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「おかえり」
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「……うすうすは気づいていた。様子がおかしかったし、書斎に入って違和感を抱く事もあった。……春佳も、俺が〝気づいている〟理由を分かっているんだろう?」
監視カメラの事を匂わされ、彼女は頷く。
「……怒られるのを覚悟で言うと、お兄ちゃんがお風呂に入っている間、小村さんからメールがあったのを見ちゃった。彼女が【妹さんに勘違いされてるみたい】って書いているのを見て、嘘をつかれた確信が深まった」
冬夜は諦めたように、目を閉じて春佳の言葉に耳を澄ます。
「それから私は家捜しをした。あちこち探しても何もなくて、最後にパソコンの中身を見てしまったの。……PINコードは私の誕生日だったから、あっさり開いた」
そこまで言うと、観念したらしい冬夜が自虐混じりに言った。
「なら、俺のスマホのパスワードも分かるな? 122433だ。自分の誕生日と、春佳の誕生日。……キモいだろ」
「……気持ち悪くなんてないよ。……そんなふうに言わないで」
悲しげに言い返したが、冬夜は何も言わなかった。
返事を諦めた春佳は、さらに白状していく。
「……パソコンにあった『家族』ファイルと、『日記』ファイルを見ました」
それだけで、兄にはすべてが通じた。
彼はしばらく黙っていたが、何回か頷いたあと、息を震わせてからズッと洟を啜った。
「お前だけには、〝頼りがいのある格好いい兄〟と思ってもらいたかったんだけどな」
「思ってるよ! 今でもそう思ってる!」
春佳は弾かれたように言い、兄のほうを向いて座り直すと、彼の手を両手で握った。
「……っ気付けなくてごめんなさい。私はあまりにも鈍感すぎた。……お兄ちゃんがずっと何を考えていたか、知ろうともしなかったし、自分一人が可哀想だと思い込んでた。……っ、違う。お兄ちゃんが可哀想とか言いたいんじゃなくて……っ」
必死に自分の感情を伝えようとした時、冬夜が春佳の腕を引き、思いきり抱き締めてきた。
「…………っ」
硬い胸板に顔を押しつけられ、春佳はドキッと胸を高鳴らせる。
子供の頃は何回も兄に抱き締められた。
だが成長したあとは、頭ポンポンぐらいのスキンシップはあっても、抱き締められた事などなかった。
――大人の男の人になってる。
こんな時なのに、兄へのときめきが止まらない。
「……っ、ごめんな。俺なんかが、兄貴でごめんな……っ。お前は綺麗で可愛い子のに、たった一人の頼れる兄貴がこんな奴でごめんな……っ」
二十四歳の兄が、声を震わせて謝る。
今まで聞いた事のない悲愴な声を耳にし、春佳は兄の背中に回した手に力を込め、彼をかき抱いた。
「謝らなくていいの……っ! お兄ちゃんが謝る事なんて、何一つない……っ! 悪いのは……っ」
そのあと、「お父さんなの」と言えなかった。
この期に及んで、春佳は父を悪者にできなかった。
生まれた時からの悪人なんていないし、父にだって何らかの事情があったに決まっている。
けれど、冬夜が受けた心と体の傷を、「仕方ない」なんて言葉で済ませたくない。
二十四年にわたって刻まれた傷を、なかった事になんてできない。
冬夜が味わった憎しみも恨みも怒りも悲しみも、信じていた父親に裏切られた絶望も、せめて春佳だけは受け止めないといけない。
「畜生……っ!」
冬夜は吠えるように叫び、力一杯華奢な妹を抱き締め、大粒の涙を流して嗚咽した。
春佳はたった一人で気が遠くなるほどの痛みを抱えてきた兄を、ただ抱き締めるしかできない。
兄は傷付きながらも進み、生きる事を諦めず、その心に憎悪を抱きながらも妹への無限の愛を抱き続けた。
この場に彼が存在している事が、生き抜くという固い決意の表れだ。
