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遺されたもの
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『そんな……』
リビングに入って臭気がすると思ったら、グレーのスウェット姿の優那が、ドアノブにロープを掛けて首を吊っていた。
慌てて駆け寄って息があるか確かめようとしたが、冷たい首筋に触れた瞬間、手を引っ込める。
――嘘だ。
――優那が死ぬなんて……。
私は数歩離れたところで立ち尽くし、優那だったモノを見つめる。
彼女はいつも輝くような笑みを浮かべ、いい匂いのする美女だった。
部屋着姿を見た事もあったが、そのまま外出してもおかしくないぐらい、お洒落な服を身に纏っていた。
だから流行のスポーツメーカーとはいえ、優那が地味なグレーのスウェット上下を着ているのは意外だった。
髪も数日洗っていなかったのか、脂っぽく束になって顔にかかっている。
呆然と優那を見ている私の耳に、絶え間なく赤ん坊の泣き声が届く。
まるでそれは夏場の蝉だ。
聞きたくなくても容赦なく耳に飛び込み、自身の声を聞けと主張してくる。
私はその声に導かれるように、緩慢な足取りで別室に向かった。
マンションはとても高級で、ソファや大型テレビなどは最新式の高価な物ばかりなのに、部屋全体に生活感がない。
赤ん坊が寝かされている部屋も、段ボールや紙おむつが積み重なっている他は、ほぼ何もないと言っていい。
そんな部屋の中央で生きるために必死に声を上げている子は、つぶらな目に大粒の涙を浮かべていた。
母を求めているのか、乳を求めているのか。
はたまたおむつが濡れているのか、体調が悪いのか。
『……分からない……』
優那、あなたの考えている事がまったく分からない。
かつて長瀬が言っていたように、あなたは私を弄んでいただけだったんだろうか。
あなたを盲信していたつもりだったが、心のどこかでは『いいように使われているだけだ』と自嘲している自分もいた。
けれど自分の選択した道を疑えば、これまで私が突き進んできた道はすべて間違えていた事になる。
――間違えたくない。
いつからか私は、祖父母からも両親からも、諦めた目で見られるようになっていた。
祖父は自力で会社を興した才気溢れる人で、父もその祖父にスパルタ教育を受けてがむしゃらに勉強し、働いてきた人だ。
なのに私はノラリクラリと嫌な事を避けて生き、気がつけば誰からも褒められる事のない人生を送るようになっていた。
両親の説教を聞かないふりも得意になり、彼らはそんな私に期待しなくなる。
人から無関心な目を向けられるのが怖くなった私は、いつの間にか俯いて歩くようになっていた。
そんな私に優那だけが手を差し伸べてくれた。
地に這いつくばっていた蟻のような私を、彼女は両手で優しくすくい上げて人間扱いし、私に頼み事をし、頼ってくれた。
彼女がいなければ、今の私はいない。
『……あなたがいなくなったら、どうやって生きていけばいいんだ……』
たとえ愛されなくても、優那さえ生きていれば『頑張ろう』と思えたのに――。
絶望のあまり、ガンガンと頭が痛む。
グラグラと目眩を覚えていた時、チェストの上に〝瀧沢庸一さま〟と宛名の書かれた白い封筒を見つけた。
私は赤ん坊が泣くなか封筒を開き、手紙を読んでいく。
【瀧沢庸一さま。あなたがこの手紙を読んでいる頃、私はこの世にいないでしょう。もしも私の息があるうちにマンションに着いたとしても、このまま放置して死なせてください。高校時代から、あなたには我が儘ばかり言ってしまいました。瀧沢くんが私の頼みを断らないのをいい事に、私はどんどん願い事をエスカレートさせてしまった。ずっと都合のいい扱いをしていたのに、瀧沢くんは一度も文句を言わなかった。その根底にあるのは私への好意だと分かっていたのに、私はあなたの気持ちに応える事もしなかった。本当にごめんなさい】
