの、春佳は思考を整理しながら言葉を紡いでいく。
その事について言うと、冬夜が纏う空気が硬くなったのが分かった。
「……お兄ちゃんから見れば、お父さんは敵で二度と会いたくない人で、殺したいほど憎い人だった。……その気持ちはとても理解できる。私だってもしもお父さんに同じ事をされていたら、トラウマを抱えてうまく生きられなかったと思うし」
冬夜は何も答えない。
「……でも、お父さんの視点、お母さんの視点を知って、二人とも被害者なんだと思った。お父さんは優那さんに出会わなければ、もっと別の人生を歩んでいたかもしれない。もっと言えば、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんと向き合えていれば、生き方が違ったと思う。そうしたら、もしかしたらお父さんはお母さんの気持ちに応えたかもしれないし、すべて違う結末になったかもしれない」
懸命に言ったが、冬夜がボソッと呟く。
「どれだけ〝もしも〟の話をしても現実は変わらない」
春佳はそれを聞き、決まり悪く黙ったあと、ポツリと呟いて言い返す。
「……でも、皆それぞれの真実があるんだよ。お兄ちゃんの気持ちは分かる。……『分かる』なんて凡庸な言葉を言ったら失礼なぐらい、酷い事をされたのは理解してる。でも……」
「春佳!」
突如として冬夜が声を荒げ、バンッとハンドルを叩く。
肩を跳ねさせて口を噤んだ春佳は、目を見開いて前を向いたまま固まった。
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