冬夜は果てしない絶望を抱きながらも、妹というたった一筋の光を縋り、足を引きずって進んだ。
そしてようやく彼は、最愛の妹の腕の中で、秘め続けてきた悲しみを解放する事ができたのだ。
「ずっと一人で我慢していて、つらかったよね」
涙で崩れた声で言うと、冬夜の嗚咽が激しくなる。
春佳は子供のように泣く彼を抱き、祈りにも似た気持ちを抱く。
――あぁ。私は透明でとても尊いものを抱いている。
滂沱の涙を流した春佳は、腕の中で震える兄に頬を寄せる。
傷付いた冬夜の長くつらい旅は、ここで終わり迎えたのだ。
「もう、一人で苦しまなくていいよ。私が半分、お兄ちゃんの荷物を背負うから」
春佳は涙を零して笑い、慈愛の籠もった表情を浮かべて兄の背中をさすった。
「おかえり」
十三歳の時、家を出ていく兄を見送ったあと、いつ彼に「おかえり」を言えるのか考えていた。
そして、今こそその言葉を向ける時だと感じた。
「私はここにいるよ。ずっと側にいるから」
春佳は素直に涙を流す冬夜に愛しさを感じながら、彼を安心させるように言う。
「……あとね、私、お父さんに乱暴された事なんて一度もない」
そう言った途端、冬夜はガバッと顔を上げ、瞠目して見つめてくる。
「……本当か?」
震える声で尋ねられ、春佳はしっかり頷く。
「こんな事で嘘をつかないよ。私は……、その。…………まだ、処女です」
ボソッと呟くと、兄は涙を流したまま呆けた顔をする。
「……良かった……」
呆然として言ったものの、二人の胸には疑問が残る。
「……じゃあ、なんであいつはあんな嘘をついたんだ? わざと俺を煽って、憎ませて……。殺されたかったならともかく、自分で飛び降りた……」
「私も思ってた」
しばし兄妹は手を取り合ったまま考え、同じ結論を出す。
「……お母さんなら何か知ってるかも」
「……かもしれないな」
頷き合ったあと、冬夜は決意したように提案した。
「これから行けるか?」
「すぐ準備する」
残された謎を解き明かすため、兄妹はすみやかに出かける支度をし、冬夜の運転する車で涼子が入院している病院へ向かった。
**
監視カメラの事を匂わされ、彼女は頷く。
「……怒られるのを覚悟で言うと、お兄ちゃんがお風呂に入っている間、小村さんからメールがあったのを見ちゃった。彼女が【妹さんに勘違いされてるみたい】って書いているのを見て、嘘をつかれた確信が深まった」
冬夜は諦めたように、目を閉じて春佳の言葉に耳を澄ます。
「それから私は家捜しをした。あちこち探しても何もなくて、最後にパソコンの中身を見てしまったの。……PINコードは私の誕生日だったから、あっさり開いた」
そこまで言うと、観念したらしい冬夜が自虐混じりに言った。
「なら、俺のスマホのパスワードも分かるな? 122433だ。自分の誕生日と、春佳の誕生日。……キモいだろ」
「……気持ち悪くなんてないよ。……そんなふうに言わないで」
悲しげに言い返したが、冬夜は何も言わなかった。
返事を諦めた春佳は、さらに白状していく。
「……パソコンにあった『家族』ファイルと、『日記』ファイルを見ました」
それだけで、兄にはすべてが通じた。
彼はしばらく黙っていたが、何回か頷いたあと、息を震わせてからズッと洟を啜った。
「お前だけには、〝頼りがいのある格好いい兄〟と思ってもらいたかったんだけどな」
「思ってるよ! 今でもそう思ってる!」
春佳は弾かれたように言い、兄のほうを向いて座り直すと、彼の手を両手で握った。
「……っ気付けなくてごめんなさい。私はあまりにも鈍感すぎた。……お兄ちゃんがずっと何を考えていたか、知ろうともしなかったし、自分一人が可哀想だと思い込んでた。……っ、違う。お兄ちゃんが可哀想とか言いたいんじゃなくて……っ」
必死に自分の感情を伝えようとした時、冬夜が春佳の腕を引き、思いきり抱き締めてきた。
「…………っ」