今になって、私はようやく優那の想いを知る。
リビングに入って臭気がすると思ったら、グレーのスウェット姿の優那が、ドアノブにロープを掛けて首を吊っていた。
慌てて駆け寄って息があるか確かめようとしたが、冷たい首筋に触れた瞬間、手を引っ込める。
――嘘だ。
――優那が死ぬなんて……。
私は数歩離れたところで立ち尽くし、優那だったモノを見つめる。
彼女はいつも輝くような笑みを浮かべ、いい匂いのする美女だった。
部屋着姿を見た事もあったが、そのまま外出してもおかしくないぐらい、お洒落な服を身に纏っていた。
だから流行のスポーツメーカーとはいえ、優那が地味なグレーのスウェット上下を着ているのは意外だった。
髪も数日洗っていなかったのか、脂っぽく束になって顔にかかっている。
呆然と優那を見ている私の耳に、絶え間なく赤ん坊の泣き声が届く。
まるでそれは夏場の蝉だ。
聞きたくなくても容赦なく耳に飛び込み、自身の声を聞けと主張してくる。
私はその声に導かれるように、緩慢な足取りで別室に向かった。
マンションはとても高級で、ソファや大型テレビなどは最新式の高価な物ばかりなのに、部屋全体に生活感がない。
赤ん坊が寝かされている部屋も、段ボールや紙おむつが積み重なっている他は、ほぼ何もないと言っていい。
そんな部屋の中央で生きるために必死に声を上げている子は、つぶらな目に大粒の涙を浮かべていた。
母を求めているのか、乳を求めているのか。
はたまたおむつが濡れているのか、体調が悪いのか。
『……分からない……』
優那、あなたの考えている事がまったく分からない。
かつて長瀬が言っていたように、あなたは私を弄んでいただけだったんだろうか。
あなたを盲信していたつもりだったが、心のどこかでは『いいように使われているだけだ』と自嘲している自分もいた。
けれど自分の選択した道を疑えば、これまで私が突き進んできた道はすべて間違えていた事になる。
――間違えたくない。
いつからか私は、祖父母からも両親からも、諦めた目で見られるようになっていた。
祖父は自力で会社を興した才気溢れる人で、父もその祖父にスパルタ教育を受けてがむしゃらに勉強し、働いてきた人だ。
なのに私はノラリクラリと嫌な事を避けて生き、気がつけば誰からも褒められる事のない人生を送るようになっていた。
両親の説教を聞かないふりも得意になり、彼らはそんな私に期待しなくなる。
人から無関心な目を向けられるのが怖くなった私は、いつの間にか俯いて歩くようになっていた。
そんな私に優那だけが手を差し伸べてくれた。
地に這いつくばっていた蟻のような私を、彼女は両手で優しくすくい上げて人間扱いし、私に頼み事をし、頼ってくれた。
彼女がいなければ、今の私はいない。
『……あなたがいなくなったら、どうやって生きていけばいいんだ……』
たとえ愛されなくても、優那さえ生きていれば『頑張ろう』と思えたのに――。
絶望のあまり、ガンガンと頭が痛む。
グラグラと目眩を覚えていた時、チェストの上に〝瀧沢庸一さま〟と宛名の書かれた白い封筒を見つけた。
私は赤ん坊が泣くなか封筒を開き、手紙を読んでいく。
【瀧沢庸一さま。あなたがこの手紙を読んでいる頃、私はこの世にいないでしょう。もしも私の息があるうちにマンションに着いたとしても、このまま放置して死なせてください。高校時代から、あなたには我が儘ばかり言ってしまいました。瀧沢くんが私の頼みを断らないのをいい事に、私はどんどん願い事をエスカレートさせてしまった。ずっと都合のいい扱いをしていたのに、瀧沢くんは一度も文句を言わなかった。その根底にあるのは私への好意だと分かっていたのに、私はあなたの気持ちに応える事もしなかった。本当にごめんなさい】
今になって、私はようやく優那の想いを知る。
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