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役目
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父親は仕事が忙しくて妻の死や一人息子にろくに向き合えず、亮くんは家でも外でも孤独だった。
その時に出会った夕貴は女神のように思えただろうし、どんな下心があったとしても、側にいようとした高瀬を〝友達〟と思いたかったんだろう。
優しい母と姉ができても、彼は新しい家族にすぐ心を開けなかった。
だからいじめられている事を誰にも相談できなかったし、母と姉に負担を掛けずに過ごそうと決意したはずだ。
「亮は最初、話しかけてもとても素っ気なかった。話しかけても『あ、そう』で終わる事が数え切れないぐらいあったわ。……でも私は彼の〝特別〟になりたかったから、めげずに話しかけ続けた。嫌な話題は避けたし、他の子と同じようにミーハーな態度はとらなかった。そうやって少しずつ、私は彼の信頼を勝ち取っていった」
――でも、最終的にお前は亮くんを裏切っただろう? それも酷く。
俺は心の中で呟く。
「亮は少しずつ私に笑顔を見せてくれるようになった。ゆっくりとだけど、私を友達だと認識して、彼から話しかけてくれるようになった。そうやって信頼してもらえたのは、私が諦めず努力し続けたからだわ。……でも他の子たちは『ずるい』と言った。まるで私がスタート地点からゴールまで、テレポーテーションしたような反応だった。私だって他の子と同じように、話しかけても無視されたし、『話しかけるな』とか沢山酷い事を言われた。傷付いたけれど、私は諦めなかっただけなのに……。他の子はキャーキャー言うふりをして、裏では『長谷川くんは格好いいけど怖い』と陰口を叩いていた。……あんな女にはなりたくない」
高瀬は吐き捨てるように言ってから、「日本酒頼むわね」と言って呼び出しボタンを押した。
オーダーした日本酒が運ばれたあと、高瀬は大きな海老の姿煮の殻を剥きながら溜め息をつく。
「……亮と話すようになってから、彼の親友だという自覚が高まっていった。だから私は、自分の家庭の事を彼に打ち明けた」
そこまで言い、高瀬はガラス製の猪口に入った日本酒を一気に飲み、手酌で次を注ぐ。
「……私の家は、父が代議士で母は外科医。もう、エリート中のエリートよ。兄も私も、子供の頃からお稽古や勉強に追われて、ろくに友達を作るどころじゃなかった。だから私は友達作りが下手だし、関係を継続させていくのがうまくない。お稽古に連れて行くのはシッターさんで、食事は家政婦さんが作っていた。だから世間で言う〝温かい家庭〟がよく分からなかったわ。……親は子供たちを愛していたかもしれないけど、私たちからすれば、顔を合わせれば喧嘩する両親だった。私は歳の離れた兄に甘えて、兄は私の面倒をみてくれた。父はずっと前から秘書と浮気していたけど、母は仕事が忙しいのを理由にして、知らないふりを貫いた」
高瀬の家庭事情は気の毒だと思う。
俺も浮気が原因で家庭を壊された身だから、ある程度は気持ちが分かるつもりだ。
「兄は両親の期待に応えようと頑張り続けて、両親の怒鳴り合いに怯える私を守り……、限界が訪れたのかしらね。他に理由があったかもしれないけど、兄は家族を頼れなかった。いざという時に親が守ってくれるなんて嘘。兄は優秀な人だったけど、とても繊細で優しい人だった。……優しい人はすぐに壊れてしまうのよ。当時の兄は大学生だったし、男だったから数日家を空けても誰も何も言わなかった。……でも、警察から連絡があって兄が自死した事が分かり、……かろうじて繋がっていた家族は壊れたわ」
俺は溜め息をつき、日本酒を呷る。
高瀬は家族に甘えられず、自分の苦しみを誰にも言えないまま成長した。
それを、第三者としてすべて吐き出させ、聞くのも俺の役目なんだろう。
〝悪役〟に理由なんて必要ないと思われがちだが、皆、人間だ。
誰もが見えないところに人生のドラマを抱え、悩み苦しんで生きている。
長谷川姉弟から聞いた話では、高瀬が完全な加害者だが、被害者側の話しか聞かないのは不公平だ。
高瀬のこの話を聞けば、亮くんも夕貴も「あんな事をしておいて」と怒ると同時に、彼女もまた苦しんでいると知って、葛藤するだろう。
同情して目的を違えるつもりはないが、今ここにいるのが俺で本当に良かった。
「それから両親は、兄などいなかったように振る舞い始めた。兄が苦しんで自殺したのが、自分たちのせいだと認めたくなかったし、期待していた長男を亡くした悲しみを直視できずにいた。……親だからといって、強い訳じゃないのよね。親もまた一人の人間だわ。……でも当時の私はそう思える余裕がなかった。母は父の浮気も、兄の死も全部私のせいだと言わんばかりに厳しく当たり、お酒ばかり飲むようになった。父は秘書と住み始めたけど、離婚していないだけマシなのかしら。すべてに憎しみを抱いた私の理解者は、亮だけだった」
彼女は溜め息をつき、本鮪の刺身を食べる。
「亮も私だけを受け入れてくれているんだと思った」
呟くように言った高瀬の目に、暗い火が灯る。
「私には亮だけで、亮にも私だけだと思ってた。……でも、亮の話に少しずつ〝姉〟の話題が増えていった。彼はただ新しい家族の話をしているつもりだったろうけど、私には込められた特別な感情が分かったのよ。彼の事が好きだったから。……そして亮は私を裏切った」