硬い胸板に顔を押しつけられ、春佳はドキッと胸を高鳴らせる。
子供の頃は何回も兄に抱き締められた。
だが成長したあとは、頭ポンポンぐらいのスキンシップはあっても、抱き締められた事などなかった。
――大人の男の人になってる。
こんな時なのに、兄へのときめきが止まらない。
「……っ、ごめんな。俺なんかが、兄貴でごめんな……っ。お前は綺麗で可愛い子のに、たった一人の頼れる兄貴がこんな奴でごめんな……っ」
二十四歳の兄が、声を震わせて謝る。
今まで聞いた事のない悲愴な声を耳にし、春佳は兄の背中に回した手に力を込め、彼をかき抱いた。
「謝らなくていいの……っ! お兄ちゃんが謝る事なんて、何一つない……っ! 悪いのは……っ」
そのあと、「お父さんなの」と言えなかった。
この期に及んで、春佳は父を悪者にできなかった。
生まれた時からの悪人なんていないし、父にだって何らかの事情があったに決まっている。
けれど、冬夜が受けた心と体の傷を、「仕方ない」なんて言葉で済ませたくない。
二十四年にわたって刻まれた傷を、なかった事になんてできない。
冬夜が味わった憎しみも恨みも怒りも悲しみも、信じていた父親に裏切られた絶望も、せめて春佳だけは受け止めないといけない。
「畜生……っ!」
冬夜は吠えるように叫び、力一杯華奢な妹を抱き締め、大粒の涙を流して嗚咽した。
春佳はたった一人で気が遠くなるほどの痛みを抱えてきた兄を、ただ抱き締めるしかできない。
兄は傷付きながらも進み、生きる事を諦めず、その心に憎悪を抱きながらも妹への無限の愛を抱き続けた。
この場に彼が存在している事が、生き抜くという固い決意の表れだ。
冬夜は果てしない絶望を抱きながらも、妹というたった一筋の光を縋り、足を引きずって進んだ。
そしてようやく彼は、最愛の妹の腕の中で、秘め続けてきた悲しみを解放する事ができたのだ。
「ずっと一人で我慢していて、つらかったよね」
涙で崩れた声で言うと、冬夜の嗚咽が激しくなる。
春佳は子供のように泣く彼を抱き、祈りにも似た気持ちを抱く。
――あぁ。私は透明でとても尊いものを抱いている。
滂沱の涙を流した春佳は、腕の中で震える兄に頬を寄せる。
傷付いた冬夜の長くつらい旅は、ここで終わり迎えたのだ。
「もう、一人で苦しまなくていいよ。私が半分、お兄ちゃんの荷物を背負うから」
春佳は涙を零して笑い、慈愛の籠もった表情を浮かべて兄の背中をさすった。
「おかえり」
十三歳の時、家を出ていく兄を見送ったあと、いつ彼に「おかえり」を言えるのか考えていた。
そして、今こそその言葉を向ける時だと感じた。
「私はここにいるよ。ずっと側にいるから」
春佳は素直に涙を流す冬夜に愛しさを感じながら、彼を安心させるように言う。
「……あとね、私、お父さんに乱暴された事なんて一度もない」
そう言った途端、冬夜はガバッと顔を上げ、瞠目して見つめてくる。
「……本当か?」
震える声で尋ねられ、春佳はしっかり頷く。
「こんな事で嘘をつかないよ。私は……、その。…………まだ、処女です」
ボソッと呟くと、兄は涙を流したまま呆けた顔をする。
「……良かった……」
呆然として言ったものの、二人の胸には疑問が残る。
「……じゃあ、なんであいつはあんな嘘をついたんだ? わざと俺を煽って、憎ませて……。殺されたかったならともかく、自分で飛び降りた……」
「私も思ってた」
しばし兄妹は手を取り合ったまま考え、同じ結論を出す。
「……お母さんなら何か知ってるかも」
「……かもしれないな」
頷き合ったあと、冬夜は決意したように提案した。
「これから行けるか?」
「すぐ準備する」
残された謎を解き明かすため、兄妹はすみやかに出かける支度をし、冬夜の運転する車で涼子が入院している病院へ向かった。
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