風と雨の神話

臣桜

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第三部雨・7

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 自分には欠落している部分がある。
 それは解っている。でも、どうしても欠けているだろうものを得られないでいる。
 そして、目の前のレナという娘は自分以上に欠落している。
 およそ、人間としての温かい部分の感情がない。欠落、というよりは知らないと言った方が正確だろう。
 似た者同士だ。
 こんな、憐れで不完全な人間(いきもの)が二人、世界の終りの様な場所で冷えた体を寄せ合い、人の心について話している。
 とても、奇妙な感じがした。
 二人併せてもまだまだ不完全な人間が、完全である事を求め、完全であるという事とは何かを考え、足掻き続ける。
 結婚というもののシステムを理解出来ないでいたユヴァだが、何となく人が他人とくっつきたがる理由が解った様な気がした。
 あまりにも、不完全で未熟で孤独だからかもしれない。何とか、他人と密接に関わって自分の欠けた部分を他人で補い、補修し、自分の理想に近付きたいから――。
 結婚というものに対する他人の考えは知らぬが、ユヴァはそう解釈した。
 求めれば与えられるのかは分からない。ユヴァは君主殺しをしてまで現状の打破を求めたが、それは叶えられなかった。
 世界を変えられないのならば、自分を変えればいいのか?
 それも、何となく屈服した様な気がしてならない。
 常に勝者でいたいなどというプライドや向上心はないが、それでも自分の生き方を変えるという事は、それまでの自己を否定する事に繋がる気がする。
 だから、人は求め続けるのか?
 何が自分の求める『完全』なのかも分からずに、ただ闇雲に。
 知識を、力を、富を、地位を、権力を、評価を、他人の羨望を、愛を、それは貪欲に。
 得れば得ただけ、自分は求めるものに近付いたのか、後ろを振り返って確認し考える間もなく、何かに急き立てられるかの様に、生き急ぎ、死に急ぐ。
 それが、人間なのか?
 自らに問い続けてもいらえは返っては来ない。
 なら、他人に問えば答が分かるのか?
「…………何?」
 翡翠色の片目を細めて、自分の思考の世界に入っていたユヴァを見詰めていたレナだが、ふと、その視線が自分を捉えたのを確認してそっと尋ねる。
「…………望みは……あるのか?」
 自分の意志を持つ事を教えられなかった娘に対してこの様な事を尋ねても、期待した答は得られないだろう。そう思いながら、ユヴァはレナに問う。
「……のぞみ……?」
 予想通り不可解な表情を浮かべるレナに、ユヴァは彼女が解釈しやすいように言葉を変えてやる。
「現実的な問題で叶うかどうかは問題ではなく、自分が『こうしたい』と思う事があるかどうかを訊いている」
 それでも、やはりレナは微かに眉を寄せたまま黙っている。が、ユヴァが諦めて視線を外した時に、レナがそろりと切り出した。
「……これが、貴方の言う『望み』なのかは分からないけど、さっき『この大陸の外に出る』って言ってたわね? それに、興味があるわ」
 レナの出した答に、ユヴァは微かに頷く。
「……行ってみたいか?」
「ここは大嫌い。外の世界の事は全く知らないから何があるのか知らないけど、多分、ここよりはずっといい場所の様な気がする……。だから」
 希望という言葉に最も遠い生活をしていたため、自分の希望を述べる事は得意ではない。
 言葉は最後まで続かずに不鮮明に切れてしまったが、それでもユヴァにはレナの心を理解した。
 外の世界の正体は分からないが、とにかく今の状況から逃げ出したいという気持ち。
 それはユヴァがよく知っている気持ちだ。
 命以外の全てをそれに捧げ、その結果今のユヴァがいる。
『終わりの街』を、ここに住むすべての人間を憎み、嫌悪するレナの目を見て、ユヴァはぽつりと漏らした。
「……連れて行ってやろうか?」
 ユヴァの言葉を、レナは天からの啓示を受けたかの様な表情で受け入れ、何とも言えない目でそっと、だが丁寧に頷いた。
「だが、何も保証はしない。お前が望んだから外に連れ出すだけだ。望む目的地があるのなら、そこまで連れて行く。だが、俺はお尋ね者で賞金首だ。その俺と同行するという事は、それ相応の危険は覚悟してもらわないとならない」
「そんなの、構わないわ。こんな街で母さんみたいな人生を歩むのを考えれば、あなたの命を狙う奴に殺される方がずっとまし」
 レナはさらりと答え、「そんな事よりも」と言いたげな顔で付け加える。
「この街を出る事は出来るの? アレクは自分の所有物が勝手に外に出るなんて許さないわ」
 希望を抱くという感情も知らないので、折角の逃亡計画に死の濃い影が落ちている事について、それほど絶望視していると思えない声で言う。
 レナにとって、今、この『終わりの街』に生きている事以上に悪い事はないし、いい事もないのだ。
 レナに指摘され、ユヴァは少し考える。
 こちらも、あまり現実の問題や厳しさを重要視している表情ではない。
 ものの価値というものを理解する事が出来ない男だから、それに付随する感動もほとんどない。
 自分が殺されそうになれば、取り敢えずは生きていたいと思っているので反撃をする。が、もし殺されたのなら、それはそれで仕方が無いと思っているのも事実だ。
「……この街はボスによって支配されているんだったな? ボスはどうやって代替えをする?」
 ユヴァに問われ、レナは前のボスから今のボスであるアレクに権力が移った際の事を語る。
「私は自分が生きている間に聞いた事しか知らないけど、アレクは前のボスを策略で失脚させて、復讐を恐れて暗殺したという話だわ」
「要は、殺せばいいんだな?」
 かなり簡素化した解釈で、ユヴァは確認をとる。
「……できれば、ね」
 アレクの強さを知らぬユヴァの、あまりにも楽観的な言葉にレナは呆れる事も、苦笑する事もせずに肯定する。
「よし、明日あいつを殺して街を出る」
 あまりにもあっさりと決定を下し、ユヴァはそれ以来その件については触れなかった。
 行動予定を決める。そうすれば終わり。
 それについて思いを巡らせたり、成功した後の事や失敗した時の事を考えたりなどはしない。己の命に価値を感じていないからこそ、のユヴァの思考回路である。
「ねえ、朝までここにいていい? こうしてるの、何だか……気持ちがいい」
 ユヴァの胸に耳を付けてレナが言う。
 今、全身を満たしているものが「喜び」だとか「安心感」という感覚だという事は知らず、ただ、「良い」感じであるという事を大切に思い、その維持を求めた。
「好きにしろ」
 ユヴァはそれだけ言って隻眼を閉じ、座ったまま眠りに就いた。
 レナも、胸板から伝わる低い声を感じてそっと目を伏せる。
 雨音に混じってユヴァの鼓動が力強く、しっかりと打つ音を聞きながら、いつの間にかレナは眠りに就いていた。
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