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お前が気にする事は一つもないからな

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「お誘いありがとうございます。すぐ支度してきますね」

 亮は爽やかに笑ったあと軽い足取りで二階に上がり、すぐに戻ってきた。

「いってらっしゃい。ゆっくりしていらっしゃい」

「……う、うん……」

 私はどこまでも平和な母の言葉を生ぬるい笑みで聞き、覚悟を決めて家を出た。





 秀弥さんは麻布十番まで車を走らせ、駅近くのビル前で私と亮を降ろすと、コインパーキングに車を停めに行った。

 先に店に入ってスタッフに三人と告げると、テラス席に案内される。

 店はビルの七階、八階にあり、お洒落だし料理も美味しそうだ。

 お水を出されたあと、私はメニューを捲りながらボソッと言う。

「……喧嘩売らないでよ」

 亮はしばらく興味なさそうに外の景色を見ていたけれど、私を見て皮肉げに笑った。

「あっちの出方次第だな」

「……秀弥さんは大人だから、喧嘩売らないと思うけど」

 彼の肩を持つと、亮はスッと目を細めた。

 剣呑な目を向けられて一瞬「まずい」と思ったけど、彼は少し私を見つめたあと「はっ」と嘲笑した。

「婚約者だもんな?」

「……そうだよ」

 ――責められている。

 そう感じるけど、もう決めた事だ。

(秀弥さんからのメッセージを見て、どう思っただろう)

 あのあと亮から秀弥さんへの返事はなく、私に対する言葉もなかった。

 私は何を考えているか分からない亮への気まずさから、彼を気遣う言葉を言えず、いつも通り姉として接してしまった。

 私のためなら……と想像を絶する出来事を耐えた彼に、今さら私が何を言うべきなのか分からず、誤魔化したと言ってもいい。

「……亮、あの……」

 とりあえず秀弥さんに事情を話した事を謝ろうとした時、先に彼が話し始めた。

「今、夕貴が考えている事は大体分かる。でもお前が気にする事は一つもないからな」

「え……」

 瞠目して顔を上げると、亮はいつもと変わらない表情で私を見て言う。

「俺についてはお前が責任を感じる事はない。西崎に事情を話したのも、身の上の危険を考えて必要だったからだと分かっている」

 不安に思っていた点について触れられ、私は表情を強張らせて亮を見つめる。

「……そんな顔するなよ。むしろ俺が謝るべきだ。俺のせいで高瀬の粘着が夕貴に向かった。お前や家族に何かあったら、申し訳ないじゃ済まない」

 私は何も言えず、首を左右に振る。

「俺は夕貴に幸せでいてほしい。……その隣に俺がいられるなら、この上ない事だけど」

 そう言われ、私は視線を落とす。

「西崎は俺にとって嫌な奴だけど、ちゃんとした大人なのは先日のメッセージで分かった。俺の事情を知って、ライバルの弱みを知ったらそれを逆手に取るかと思ってた。……でもあいつはそういう事を言わず、あくまで夕貴の婚約者として丁寧に接してきた。……俺はあいつを勝手にライバル視してるけど、一人の大人として話したいと思ってる。……実際話し始めたら、感情的になっちまうか分からないけど」

 亮の胸の内を知り、私はホッと溜め息をつく。

「……ありがとう。……私から勝手に言えないけど、秀弥さんも複雑な事情を持っている人なの。だから他人の痛みが分かる人だと思ってる。ちょっと素直じゃなくて皮肉っぽいところもあるけど、いい人だよ」

 私の言葉を聞き、亮は何か言いかけたけれど、店の入り口のほうを見て「あ、来た」と呟いた。

 そちらを見ると、秀弥さんがスタッフに何か話し、ホールを見回しているところだ。

「秀弥さん」

 私は手を振り、こちらに気づいた彼はスタスタとやってきた。

「待たせたね」

 秀弥さんは私の隣に座り、亮に微笑みかける。

「……いえ」

 それに亮は短く応える。

「夕貴、何にする? 俺はコーヒーでいい。亮くんは?」

「俺もコーヒーでいいです」

「分かった。夕貴は甘い物でも頼んだら?」

「うん」

 私はドルチェメニューを見たあと、ティラミスのパフェを頼む事にした。

 秀弥さんはスタッフを呼んでオーダーしたあと、「さて……」と亮を見て微笑む。
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