高瀬の目に、怒りと悲しみが浮き上がる。
その時に出会った夕貴は女神のように思えただろうし、どんな下心があったとしても、側にいようとした高瀬を〝友達〟と思いたかったんだろう。
優しい母と姉ができても、彼は新しい家族にすぐ心を開けなかった。
だからいじめられている事を誰にも相談できなかったし、母と姉に負担を掛けずに過ごそうと決意したはずだ。
「亮は最初、話しかけてもとても素っ気なかった。話しかけても『あ、そう』で終わる事が数え切れないぐらいあったわ。……でも私は彼の〝特別〟になりたかったから、めげずに話しかけ続けた。嫌な話題は避けたし、他の子と同じようにミーハーな態度はとらなかった。そうやって少しずつ、私は彼の信頼を勝ち取っていった」
――でも、最終的にお前は亮くんを裏切っただろう? それも酷く。
俺は心の中で呟く。
「亮は少しずつ私に笑顔を見せてくれるようになった。ゆっくりとだけど、私を友達だと認識して、彼から話しかけてくれるようになった。そうやって信頼してもらえたのは、私が諦めず努力し続けたからだわ。……でも他の子たちは『ずるい』と言った。まるで私がスタート地点からゴールまで、テレポーテーションしたような反応だった。私だって他の子と同じように、話しかけても無視されたし、『話しかけるな』とか沢山酷い事を言われた。傷付いたけれど、私は諦めなかっただけなのに……。他の子はキャーキャー言うふりをして、裏では『長谷川くんは格好いいけど怖い』と陰口を叩いていた。……あんな女にはなりたくない」
高瀬は吐き捨てるように言ってから、「日本酒頼むわね」と言って呼び出しボタンを押した。
オーダーした日本酒が運ばれたあと、高瀬は大きな海老の姿煮の殻を剥きながら溜め息をつく。
「……亮と話すようになってから、彼の親友だという自覚が高まっていった。だから私は、自分の家庭の事を彼に打ち明けた」
そこまで言い、高瀬はガラス製の猪口に入った日本酒を一気に飲み、手酌で次を注ぐ。
「……私の家は、父が代議士で母は外科医。もう、エリート中のエリートよ。兄も私も、子供の頃からお稽古や勉強に追われて、ろくに友達を作るどころじゃなかった。だから私は友達作りが下手だし、関係を継続させていくのがうまくない。お稽古に連れて行くのはシッターさんで、食事は家政婦さんが作っていた。だから世間で言う〝温かい家庭〟がよく分からなかったわ。……親は子供たちを愛していたかもしれないけど、私たちからすれば、顔を合わせれば喧嘩する両親だった。私は歳の離れた兄に甘えて、兄は私の面倒をみてくれた。父はずっと前から秘書と浮気していたけど、母は仕事が忙しいのを理由にして、知らないふりを貫いた」
高瀬の家庭事情は気の毒だと思う。
俺も浮気が原因で家庭を壊された身だから、ある程度は気持ちが分かるつもりだ。
「兄は両親の期待に応えようと頑張り続けて、両親の怒鳴り合いに怯える私を守り……、限界が訪れたのかしらね。他に理由があったかもしれないけど、兄は家族を頼れなかった。いざという時に親が守ってくれるなんて嘘。兄は優秀な人だったけど、とても繊細で優しい人だった。……優しい人はすぐに壊れてしまうのよ。当時の兄は大学生だったし、男だったから数日家を空けても誰も何も言わなかった。……でも、警察から連絡があって兄が自死した事が分かり、……かろうじて繋がっていた家族は壊れたわ」
俺は溜め息をつき、日本酒を呷る。
高瀬は家族に甘えられず、自分の苦しみを誰にも言えないまま成長した。
それを、第三者としてすべて吐き出させ、聞くのも俺の役目なんだろう。
〝悪役〟に理由なんて必要ないと思われがちだが、皆、人間だ。
誰もが見えないところに人生のドラマを抱え、悩み苦しんで生きている。
長谷川姉弟から聞いた話では、高瀬が完全な加害者だが、被害者側の話しか聞かないのは不公平だ。
高瀬のこの話を聞けば、亮くんも夕貴も「あんな事をしておいて」と怒ると同時に、彼女もまた苦しんでいると知って、葛藤するだろう。
同情して目的を違えるつもりはないが、今ここにいるのが俺で本当に良かった。
「それから両親は、兄などいなかったように振る舞い始めた。兄が苦しんで自殺したのが、自分たちのせいだと認めたくなかったし、期待していた長男を亡くした悲しみを直視できずにいた。……親だからといって、強い訳じゃないのよね。親もまた一人の人間だわ。……でも当時の私はそう思える余裕がなかった。母は父の浮気も、兄の死も全部私のせいだと言わんばかりに厳しく当たり、お酒ばかり飲むようになった。父は秘書と住み始めたけど、離婚していないだけマシなのかしら。すべてに憎しみを抱いた私の理解者は、亮だけだった」
彼女は溜め息をつき、本鮪の刺身を食べる。
「亮も私だけを受け入れてくれているんだと思った」
呟くように言った高瀬の目に、暗い火が灯る。
「私には亮だけで、亮にも私だけだと思ってた。……でも、亮の話に少しずつ〝姉〟の話題が増えていった。彼はただ新しい家族の話をしているつもりだったろうけど、私には込められた特別な感情が分かったのよ。彼の事が好きだったから。……そして亮は私を裏切った」
高瀬の目に、怒りと悲しみが浮き上がる。
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